戦車道路
@Mar/'08 多摩, 東京



全長8kmのかつての戦車道は、きれいに整備され細長い尾根緑道となっている


1945年3月10日、325機のB29が東京上空に大挙して現れた。 大量の焼夷弾で東京は無残にも焼け野原と化した。 多くの一般人が被災に巻き込まれた悲惨な出来事であった。 あれから半世紀以上の年月が流れた。 私を含め現在の多くの日本人はそのことを忘れ去ろうとしている。 戦争は決して繰り返してならないと硬く誓わなければならないと、改めて襟を正したい。 エネルギー源の90%以上を、殆どの工業原料を、食料の60%を海外に依存するわが国。 世界との平和共存は切っても切れない関係にある。 複雑に絡み合った国際情勢の中で、日本の奇跡を維持発展させる為にも、地球を労る気持ちで日々生きて行きたい。 日本のあり方、果たす役割を個人のレベルでも実行し、便利さは求めても無駄や余計な贅沢は慎みたい。 巷には平和を謳歌し、日本が世界に置かれた現代の危機的状態をややもすると見失う者も少なからず居るようにも思う。 東京大空襲の日に気持ちを新たにしよう。



梅雨時の戦車道路は緑滴る緑道の名を欲しいままにする


多摩市と町田市の境、多摩丘陵の南端に細長い尾根がある。 戦時中、旧陸軍相模原造兵廠で整備された戦車の走行試験に供されていた道だ。 戦後、暫く放置されていたようだが、現在は町田市、東京都が整備を行い、市民の憩いの尾根緑道としてすっかり生まれ変わっている。 戦車が走り回れる規格の道だ、相当広い。 この道が戦車道路であったことを肝に銘じて、2度と戦車道路として使わないと心に誓って、森の緑を守って行きたいものだ。



雑木林が切れる場所からは相模原市街を眼下に、丹沢や、富士山がバックに連なる


24年前、相模原市に引っ越してきた。 戦車道路は、家の前の境川を越えた直ぐ前の丘陵の尾根がそうであることは、引っ越した当時から話に聞いていたが実際に行ったことはなかった。 秋、中秋の名月の頃、戦車道路に行けば立派なススキが取れるとも聞いたがやはり行くことはなかった。 極最近である、戦車道路に自転車で乗り入れてみたのは。 尾根道路と言うだけあって、雑木林の中をぐねぐねと曲がりながら続く道のアップダウンは少なく、遠景の見晴らしもすこぶる良い。 富士の峰、 丹沢山塊、奥多摩山塊が一望に見渡せる。 自然の雑木林に加え、戦車道路沿いには様々な花木が植え込まれている。 紫陽花、山茶花、そめいよしの、椿、かえで、はなみずき、ヒイラギ、ナンテン、等など。 



戦車道路沿いに植え込まれた紫陽花


最近、多摩市に引っ越した。 この戦車道路からは少し遠のいた位置になるが、逆にこの戦車道へ来ることが多くなった。 8kmに渡る森は貴重な緑地だ。 これ以上切り取らないで残してほしいと、そして、この道が再び戦車道路として使われることの無いことを、切に願ってやまない。
 






林蔵@戦車道路 9/Mar/'08 (Updated on 10/Mar/'08)#300

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