元離宮二条城 @May/'10 Kyoto, Kyoto 二条城、二の丸御殿: 車寄、牛車で入れるデザインになっている [世界遺産 古都京都の文化財 文化遺産 1994年登録] 京都府京都市・宇治市、滋賀県大津市に存在する対象となる複数の寺院等を総称して登録した。賀茂別雷神社 (上賀茂神社)、賀茂御祖神社 (下鴨神社)、教王護国寺
(東寺)、清水寺現在は分離している地主神社を含む、延暦寺、醍醐寺、仁和寺、平等院、宇治上神社、高山寺、西芳寺 (苔寺)、天龍寺、鹿苑寺 (金閣寺)、慈照寺
(銀閣寺)、龍安寺、西本願寺、二条城 を含む。 二条城は京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある江戸時代の城である。徳川家康の将軍宣下に伴う賀儀と、徳川慶喜の大政奉還が行われ、江戸幕府の始まりと終焉の場所でもある。(ウイキペデイアより) ガーナからの一時帰国は短い。 だがこの機会を逃すまい。 バイクで訪れる計画だった。 ところが、車検に出したバイクが間に合わない。 仕方なくバスを利用することにした。 時間と費用削減の為である。 バイクで出かける計画とほぼ同じ時間帯を利用してバス便で行けることがわかった。 前日夜、ネット予約が取れた。 東京駅発だ。 暫く来ない内に丸の内は随分変わった。 明治18年、三菱商会(後の三菱財閥)2代目岩崎弥之助が苦渋の決断の後、兄、弥太郎が竜馬の海援隊の遺志を、国利民福を胸に引継ぎ創業した海運業を手放し(政府出資会社、共同運輸会社との半強制合併)た後、海から陸に目を向け、丸の内にロンドンを、と呟いたことが、今に生きているかの如くだ。 さて実際バスに乗車してみると、乗客はまばら。 空席が目立つ。 中央高速経由の京都駅行きだ。 実は、バイクで出かけるのは少し不安があった。 身体に別段支障は無いが、最近老いもあってか、時差が中々取れないのだった。 ガーナとの時差は9時間。 昼間、突如眠気に襲われるのである。 バイクでの長時間運転は少し不安があった。 バスなら安心。 フル・リクライニングの個別席に身をゆだねて置けば良いのだから。 かくして、高速バスの乗客となった次第、楽チンである。 京都市役所: 流石国際都市京都、幾つもの言葉で表記されている 宿はいつもの某航空会社のホテルをネットで取った。 京都にもその宿は4条通にある。 せっかくの京の宿である。 朝食を少しゆっくり目に取る。 そしていよいよ街に繰り出す。 が、生憎、曇り空。 天気予報によると今日はこれから雨になるらしい。 ガーナから帰ったばかりで、身体が熱帯に慣れているせいか、少し気温が下がるだけで寒く感じる。 寒さを紛らす為、京の街をせっせと歩く。 今回の訪問地は二条城、本能寺、高台寺、壬生寺と絞っている。 本能寺: 山門は商店街アーケードに面している 本能寺は京都市役所の直ぐ南にある。 今は商店街の一角にまるで遠慮をするかのごとく佇んでいる。 戦国時代の超人的個性と稀有な才能を持って時代を変えた男。 信長は今の道徳からすれば随分と無茶な無理なそして無謀なことを多々行っているかもしれぬが、今も昔も人は理性のみでは動かぬことをみれば、世は戦国時代、国をまとめ、民を救う大計を成すには、これもある意味仕方なかったことではなかろうか。 しかし天才であれど、それ以前に人間であった彼はやはり完全ではなかった。 彼ほどの天才である。 飼い犬が時に主人を噛むことは百も承知であっただろう。 信長なりに、常に斬るか斬られるかのぎりぎりの琴線状態を周囲の人達との間に保とうとしていたのだろうか。 斯くも人間と言う動物は面倒で厄介なものだ。 古代ローマの有能ながら謀反に倒れた多くの皇帝もしかり、彼の横死を今更ながら残念に想う。 雨が降ってきた。 小さな折り畳み傘をリュックに入れてあった。 傘を取り出し、2条通りを二条城へ向かう。 京の街は古の時代から碁盤の目の如く通りが整備されており、至極分かり易い。 地理に弱い筆者には大変有り難い。 二条城: 外堀 世界遺産看板: 古都京都の多くの文化建造物と共に1994年に登録された 二条城、車寄: 見事な欄間、貴人は牛車でもの門を潜った 700円の拝観料を払い内部へ足を踏み入れる。 ここにはかつて来たことがあるだろうか。 どうも思い出せない。 初めてのような気がする。 ゆっくり見せて頂こう。 車寄せの立派な飾り門を潜るとそこは牛車から貴人が乗り降りする為の広い空間がある。 ここで現代の見学者は靴を脱ぐ。 廊下は鴬張りだ。 特別文化財に直に触れている感じがとても良い。 