ヒルトン小田原 リゾート&スパ @Jan/'11 小田原, 神奈川 6年前に大々的なリノーベート後、ヒルトン リゾート・スパとして開業したそうだ 相模湾を眼下に見下ろす絶景のロケーションに温泉サナトリアム付の高級ホテル 年中行事になった、娘一家の家族旅行に、有難いことに今年は同行することになった。 1月のその日は雲ひとつない冬ばれ。 小田原から湯河原へ向かう海沿いの国道135号からは左側に紺碧で静かな相模湾が横たわる。 根府川駅から急峻なみかん畑を縫ってヒルトン小田原への道はつずらおりに続く。 やがて上りきった丘の上に広大な敷地を占めるヒルトン小田原の威容が目に飛び込んでくる。 今日の部屋はこの施設で一番広い部屋を取ってある。 部屋は建物中央部の曲がり部3部屋を1部屋にしたもので、真ん中がリビング風にし両脇に寝室が並ぶ大変くつろげる間取りになっている。 何より部屋からの眺望が素晴らしい。 良く晴れていたこともあり、紺碧の相模湾が180度の広がりを見せ、左は小田原市街、三浦半島から、中央に大島、右に真鶴半島を眼下に見渡せる。 さながらリビエラの保養地に来たかの如くだ。 小田原城正面: 学(まなび)橋 せっかく小田原に来たのである。 ホテルに行く前に、戦国大名北条氏の居城、小田原城を見学してゆこう。 室町時代後期の乱世時、8代将軍足利義政の弟、義視の執事、取次衆であった伊勢新九郎長氏(北条早雲)が稀有な運命のからくりから関東を制し、関東最大の堅牢を誇る城とし、その拠点とした小田原城。 混乱の世を立て直そうと、純真で切なる思いが皮肉にも戦国時代、下克上の幕を開け、そして秀吉による小田原城の落城が戦国時代の幕を閉じると言う時代のパロデイーを演じる結果となる。 その城には、今に当時の規模と早雲以下、北条五代の時代に憤る息遣いが、そして兵どもの喧騒が聞こえてくる気がする。 銅(あかがね)門: 門扉は銅板で装甲されている 多くの家族連れやカップルが訪れている。 小田原の観光一大スポットだ。 西洋のカッスルと比しても決して引けを取らない立派な造りをしている。 練兵場、藤花や四季の草花をあしらった日本庭園、機能と風流を融合させた見事な一大芸術作品とも言える。 無私と潔癖を貫いた武士道精神が浮き彫りにされる。 西洋に勝る高い道徳心、自己鍛錬、教養を垣間見る思いがする。 城内に小さなレストランがある。 丁度お昼時だったので入った。 北条茶漬けを頂いた。 北条氏の家紋入りの器で頂いた。 大きな三角形の焼きおにぎり2つに小田原梅が家紋付の小田原漆器に入った茶漬けだった。 器と言い、茶漬けと言い美味しく頂いた。 銅門付近の城壁に穿たれた射撃口 城内の梅も既に2~3部咲き 小田原城最大の門、常盤木門 門は2~3重に設けられており互いに複雑に入り組んでいる 敵の侵入を難儀にする為の工夫だ 常盤木門の前で 皮肉にも戦国時代下克上の幕を開け、そして閉じた戦国大名、関東の覇者北条氏の居城天守閣 早雲は小田原城制覇後も普請の指揮や指導はすれど、伊豆韮山の居城を常とした 秀吉をして兵糧攻め以外になすすべがなかった ヒルトン小田原の部屋から紺碧の相模湾を望む、さながらリビエラの保養地 地球が丸いのが見えるようだ 部屋から相模湾と真鶴半島を望む ヒルトン小田原、車寄せ この時期、日本に居たお陰で、思わぬ小旅行にめぐり合い満足の至りである。 家族に感謝、そして多くの心の篭ったもてなしに感謝。
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