ベルン郊外
@Summer/'83 Bern, Swiss


友人宅の庭から見るベルナー・オーバー・ランド



Utzigen、ベルン中心部から車で15分程度の郊外にある森に囲まれた静かな住宅地。 ここからは晴れた日、北の方向に雄大なスイスアルプス連峰、ベルナーオーバーランドを眺望することができる。 この素晴らしい立地条件の一角に1973年来の友人、S氏一家が住んでいる。 彼がこの地に家を建てたのは、私が彼と知りあってから数年後の1983年のことだ。 建設費用を抑える為に、多くの部分を奥さんと力を合わせて建てたと、その苦労話を如何にも楽しそうに話してくれた。 日本の水準からすると、どこから見ても豪邸。 敷地800m2、建坪300m2、半地下1階、地上2階。  半地下部分の半分は核シェルターになっている。 核シェルターは、厚さ30cmのコンクリートの壁とドア‐、内部には3ヶ月分の食料、飲料水と、手動の空気清浄器。 当時スイスPTTの地球局設備は、拡大する通信需要を満たす為、最も活気のある部門として拡張の一途を呈していた。 その通信設備の殆どが当社から納められており、新しい設備の購入の度、彼は客先の代表として、度々日本を訪れ、出荷前の設備の検査に立ち合っていたのである。  




友人の家庭で本場のチーズフォンヂュを頂く


彼が日本に来る度に、私の家にも来ていただき旧友を暖める素晴らしい機会を得ることができた。 彼は日本の富士山が大変お気に入りで、これまで私は富士山には一度も登ったことがなかったが、彼のお陰でここ数年の間に、3回も富士登山を楽しむことになった。 また、日本の狭い住宅事情を肌で感じて頂く為、夫婦で来日した際、我が家で1泊して貰ったこともある。 我々が会社に行っている間、奥様方は互いの国の庶民文化を披露しあい、ミニ文化交流に精を出していたらしい。




地下の核シェルター内: 3ヶ月分の保存食と手動空気清浄機がある



逆に私がスイスへ出張した際には、必ず彼の家に呼んでくれる。 面白いのは彼の家を訪れる毎に、私の泊まる部屋が格揚げされることだ。 最初は、半地下の彼の書斎に簡易ベッドが用意されており、そこに泊めて頂いた。 2回目は、2階の娘さんの部屋を空けてくれた。 3度目に至っては自分達の寝室を空けてくれたのである。 招かれる度、料理が大得意である奥さんの心のこもった家庭料理で歓待を受けたことは言うまでもない。 彼の家を訪れる際のもう一つのお気に入りがある。 それは、彼の家に呼ばれると、必ず近くか、あるいは一寸車で出かけた場所にある森に連れて行ってくれることだ。 森の散歩である。 ヨーロッパの森は、日本の森程木々が密生していない。 適度に見とおしが効き、アップダウンが有り、暫く歩くと森は一旦切れ、葡萄畑になったり、牧場になったり、或いは湖になったり、実に多様で歩くのが楽しい。 S氏ファミリーと一緒に出かける、森の散歩は爽快そのものであった。 




ベルン大聖堂の鐘楼塔から旧市街を望む



そんな彼も数年前に早期退職制度を利用して職場を去り、地域団体で臨時の教鞭を取りながらペンション生活に入ったと連絡があった。 毎年クリスマス・カードの決まり文句のように書かれていた、”奥さんと一緒に我が家を訪れて下さい。” の言葉には遂に答えることが出来ないまま、彼の現役リタイヤーとなってしまった。 だが彼がリタイヤーしたからと言って、彼の招待期限が切れた訳ではない。 その後も、毎年同じ文句のクリスマス・カードが彼から届いているのである。 




アール川とベルン旧市街



今年、息子がドイツのフランクフルトに転勤になった。 一家揃っての転勤だ。 これは良い口実が出来たのかもしれない。 息子一家に会いに行くついでに、スイス迄足を延ばすのは難しいことではない。 絵本のような美しい意国土、質素で堅実に暮す人々、全ての家庭に武器を保有する国民皆兵国家、多言語国家を妻と共に訪れる。 そんな夢を想うこの頃である。




薬屋のショー・ウインドウ: 如何にも薬屋の感じ



友人の家の高貴な住人: 私ごときには決して気を許してくれない








   28/Aug/'83 林蔵@Utzigen Switzerland (Updated on 5/Apr/'08)#107

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