下田
@Oct/'02 下田、静岡


ペリー上陸モニュメント


幕末、1853年ペリー提督が日本に開国を迫り、日本の国土に初めて上陸した場所である。 下田港の一角にその場所は、記念碑とともに残っている。 山が海岸線に競り寄る伊豆半島に開ける僅かの平地に、古い昔から、村落が発達していたのであろう。 当時の日本政府、江戸幕府は、翌年神奈川の海(横浜)に旗艦ポーハタン号(2,415トン、乗組員300人)で再来したペリーと、遂に通商条約を結び函館と下田を開港することになる。 その後、1859年に横浜が開港されるまでの4年間であったが、下田は日本外交の華やかな表舞台となった。 また当時の人々の無知と無理解が、「唐人お吉」の悲劇を生むことにもなる。



ペリー上陸記念公園: BMW R1100RS


週末のある日、気温23度。 少し馴染んできたバイクBMW R1100RSを駆りだし下田へ行ってみた。 厚木からは相模川の西に平行するR129を南に走る。 国道は湘南海岸に突き当たる。 ハンドルを右に切るとすぐ湘南バイパスに入る。 海を左に眺めながら走るお気に入りのバイパスだ。 10月の風は爽快である。 BMWの高性能を存分に発揮、実感できる道である。 10数kmのバイパスであるが、一気に吹きあがるエンジンの鼓動を充分楽しめる。 国府津のPAで休憩。 朝、少し早めに家を出れば、渋滞は巻き込まれることなく、ここまで1時間一寸で来ることができる。 このPAはライダーが多い。 大型バイクがバイク専用駐車場に入りきらず車用駐車場や、邪魔にならない程度に空地に群れている。



湘南バイパス 国府津PA


国府津PAからは、一気に小田原、早川口に到着する。 早川口で一般道に降りる。 更に海岸沿いに大海原を左手に楽しみながら、湯河原、熱海へと急ぐことなく進む。 伊豆高原辺りのセブン・イレブンで、小休憩。



ペリー上陸地にあった看板


下田迄、殆ど渋滞は無く快調に走ってきた。 稲生沢川の橋を渡り、直ぐ左に折れる。 商店街をゆっくり進む。 目抜き通りを過ぎ、狭い路地をペリー上陸地に向かう。 下田港の片隅にあるこの地は立派に整備され、ペリーの像とアメリカ海軍から寄付された船の錨が、モニュメントとして置かれていた。 訪れる人はまばら、静かに下田港と海にせまる山を楽しむことができる。 海岸沿いに小さな半島の小道を回ると、そこは下田の海中公園の玄関。 再び狭い路地の下田市街地に戻る。 唐人お吉の墓がある宝福寺の境内を拝見した。 数組の観光客にお会いした。 お昼は地元の魚を使ったと、うたい文句の回転寿司屋に入ってみた。 値段は安いが魚は新鮮で心なしか旨い。 (実は料理の微妙な味の違いがよく分からない私なのであるが。)



バス停の下田市案内看板



腹を満たした後は、さー帰ろう。 帰りは伊豆半島の真中を走ることにした。 R414号を山間に分け入る。 このコースは良い。 適度のワインデング、アップダウン、そして車が少ない。 ループ橋を昇り、天城峠を超えた処に道の駅、「天城越え」がある。 休憩に寄ってみた。 何処の道の駅でも同じく、豊富な土地の産物を売っている。 美味しそうなラッキョウの袋詰が有った。 健康食でも有るので一袋買入。 R414を駆けくだり修善寺に出る。 バイパスが完成して、すこぶる簡単に長岡方面に出ることができる。 10月の太陽は早々に姿を消す。 既に馴染み過ぎた感があるR246を相模原の我が家へ家路を急ぐ。



幕末日米交渉時下田奉行都筑駿河守の宿舎となった宝福寺、 お吉もここに眠る







19/Oct/'02 林蔵@神奈川 (Updated on 1/May/'08)#131

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