Rowクラブ @Aug/'93 Greenland, Denmark
札束がトンのレベルで航空貨物扱いとして搬入、搬出されるスイスZurichクローテン国際空港。 ここは悪名高いブラック・マネーを良貨に換える為のマネーランドリーの本場。 午前4時、夏とは言えまだ暗闇の中。 15分毎にホテルバスが来るから、待っていろとの指示。 本当にバスは来るのだろうか。
昨夜遅く12時過ぎにチェックイン。 未だ数時間しか経っていないが、もう出発だ。 僅か3時間余りしか滞在していないのに280フラン(1万3千円)とは、いかにも高い。 カプセルホテルでも良さそうだが、Zurich空港にそんなものはない。 辺りを見渡すと、ビジネスマンらしき者3名、旅行者風の女性が1名、やはりバスを待っているのだろうか。
バスは案内書通り、15分毎にやって来た。 エアーラインのカウンターでは、少し惨めな思いで大きな荷物を持って、エコノミークラスにチェックイン。 朝6時、空港内のみやげ物売店で娘の大好きなスイスチョコレートを大量に買い込む。 それにしてもスイス、4日間の滞在は悪天候にたたられ、ずっと雨だった。
1941年第2次世界大戦勃発。 アメリカは欧州戦線に参戦する為大量の兵士と物資を空輸した。 当時の航空機の航続距離は現在程延びておらず、米本土から一飛びではヨーロッパには辿り着けなかった。 途中の給油基地としてグリンランドの北、中、南に3箇所空軍基地を開設した。 グリーンランドに白人が住み始めた始まりだ。 日曜日、帰りの飛行機待の間に今は使われていない当時の設備を見学したが、よくもこんな僻地にこんな立派な設営をしたものだと、ただただ感心する。 高さ400Mの長波送信塔、大戦当時の本国との通信に使われたのだろう。 送信電力も超大型で200ー300KWはゆうにあったらしい。 専用の大型ディーゼル発電機が3台放棄されていた。 それぞれ、いかにも米兵らしく、けなげな名前が付けられている。 ルル,ディジー,ケリー・スペシャル。 かっては、念頃に可愛がってもらっていたのだろう。
衛星による気象観測がまだ実用化されていなかった当時、グリーンランドの天候が3日後ヨーロッパの天候になることは広く知られていたので、大戦中ヨーロッパ戦線の作戦立案には天候の予測が不可欠であったらしい。 そこで米軍はワシントンの民間気象観測会社と契約し、グリンランドに気象観測基地を確保した。 極寒の地に観測隊員が快適に過ごす為の諸設備が整えられている、超一流の観測施設だ。 衛星による気象観測でより正確な気象データが得られる現在でも、観測所は活動を続けており、主に超高層大気の観測を行っているらしい。
2日間の短い滞在ではあったが,珍しい人に出会った。 島の反対側から1ケ月かけて歩き、今真に当地に到着した青年を見た。 大きなバックパックに丁度自分が乗れるぎりぎりの大きさのプラスチックの雪橇,スキーを背負い黙々と歩いてきた。 真っ黒に日焼けしているが、体力はまだ十分残っていそうだった。 空港ホテルではドイツ系の老カップルが数組泊まっていて,連日、何もなさそうに見える山へ歩いて出かけるのである。 デンマーク本土からの若者グループもいる。 彼らには、明らかに観光と言うよりは,チャレンジの意志を感じる。
驚いたことに,こんな極寒の小さな村にもキャンプ場がある。 あのテントを張るキャンプである。 夏ならいざ知らず, 主に冬利用するらしい。 (夏の今は誰も使用していなかった。) かつて植村直巳がグリンランドを単独犬橇で縦断中,白人の基地を通過した折り、基地の住民が家に植村を招待したが彼は家には入らなかったと言う。 冒険を続ける意志が、少しでも暖かい室内で弱まるのを恐れたのが理由らしい。 同じ理由でこのキャンプも冬場の冒険者達が利用するのだろうか。
一般的な観光の目玉は MUSK OX(野牛)日本の牛の2倍位大きく、2倍位早く走る牛だ。 こんな極寒の地に野生で生息してしているのが驚きでもある。 2日目の日曜日は、客先の準備したジープ2台で空港周辺に散在する通信施設を見学した。 その後、一旦空港ホテルに戻り、全員でカフェテリアでアイスクリームを買い、ガキの集団よろしくターミナルビルの中をアイスクリームを嘗めながらうろうろする。 見ていた者が居ればさぞ醜い集団であったに違いない。
さて、これからいわゆる観光に行こう。 空港から 5km も離れると、氷河が削った滑かな岩肌と氷河が運んだ土砂によってできた 変化に富んだ苔と草の湿地にたどり着く。 いる、いるMuskoxが10数頭群れになり、草をはんでいる。 用心深い生物でなかなか近寄れない。 また驚く程すばしこい。 大きな図体でありながら、かなりのスピードで岩山を巧みに掛け昇り、掛け下る。 夏の今は食べる草もあるが、
雪深く全てが凍る冬季はどうやって生き延びるのだろうか、心配してしまう。
