33回忌 @May/'11 淡路, 兵庫 裏山の墓所へ向かい故人を弔う もう33年になるのか。 田舎から連絡があった。 弟の33回忌をやるので帰省できるか、とのことであった。 今は失業保険を受給しながら職探しの身分、暇と言えば暇であるが何時面接やらが飛び込むかも知れぬ。 それでも出席すると返答しておいた。 こういうことでもなければ遠く離れた兄弟達ともなかなか会う機会がないのである。 私以外の兄弟は何れも京阪神地区に居を構えて居る。 私だけが離れて関東に住み、現役中は国外に居ることが多く、とかく疎遠になりがちであった。 今もその傾向は変わらない。 親父は今だ現役の百姓であるが既に90歳の齢を越えている。 できるだけ機会を捉え帰省しなければと思う気持ちが年々強くなるのを感じる。 尾張一之宮SAにて: Bクラスでありながら安全性、安定性、操作性、剛性、走行性等、あらゆる面でメルセデスさを発揮する 移動手段は何にしようか。 新幹線で行くのがもっとも楽であるに違いないが、神戸で新幹線を降りてから田舎への移動や戻りの交通手段を考えると億劫である。 田舎は今では全くの車社会になっていて、バス等の交通手段が昔にくらべめっきり少なくなっているのである。 自分で動ける車がないととても不便だ。 やはり車にしよう。 幸い政府が試験的に実施している休日1000円高速制度は未だ有効だ。 法事は日曜日の昼間だと言うから、土曜日に移動して法事の終わった後、直ぐに引き返せばその日の内に関東に戻れるだろう。 大津SAにて: 琵琶湖を見下ろすレストランでお昼を頂く、左手が京の奥座敷であり天台宗総本山延暦寺が鎮座する比叡山 いつもより早めに起床。 5時過ぎに家を出た。 東名厚木ICを6時に通過。 おおむね順調である。 早朝の高速を走るのはなかなか気分が優れる。 車は中古だが最近手に入れたばかりのメルセデスBクラス、2000ターボ車。 求職活動で必要性を感じて入手したものだ。 特にメルセデスが必要と言う訳ではないが、安全性や造り込みを考えると、Bクラスがこの価格帯では極めて優れていることに気付いた。 私にとって初めてのミニバン、ハッチバック車である。 ファンシーさは微塵もない、シンプルで機能性重視のインパネ。 2重構造フロアで安全性を高めているので運転席は高いが、その分視界が広く運転し易い。 背高のっぽの外観特徴を与えている所以だ。 室内空間は驚くほど広い、特に後部座席の広さに驚く。 ドイツ車独特の剛性、これが実は私が最も気に入っている部分だ。 日本車では高級車に装備されているESP(横滑り防止システム)も標準装備されている。 勿論ABSは言うに及ばず。 ABSは確実に運転の安全度を増してくれる実経験を持つ。 BクラスはAクラスに比べ車幅、車長が伸び室内が広いのが特徴だ。 ラゲージルームも506リットルと余裕、後部座席を倒せば1600リットルも確保できる。 もう一つドイツ車を選んだ理由は息子家族が日本に帰った際に運転するのに、これまで慣れているドイツ車にしておけば乗り易いだろうとの考慮も働いたのである。 ちなみに今回片道620kmの距離を走ったが、運転の疲れは全く感じなかった。 小型ながら余裕のあるエンジンパワーと安定した走行性能に拠るところであろう。 さて東名は渋滞も無く7時には富士川PAに到着。 小休止を取る。 30分の休憩後再び本線に戻る。 大した混雑もなく車は順調に流れる。 走行距離が短くなるのと新しい道を走る目的で、今日は第2名神を走る予定だ。 ところが浜名湖辺りから道路状況掲示板に、伊勢湾岸道路 ”亀山ー四日市間、事故渋滞18km、通過に4時間” と出始めた。 これでは第2名神を走る意味が無い。 昔ながらの米原経由の旧名神ルートを取ることにした。 大津SA: 信楽焼きの狸たち 亀山から草津に抜ける新名神を通れば信楽を通過し立ち寄ることもできる 琵琶湖を見下ろす大津SAで昼食休憩。 展望レストランは階下の超混雑状態の売店エリアとは打って変わって静寂さが漂うリッチな空間だった。 お陰でゆったりと食事を楽しむことができた。 大津は昔自衛隊で3ヶ月の初等訓練を受けた場所だ。 初めて島を離れての集団生活。 座学と実技訓練が織り交ざった寮生活だったが、その生活や訓練が別段厳しいと感じた覚えはない。 背嚢を背負いウインチェスターのライフルを抱えて比叡山の山道を何度も昇り降りしたのを覚えている。 基地は湖面に面した場所にあり、訓練の合間、静かで豊かな琵琶湖の湖面を眺め、我が身と日本の国の行方をあれこれ想い描いたことが既に老いを感じる齢になった我が脳裏に蘇る。 