東洋のナポリ、江戸の昔から温泉保養地として名高い。 又、講談の ”寛一、お宮” の舞台としても良く知られている。 相模灘に迫る急峻な山と海岸に挟まれた国道135号は、熱海港と市街に挟まれ縫うように走る。 熱海ビーチは、駐車場公園が完備され、一次期のような芋の子を洗うような賑わいはない。 ベンチに座り、ゆっくり熱海港のマリーナに浮かぶヨットやクルーザー,
或いは太平洋の海原と背後に迫り来る緑豊かな山々を楽しむことができる。 渚公園から急な坂道を上ると、JR熱海駅がある。
駅とビーチの坂道の中ほどに面白い案内看板を発見した。 ”豆相人車鉄道” の駅舎跡看板だ。 その看板は、今は相模灘を見下ろす観光ホテルの玄関横にひっそりと立っている。 ”豆相人車鉄道” など始めて知る次第である。 熱海と小田原を結ぶ、25kmの鉄道であったらしい。 明治29年(1896年)開通している。 6人から8人のお客を乗せ、3人の人夫が押して運行したらしい。 人が押すならば、余程平坦な鉄道にしなければならない。 また何回か交代していたかも知れぬが、人力とはやはり凄い。 先人の知恵と力には、ただただ敬服する。
14/Jul/'02林蔵@神奈川 (Updated on 11/Apr/'08)#114 |
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