関空
@Mar/'02 関空 大阪


関空のターミナルビル内: 国内便出発ロビー


江尻の叔父が昨年、私がオーストラリアへ出張中に亡くなった。 江尻の叔父には幼い頃から随分お世話になっている。 親父の出所で、今思うと嫁の里帰りよろしく、親父は良く江尻に行っていたような気がする。 淡路と言えども、私の実家は島の中心部、海の香りは珍しい。 江尻の家の裏は潮の満ち引きによって流れが変わり、水位が変わる三原川が深い入り江のようになっている場所にある。 潮の香りがぷんぷんする処だ。 三原川では海の魚 べら が良く釣れた。 岸辺には無数の磯蟹が泡をふいている。 小学校の夏休みには, 山がから江尻の親父の実家に行くのが、潮の香りと三原平野の広々とした土地に行くのが、たいそうな楽しみであった。 高校を出てからは、田舎に帰る機会も年々減り、ついつい江尻の叔父とは疎遠になりがちであった。 その叔父の向かわれが3月にあると親父から電話があった。 滅多に電話などよこさない親父が電話をしてきたのは、よっぽど来て欲しいと言う思いがあったのであろう。 二の返事で行くと答えた。 



羽田ビッグバード: かつての国際空港は国内線空港になった
交通の利便性から言えば、ここを国際空港とすれば、アジアから、世界から少しは魅力的に見えるのではないか



田舎へ土日を利用して行くとなると、新幹線か飛行機になる。 バイクで行きたい気持ちはあるが、時間が掛り過ぎる。 こんな場合、費用の事など考えるべきではないが、いまだに貧乏な育ちの癖は抜けきらない。 幸い航空会社のマイレージが溜まっていたので、マイレージで航空券を購入した。 仕事では海外へ頻繁に出かけるが、国内便に乗ることは滅多にない。 数えてみれば今回が3回目だ。 関空は大阪湾に浮かぶ人口島にある。 人口島の埋め立て用土砂は淡路島と六甲山を削ったものだ。 淡路島へは空港の港から高速船が出ている。(赤字経営が続き、現在は無くなっている。) 空港島橋を渡り、岸和田ー大阪ー神戸ー舞子ー明石大橋ー淡路島と言う陸路ルートもあるが、 この陸路は随分遠回りで時間が掛る。 高速船は40分で一気に洲本港へ行けるので便利だ。 料金は片道¥2,500と割高だが、出航時間さえ上手く飛行機の到着時間に合えば便利である。



 羽田空港、多摩川、富士山遠景


8時10分羽田発の便を取った。 久しぶりの国内線、しかも羽田を利用するのはビッグバードになってから始めてである。 少し早めに空港に行っておこう。 羽田迄2時間として、朝5時には相模原の自宅を出る。 もう少し遅い便を取れば良かったと後悔しながら、JRと京急を乗り継ぎ羽田へ向かう。 京急は羽田空港の地下深くもぐり、ビッグバードの直下迄伸びている。 当然と言えば当然であるが、昔、羽田が唯一の国際空港であった頃を思えば夢のようだ。 最近は建物の中が空洞で、吹抜けになっているデザインが流行のようだ。 チェックインは、駅の案内マシーンのような自動チェック・イン・マシーンで済ませる。 未だ十分時間の余裕はある。 空港内のレストランでモーニング・メニューを注文した。



横浜港、ベイ・ブリッジ、翼橋と富士山遠景


JAL343便は定刻に飛び立った。 席はいつもの窓際だ。 羽田を発つと東京湾を南下し、三浦半島の先端を回り西へ向かう。  三浦半島、城が島の地形が手に取るように見える。 途中、雲が出てせっかくの窓際席で外の景色を楽しむ訳には行かなかった。 関空に近ずいた。 紀伊水道の南から大阪湾に入る。 関空の第二滑走路の工事が進んでいる。 埋め立て用の砂利を満載した砂利運搬船がじゅじゅ繋ぎに滑走路予定地に向かっている。 関空に降りたった。 懐かしい関西弁が辺りを埋める。 関西弁の中に入ると、関東では味わえない、なぜか落ち着く気分になる。 人工島の地盤の沈下は予想以上らしいが、あの阪神淡路大震災にも十分耐えた造りは、さすが日本の最新の土木技術は立派だ。 ターミナルビルはここも中空が吹きぬけになっていて大変解放感がある。 機能美に輝いていて気分が華やぐ。 だが良いことばかりではない。 日本は全てが高コスト体質になっていて、華やかな空港も軒並み赤字にあえいでいる。 世界一高い発着料。 アジアの他国に地域のハブ機能を取られそうだ。 そう言えば、息子が勤めている会社は自社のボーイング737を保有しているが、日本の空港の駐機料が馬鹿高で、シンガポールに航空オペレーション部があると言っていた。



