ワルシャワ
@Jul/'91 Warsaw, Poland
ワルシャワ旧市街
[世界遺産 Histric Center of Warsaw 文化遺産 1980年登録] ワルシャワ(Warszawa;ヴァルシャヴァ)は、
ポーランドの首都でかつポーランド最大の都市。マゾフシェ県の県都。中央ヨーロッパの政治、経済、交通の要衝でもある。
ヴィスワ川の中流、マゾフシェ地方に位置し、市内をヴィスワ川が貫通する。
製造業、鉄鋼業、電機産業、自動車産業などの工業都市であり、ワルシャワ大学を初めとするポーランド有数の高等教育機関が集中し、
オペラ座やワルシャワ交響楽団を有する文化都市でもある。ワルシャワについての最古の文書は13世紀、1285年のものである。
当時のワルシャワはマゾフシェ公爵領に属し、漁業を中心とする寒村であった。
マゾフシェ公爵家の家系の断絶に伴い、マゾフシェ地方はポーランド王国に編入された。
1596年ポーランド王宮廷は古都クラクフより移転し、ワルシャワは1611年に正式にポーランドの首都となり、
以来、「北のパリ」として発展を遂げる。ポーランドが独立を取り戻したのち、ワルシャワは再びポーランドの首都と定められた。
1939年、ナチス・ドイツにポーランドが降伏したことで、ワルシャワはナチスドイツの占領下におかれた。
市内居住のユダヤ人はゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められ、
1942年の移送と1943年4月19日に親衛隊少将ユルゲン・シュトロープによるゲットー解体で、国内の絶滅収容所に送られた。
1944年8月1日、占領軍に対しワルシャワ市民が一斉蜂起(ワルシャワ蜂起)を起こしたが63日間にわたる戦闘の末鎮圧され、
殆どの建物が破壊されてしまった。現在ワルシャワ東部にある旧市街(Stare
Miasto)は、市民によって「壁のひび一本に至るまで」忠実に再現されたものである。 (Wikipediaより)
Warsaw: 歴史地区
1991年7月ユーゴスラビア、ポーランド、スイスを駆け足で出張した。 何れの国でも1週間程度の短期出張である。 ユーゴスラビアとスイスの話は別の機会にするとし、今回はその地理的条件からl歴史に放浪され続けた国、ポーランドのお話をしよう。
ユーゴスラビアの首都ベオグラードからポーランドの首都ワルシャワに着いた。 空港では某商社の現地担当の方が迎えに来てくれて居るはずだ。 イミグレーションもカスタムも難なく抜けた。 東側の国にしては、大変垢抜けている気がしたのは、西側に常に国境を接しているせいであろうか。 バリアーの外に出ると、出迎えのトレリンスキー君が待っていた。 FAX(当時はメールが未だあまり発達しておらず、大概のやり取りはFAXが主流であった。)のやり取りでは知りあいであるが、対面するのは始めてである。 感じの良い中背細身の青年だ。 早速タクシーで投宿先のForumホテルへ向う。 西側資本が経営する立派な高層ホテルだ。 トレリンスキー君とは、翌日の待ち合わせ時間を確認し分かれた。
共産圏特有の立派な外観を誇る文化宮
翌日、ワルシャワの南170km位離れた街、客先の通信設備があるKielceにタクシーで移動する。 Kielceでは懐かしい面々が待っていた。 日本での訓練時、全期間一緒に過ごし、また我が家にも来て戴き、狭い日本の住宅事情や、日本食文化を楽しんで貰った人達だ。 仕事が済んだ後、客先の代表から、英文で書かれたKielceの街の立派な案内書を頂いた。 この本は今でも私の大切な宝の一つとなり、書斎の本棚に収まっている。
その日は、Kielceとワルシャワの中間にある田舎町の小さなホテル ”Swietokrzsky: スイスホテル” に泊まった。 トレリンスキー君も一緒だ。 ワルシャワのHotel Forumにくらぶべくも無いが、清潔な感じで一晩の滞在には十分である。 この小さなホテルで働いている女性の多くはロシア人だそうだ。 当時は今に比べ、ロシアは大変な経済不振であった。 多くのロシア人が隣国に働きに出ているらしい。 彼女達もそんな出稼ぎであったのだろう。 我々も、遠く日本からやってきた、出稼ぎ人に違いない。
投宿先のForumホテルから見る新市街
翌日はタクシーで大都市ワルシャワに戻った。 途中大渋滞に巻き込まれた。 前後見渡す限り、車が止まってしまった。 それまで、大して交通量もなかったのだが、突然車が動かなくなった。 2時間位すると原因が判った。 昨夜の突風で、大木のポプラの街路樹が何百メートルに渡り道路に直角になぎ倒されているのだ。 何十年或いは100年は越えようと言う大木ばかりだ。 昨夜位の風は、今までにも幾らも吹いたであろうに。 ヨーロッパで進んでいる森林破壊の一旦かと思う。 多くの農園では永い間、農薬と化学肥料が大量に使われ、大地はもはやミミズの住める環境では無くなっているのだろうか。 ミミズは自然の大地の偉大な鋤。 大地に空気を送り込み、大地を常に蘇らせている、大切な存在だ。 この循環がうまく行かなくなると、大地に空気が送りこまれ無くなり、大地は固く固まってしまう。 あるいは、工業化が進んだ為の酸性雨で大地が硬くなってしまったのだろうか。
土地が固くなると、樹木の根の元気が無くなり、細くなる。 そんな訳で、一寸した突風にも絶えられなくなった大木の並木ではないだろうか。 病に虫ばまれた地球を強く感じる出来事であった。
旧市街の広場: 蚤の市が開かれ多くの珍しいリサイクル品が並べられていた
ワルシャワに戻ってホテルForumに再びチェックインする。 次の出張地スイス行きのフライトは明日の朝である。 夕方までまだ大分時間がある。 せっかくの機会だ、市内見学に出かけよう。 ポーランドは古今、西と東の力の駆け引きの舞台となり、悲しい歴史の物語が多い。 首都ワルシャワはビスワ川を挟んで発展した中世の姿を残した美しい街だ。 旧市街の落ちついた重厚な古い建物は、そんな歴史を見続けて来たに違いない。 今はその全てを飲みこみ、平然とその美しい姿を見せ続けている。 そんな旧市街を散歩していたら、歩道に面した建物の壁に、戦車のキャタピラが埋めこまれた部分があった。 何やら説明文がある。 ”この街はある時期ドイツの戦車に踏みにじられた。” とある。 厳しい歴史の一駒を垣間見る思いである。 みやげ物屋には大粒の琥珀が幾つも並んでいる。 その琥珀には、古代の小さな昆虫が閉じ込められ美しく輝いている。 この街も遠く悲しい歴史を閉じ込めている。 そんな美しいたたずまいの古都に、ドイツ人熟女3人の観光客姿があった。
旧市街の建物の壁に埋め込まれた戦車のキャタピラ
31/Jul/'91 林蔵@Warsaw Poland (updated on 19/Apr/'08)#121
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