初詣
@Jan/'08 多摩, 東京
中央公園の北角、鎮守の森に囲まれた神社
多くの土地の善男善女が初詣に押し掛ける
1月1日、元旦。 フランクフルトから帰省している息子一家と初詣に出かけた。 近くの中央公園のなだらかな丘陵の切れる辺りに丁度土地に馴染んだ大きさの神社がある。 神社は松、すだじい、杉、こなら、もみじ、つばき、熊笹等の木々に囲まれ昔ながらの生態系鎮守の森を形成している。 境内では昨年1年お世話になったお札や破魔矢等の護摩が行われている。 普段はひっそりしている境内が、多くの善男善女でにわかにごったがえしている。 日本の正月風物の一つだ。
本殿の前には長い行列が出来ている。 参道は短い。 境内から急な石階段が数十段鎮守の森を下って道路に通じている。 この石階段が言わば参道だ。 境内から石階段を見下ろすと行列は下の道で折れ曲がり、坂上に向かって伸びている様子。 行列の最後尾に着くべく石階段を下った。 石階段を下りきり、坂上を見ると行列は延々と続いている。 日本人の篤い信仰心の現われだろうか? よく考えるといよいよ日本人は特異な人種に見えてくる。 極東の小さな(ヨーロッパの国々やアジアの多くの国に比べると決して小さいとは言えないが。)島国でありながら世界第2の経済力を創り出し、神仏を同時に拝み、神代の時代から途絶えることのない皇室を持ち、外国では遺跡と呼ばれる設備が今なお現役でその機能を果たすべく維持している。
高幡不動尊金剛寺の初詣人出
真言宗智山派別格本山
草創は古文書によれば大宝年間(701)以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられる
古来関東三不動の一つに挙げられる
ローマ帝国、ビザンチン帝国、秦、ガンダーラ、ペルシャ帝国、プトレマイオス朝、元、等等何れも華々しく時代を飾ったがその産物は、全く新しい文明の担い手に拠って継承されて行く。 日本程統一性の取れた、早くからデモクラシー精神が芽生えた国は他に例を見ないのではないだろうか。 604年世界初の17ヶ条の憲法が制定された事一つとっても大変に進んだ国と言わざるを得ない。 何しろ、巷で言う世界初の成文憲法であるアメリカ合衆国の憲法は、わが国のそれより1200年も後の1788年にようやくこの世に現われるのであるから。
行列の最後尾に並び、牛歩にも劣る速度で本殿へ向かう。 日和こそ良いがこの寒空に長蛇の列に居ても誰も文句など言うものは居ない。 むしろこれもご利益の一つとしてありがたがっている様子さえ見える。 参道である石階段の前に辿り着くのに1時間程の時間を要した。 石階段を上る脇に、神社の由来を説明した案内板がある。 この神社はいつからここにあるのか実ははっきりしないらしい。 が、少なくとも平安時代を下ることはなさそうである。 実に1000年以上もの歴史を持つ。 これは、日本では殊更珍しいことではないであろう。 神社は神代の時代から、仏寺は仏教が渡来して以来、途絶えることなく日本に居付いているのだから。
案内板の最後にこの神社はイザナギとイザナミを祭ると記してある。 イザナギ、イザナミとは日本を造った男神と女神である。 国産み・神産みの神様として知られている。 両神は日本国土を造る多くの子を儲けられた。 淡路島を筆頭に、四国、本州、九州等の島々、石・木・海・水・風・山・野・火等森羅万象の神々をお造りになられた神様である。 そのような神代の時代から切れ目なく歴史を語れるのはわが国くらいではなかろうか。 これは、空恐ろしい程の幸運と言わねばならないのではないだろうか。
イザナギ、イザナミ
(Wikipediaより)
いざ本殿の前に来た時、ふと我に返り、家族の健康や健やかな育ちを平凡な気持ちで願った。
林蔵@ 多摩 東京 1/Jan/'08 (Updated on 4/Jan/'08)#298