厨子、鎌倉材木海岸、江ノ島: 関東の夏のバカンス地



空港島の港は当然島の端にある。 ターミナルと港の間には専用バスが運行している。 バス料金は高速船乗船券に含まれているとバス停の注意書きにあった。 高速船は経営が苦しく一時サービスが無くなっていたが、最近便数を減らしサービスを復帰したとのことだ。(だが、それでも経営が成り立たず、終に廃業になった。) 今日は休日のせいか客は割と多く、バスは満員になった。 高速船は40分きっかりで洲本港に接岸。 洲本港のターミナルビルは綺麗なビルになっているが、中はがらんとして人気が無い。 土産屋兼軽食コーヒー・ショップ゚が1軒開いている。 実家のある堺へ向かうバスは、1日に5便程度と少ない。 次のバスを待つ間、このコーヒー・ショップでアンパンとコーヒーを注文し、時間を過ごす。 港に面した窓からは、昔とさほど変わらぬ洲本の市街とその背後に屏風のように迫る三熊山。  山頂には、江戸時代蜂須賀候の居城であった三熊城の天守閣のみが復元され、その姿を森から突き出している。 お客は一人、車の音も殺到のざわめきも無い。 この静かさは田舎の家に居る時と共通する。




芦ノ湖: 関東のお手軽行楽地


ようやくバスの時間になる。 乗客は2人だ。 これでは商売になるまい。 車社会化が田舎にもすっかり浸透し、バスを利用する人達はますます少なくなっているらしい。 



天竜川河口: 明石山脈と木曽山脈に囲まれる恵那谷を流れ「る暴れ天竜」


法事は、江尻の親父の実家で行われた。 期せずして兄弟7人全員が揃っているのに気付く。 こんな機会でもなければ、7人全員集まることが無い。 親父も上機嫌だ。 今では滅多に会わない、江尻の親戚の方々にお会いする。 名前も、顔も判らない人が多い。 でも相手の方々は私を知っている模様。 お寺のおじゅっさん が家の中に設けられた仏壇の前に座る。 法事のお教を唱える前に、集まった人達に法話をして下さる。 おじゅっさんの法話は短く判りやすい。 法話が終わり、お教が始まる。 堺の実家で唱えていた ”真言 ” とは違ったお教だ。 知らない人達も居るのを見越して、お教本が全員の分用意されている。 お教が始まる前に全員に配られる。 なかなか親切な心配り。



久しぶりに親父と兄弟全員が集合


田舎のことである、法事の後は大宴会となる。 宴会はバスで30分位の処にある料亭に席が用意されていた。 うめ丸と言うリゾートホテルを兼ねた大料亭だ。 うめ丸とは江戸時代瀬戸内海で活躍した、淡路の西端にある丸山魚港で鯛を専門に上方(大阪)へ運んだ、船の名だそうだ。 瀬戸内海で取れる海の幸、特にこだわりの鯛を名物料理とする料亭だ。 そのうめ丸の送迎バスで会場に向かう。 鳴門海峡の瀬戸内海側、静かな内海と海峡に掛る大鳴門橋を見下ろす松林に囲まれた高台にある。 大広間の宴会場からの眺めが絶景だ。 帰りの飛行機の時間を気にしながら、山盛りの新鮮な瀬戸内海の幸と窓の外に広がる景観を楽しみ、たまにしか会わない親戚の方々の昔話に耳を傾ける。

関空への高速船の時間ぎりぎりまで昔話を懐かしく聞き、末弟に高速船の出る洲本港迄、彼の車で送ってもらった。 高速船は最終乗船案内をしていた。 乗船券は来る時、往復券を買ってあったので、そのまま船に乗りむ。 船はロープを解き直ぐ出航した。 島の静かで平和な生活がいつまでも続くことを願いながら島を後にした。



機能的な関空: だがコスト高でアジアのハブとなる競争力は弱い





16/Mar/'02 林蔵@兵庫 (Updated on 14/Mar/'08)#086

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