思えば短くも長くも幸せな時を持てたものだと、ひ弱な我が身をこれまで性懲りもなく支えてくれた世間に感謝の念が湧く。 明石海峡大橋: この橋を渡れば淡路島: 神戸市舞子と淡路市岩屋を結ぶ全長3,911mに及ぶ世界最長の吊り橋 ケーブルの直径は1.12m、1本で6万トン、腐食防止の為表面をゴムで覆い内部に脱塩乾燥した空気を送っている 大津SAを後にし名神を更に下る。 大阪に入る手前の吹田JCTで中国自動車道に乗り換える。 以前は名神を最後の西宮迄乗り阪神高速に乗り継いでいたが、阪神高速は常にどこかで渋滞が発生しており高速の効果を得られない場合にしばしば遭遇していることもあり、今回は中国道を取ろうと思ったのである。 三木JCTで本四道に乗る予定を間違って西宮山口JCTで阪神高速北神戸線に乗ってしまった。 まー良いか、どの道本四道に繋がる垂水JCTに出るのだから。 アクセスロードが何重にも皮が被さるような形状から玉葱ジャンクションと呼ばれる垂水JCTを過ぎ、長いトンネルを潜ると世界最長の吊橋明石海峡大橋が始まる。 今は赤字で運行が廃止になった明石海峡を結ぶたこフェリーがあった頃は、橋を車でアッと言う間に渡ってしまうよりフェリーに乗り船上から橋を下からゆっくり眺めながら海峡を渡るのがお気に入りだったが、今は残念ながらその風情を楽しむことはできない。 御食国(みけつくに)の評判メニュー: 海鮮丼 地元、瀬戸内海の新鮮なおさかなが山盛り 御食国は旧カネボウの煉瓦工場をレストランに改装したものである、外観内装共すこぶる感じが良い 明石海峡大橋を渡り、ハイウエーオアシスで小休憩。 我々元島民には明石海峡を渡りハイウエーオアシスに着くと島に戻ったという特別な感情を抱く。 義父母に電話を入れる。 実家に行く前に少し時間があるので義父母にご挨拶をすることにした。 お二人とも健在でありがたい。 ハイウエーオアシスを出て直ぐのインター東浦ICで一般道に下りる。 高速を走るより昔ながらの海沿いの国道を走るほうがずっと良い。 ノスタルジックな感傷にふけるとでも言ったらいいのだろうか。 遠い昔のイメージを今の景色に重ねながらゆっくりと島のドライブを楽しむ。 洲本に着き、儀父母宅にお邪魔し少しの時間、好物の珈琲を入れて頂き、お二人のお話を伺う。 少し遅いが母の日プレゼントに早めのささやかな夕食を土地のレストランで御招待させていただいた。 旧カネボウ工場のレンガ棟がレストランに改造され営業している。 感じの良い外観とシックなインテリア、料理は勿論地元瀬戸内海の魚を使ったものだ。 評判メニューである海鮮丼を頂いた。 瀬戸内の海の幸が山盛りの丼に舌鼓を打ちひと時を楽しませて頂いた。 義父母にお会いするのは昨年の夏米寿祝いの際お会いしてからだから、既に一年近く前になる。 本当はかみさんが一緒ならもっとよかったのであるが、今回は都合で私一人になってしまった。 義父母にしてみれば当然わが子が来てくれるほうがどれほど良いか、内心少し申し訳ない気分が湧く。 苗代: 田舎では田植えの準備が進んでいる 昔とは違い、今は全て田植えは機械植えだ、苗も機械植え用に育てられる 実家には暗くなる少し前に着くことができた。 親父は既に91歳になるが現役の百姓である。 素晴らしいことだ。 働くことの尊さを今更ながら教えられる思いがする。 やはり昨年の夏以来役1年ぶりだ。 少しも変わらない。 現役と言えども流石に高齢である。 主だった農作業は末弟夫婦に任せているが、自分の身体が動く範囲のことをこなしているのは凄いことだと思う。 翌日は昼前に兄弟達が其々子供孫達を連れてやってきた。 たちまち賑やかになる。 なにせ大家族である。 一同に会せば大人数になる。 今回も22名になった。 全員が集まったので裏山のお墓へお参りに向かう。 お墓にあった大きな松の木は、残念ながら今は松食い虫にやられて枯れてしまった。 お参りを済ませた後、皆で仏壇の前で故人と一緒に供養のご馳走を頂く。 久しぶりの集合だ。 集合写真を撮った。 生憎所用で写真撮影前に3名が帰ったので写真に納まったのは19名になってしまったが。 久しぶりの四方山話もそこそこに、その日の内に関東に戻る為、後ろ髪を引かれる思いで席を後にした。 家族に乾杯。 仏壇の前で故人と共にごちそうを頂く 子や孫達も集まり親父を囲む、大勢である(これでも4人は都合でこの写真には入っていない)
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