日本3大名園の一つに数えられるほどの名庭園である。 水戸藩9代藩主の斉昭公が水戸藩の藩政建て直しの一事業として建設したものらしい。 藩の民皆と楽しむ為に建設した庭と言われる。 又2代藩主、光圀公は水戸黄門として余りに有名だ。 そんな水戸を、バイクで仲間と訪れることにした。
偕楽園から小川のような沢渡川を隔てて反対側にある偕楽園公園センターで水戸藩にまつわる前知識をインプットする。 センター内では名物おじさんらしき初老の侍風紳士が、偕楽園や水戸の歴史を、板に付いた早口でまくし立てる。 水戸を大変誇りにして居て、年老いても衰えぬ豊富な知識をよどみなく披露してくれている。 近くに徳川博物館があることを教えてくれた。 何でも興味を待つ仲間である。 早速訪れた。 受付が大変モダンな造りなのに驚く。 1000円の入場券を買い内部を拝見。 丁度、徳川家の雛人形展を特集で行っていた。 昔の手の込んだ職人芸を見事に成就させた作品が数多く展示されている。 博物館で何時も思うのだが、このような品物は、当時は極限られた特権階級しか手にし楽しむことができなかったであろう。 しかしこれ程芸術性の高い品物が作られたのは、やはり文化であり、そのような文化は一握りの金に糸目を付けない特権階級が要求しない限り、生まれないものかもしれない。 洋の東西を問わず、飛び切りの芸術価値は、強力な特権階級が生まれた時と同じく創出されているように思う。
偕楽園を楽しんだ後は、市内にある弘道館を訪れた。 これも偕楽園公園センターの名物おじさんに教えてもらった場所だ。 ここもやはり9代藩主斉昭が藩の建て直しを掛けて、旧武家屋敷を全部打ち壊し、新しく教育の場として建設したものと言われる。 その中心的な建造物がこの弘道館であった。 綺麗に保存されており、歴史解説ボランテイアーが訪れる人々に優しく説明してくれる。 ここに掲げられている言葉が気に入った。 “芸に遊ぶ” なかなか水戸藩らしい言葉ではないか。 人間の心の奥底を見据えた言葉だと思う。 ちなみに芸とは、音楽、弓、礼、書、馬術、数学の6芸を言う。 弘道舘は、徳川幕府最後の将軍、15代将軍、慶喜が若き頃勉学に励んだ場でもあり、大政奉還後、謹慎した場でもある。
水戸の文化と歴史を堪能した後は、銚子に向け鹿島湾岸沿いに南下。 銚子の地球が丸く見える丘公園にあるカフェに辿り着く。 丁度大きな太陽が西の水平線に沈もうとしていた。 真っ赤に染まった日没がコーヒーの味をこの上なく旨くしてくれた。
21/Mar/'03 林蔵@茨城 (Updated on 25/Nov/'10)#148 |
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