カンガルースワクから内陸へ25km位い入ると, もうそこには万年氷が横たわる。 そそりたつ氷壁,何万年もの神秘が閉じこめられた氷。 その内陸氷を見に行こうと,ジープ3台で氷の融けた氷河沿いの谷間を,ぬかるみを避け堅い岩場を選んでゆっくり進む。 時間さえ許せば,本当は歩いて行くのが最高だろう。 聞こえるのは氷河の雪融け水の流れる沢の音のみ,見えるのは所々苔や草が這う氷河に削られた滑らかな岩山ばかり。 細心の注意を払ってジープを進めるが,
時折泥濘にはまり込んでしまう。 半ば底無し沼のような泥濘もあり,はまり込んだジープを2台のジープで引き揚げるのが,容易でない。 ついに途中で、これ以上内陸部へ進むのは諦めた。 残念,文明の力は人間の持っている自然の歩く力には勝てなっかた。 そのまま引き返すのは,あまりに残念なので途中にある
400m位の山に登った。 すばらしい景観が顔面に広がる。 内陸氷も目の前に手に取るように見える。 眼下の沢の音だけが山の斜面を掛け登ってくる。 気温10度,壮快感100点。
空港から5km先にファーガソン湖があり,ここはカンガルースワク村の水源になっている。 湖畔にはロークラブ(手漕ぎボートクラブ)のクラブハウスがある。 真に大自然のまっただ中,絶景の立地だ。 夏の間はレストランもやっていると言う。 早速,予約を試みる,OKである。 人口100人余りの村に空港のホテルレストラン以外に、こんな村から
5km も離れた所に何人の人がお客があるのだろうか。 商売として成り立つのだろうか。 つい浅ましい考えが頭をよぎる。 ショーンコネリーばりのマスター,厨房に若い料理人が2人,これまたライザミネリのようなウェートレスが一名。 豪華スタッフだ。 内装も実にシック。 湖側の窓はほぼ壁と同サイズ,すばらしい眺めが広がる。 内部の約半分はリビングセットになっており,食後のコーヒーあるいはスピリッツを楽しむ場所になっている。 7時、ピーチ・フレーバーのイタリアン・シャンペーンで食事を始める。 堂に入ったマスターの物腰、上質の会話が交わされる。 グリーンランドの片田舎とは言え、ヨーロッパの上質な時間を感じる。 こちらに来てから感じている事なのだが、食事の量が異常に多い、普段の3倍くらいはあろうか。 アントレの皿だけでも普通の1食分はある。 メインディシュも普通の大きさのステーキが3枚にたっぷりの野菜。 デザートはアイスクリームのアンサンブル、大きなお皿に5種類のアイスクリームが載る。 1種だけでも充分の量だ。
10時,薄暗くなってきた。 電灯はつけない,食卓に揺れるローソクの光にたよる。 マスターがリビングのペチカに薪をくべ火をつける。 まるで Noel(クリスマス)だ。 よく見ると客先の数人はネクタイをしている。 ここはおしゃれをして来る所なのである。 2時間におよぶ夕食を終えホテルに帰る。
明日は日曜日。 ホテルへ帰った後、ラウンジバーへ行く。 なんとここのホステスはレストランのウェートレスだ。 ここでは1人何役もこなしている。 ホテルのレセプションの女性はエアーラインのチェックインカウンターの受付も行う。 なにしろ100人余りの村なのだ。 翌日、コペンからから飛行機がやってきた。 静かな飛行場はいっぺんに、騒がしくなる。 しかし様子が少し変だ。 エージェントのH氏に聞くと乗務員のストで出発が遅れているとのこと。 遅れても飛ぶんだろうな。。。 30分遅れで飛び立った。 機長のアナウンスがある。 「このフライトには、通常9人の乗務員が乗っていますが、本日は事情により、3人しか乗って居りません。 充分なサービスができませんが、フライトをお楽しみ下さい。」 よく見ると確かに3人乗っている。 ヨボヨボのおじいさんだ。 冗談じゃない。 充分なサービスどころか、すべてセルフサービスだ。
ハップニングは続く。 コペンからの帰りの飛行機は15時40分発。 午前中時間があるので、エージェントのJAI事務所へ行く。 初めてなので挨拶も兼ねて訪れる。 客先も来ていて昼食を社員食堂で取る。 午後もつい話込んでしまった。 エージェントの秘書が会議室へ来て、心配そうに 「貴方のフライトは何時だった?」 と聞く。 時計を見ると、15時。 出発迄あと40分しかない。 タクシーで空港へ直行。 それにしてもチェックインカウンターの受付嬢の対応は素晴らしかった。 席は何も聞かずエマージェンシ席をボーデングカードに書き込む。 電話で空港車(身体の不自由な人を運ぶ電気車)を呼ぶ。 セキュリティコントロールもパスポートコントロールも通らず、直接機内へ 。 エマージェンシ席は、ロイヤルクラスであった。
28/Aug/'93 林蔵 (Updated on 24/Dec/'10)#081 |
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