就学旅行客も多い。 昔の自らの姿を垣間見る思いだ。 齢は重ねているが青春は失うまいとだだを捏ねている筆者であるが、気持ちこそ大事だと今でも想っている。 熱中するものがあり、前向きであり、好奇心とときめきを忘れまいとしよう。 各部屋には短い説明文の古びたたて看板がある。 どの部屋のふすまにも大胆な狩野派の松を中心とした絵が目に飛び込んでくる。 絵は実物を見ないと感動は沸かない。 その大きさ(時に小ささ)が問題なのだろうか。 教科書や説明書では当然ながら大きさを感じることはできない。 細かい講釈等する知識はさらさら無いが、素直に素晴らしいと感じることができる。 二条城、大広場外観: 雁行する二の丸御殿の真ん中に位置する この城は徳川幕府発足と終焉を見届けた城だ。 特に15代将軍の大政奉還をした大広間をこの目で見るのは圧巻だ。 慶喜はいったいどんな想いを胸に抱き大政奉還を発表したのであろうか。 一部では意気地なし、愚弄と評される慶喜であるが、私はその勇気で日本国を一大戦乱の渦から救ったことに敬意を表したい。 幕末の世、もう幕府では日本の世は立たぬと見抜き、自らの政権を葬った英知と勇気は大きい筈だ。 だが私の疑問は残る。 慶喜が並居る大名達の前で大政奉還を発表した際、誰一人としてそれに刃向った者は居なかったのだろうか。 それ程迄に幕府は地に落ちていたのだろうか。 250年間、事なき主義で生きることを強いられた侍の限界だったのだろうか。 二条城、二の丸庭園 二条城、内堀 幕末の日本に想いをはせながら二の丸をゆっくり見せて頂いた。 二の丸庭園に入る。 松と池を基調にした日本庭園。 米国日本庭園専門詩で第10位にランクされた庭らしい。 筆者には、どの庭園も素晴らしく見え、ランク付け等さらさらできないが。 今は天主の無い本丸が外堀と同じ形の内堀で囲まれている。 二の丸庭園を北側に出ると、そこは清流園庭園になっている。 この庭は最近(大正時代)に造られた庭だそうだ。 江戸時代には、多くの建物が軒を並べていたらしいが、明治になり取り壊され、大正天皇の即位餐宴会場が設営された。 その跡地に庭師小川治兵衛により疎林式庭園が造られたものが現在の清流園だそうだ。 米国日本庭園専門誌で第5位にランクされている庭園だと言う。 様々な茶会等にも使用されるようだが、幸いこの日は一般のお客が入れる日だった。 早速、庭園を愛でながらお薄を頂いた。 先客に外国からの若い男女が4名神妙に正座をして、やはりお薄を頂いている。 正座はまだ慣れていない様子。 正座はつらいにしても、日本庭園の美しさとお茶の味を分かってもらえただろうか。 二条城、清流園: 米国日本庭園専門詩で5位にランクされている 八坂の塔 高台寺山門 京都霊山護国神社鳥居: ここからが維新の道、鳥居を潜り右手が翠紅館跡 京都霊山護国神社鳥居。 この鳥居を潜り、坂の直ぐ右側に幕末志士の寄り合い場となった翠紅館跡があり、左手が高台寺だ。 上り坂を上ると竜馬や中岡慎太郎の墓がある。 時刻は4時を過ぎており、多くの寺院や博物館は既に閉館されている。 それらの寺院を外側から眺めながら当時を偲び、雨上がりの路地を歩いた。 京都にはもっと時間を費やすべきと思いながら。 維新の坂: 京都霊山護国神社の鳥居を潜ると上り坂になる。 翠紅館跡: 幕末志士の集合場所になった 京都タワーホテル: 地上階のスタバでバスの時間待ち すっかり帳が降りた京の街。 東京行きの夜行バスは深夜23:30発。 京都駅周辺、地下の店は殆どが22時で閉まる。 もう少し遅くまで営業しているカフェはないだろうか。 地下のスタバで営業時間を尋ねる。 やはり10時だと言う。 その若い男性スタッフは、親切にもタワーホテルのスタバは11時迄やっていると私に教えてくれた。 タワーホテルのスタバへ入った。 照明も申し分ない。 海外のカフェやレストランでは極端に照明が暗い店が概して多いと感じるのは筆者だけだろうか。 最近はカフェでも全席禁煙席とする店が増えた。 ここもそうだ。 タバコの煙はあまり気にならないほうだが、無いほうがもちろん気持ちが良いに決まっている。 カフェのこのざわざわ感はガーナでは味わえない。 このざわざわ感が好きだ。 しばしの時間その感じを楽しもう。 カプチーノを注文し、書店で買い込んだ出張用の雑誌を広げる。 南アルプス: 高速バスから、天竜川沿いに細長く開ける新緑に萌える伊那盆地と雪を被る南アルプス連山を望む
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