天平の甍
@Nov/'08 東大寺、奈良(世界遺産)


東大寺、大仏殿: 2度の兵火で焼失するも2度の再建を果たした世世界最大の木造建築物


[世界遺産 古都奈良の文化財  文化遺産 1998年登録] 東大寺、正倉院、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城京跡、春日山原始林等、奈良市街に存在する文化財を総称する。古都奈良の文化財は日本建築と日本美術の進化のひときわ優れた証拠性を有しており、それらは中国と朝鮮との文化的つながりの結果であり後世の発展に重要な影響を与えることになった。 奈良の建築遺産は、奈良が首都であった時代に開花した日本文化の唯一の証左である。 奈良における皇室宮殿の配置と現存文化財の設計は、初期アジアの首都群の建築と都市設計に関するきわだった例である。 奈良の仏教寺院と神社は、ひときわ優れた形で宗教の連続的な力と影響を証明する。(ウイキペデイアより)


8月に東大寺を訪れようと思っていた予定が、急な海外出張で狂い、奈良行きは11月になってしまった。 ガーナからの一時帰国で遅い夏休みを頂いた。 この機会を逃してはならない。 早速バイクの点検をする。 3ヶ月放置後もエンジンは事もなげにかかった。 距離的にはさほど乗っていないが、念の為、3ヶ月点検とオイル交換の為、整備に出した。 だが生憎オイルフィルターが在庫を切らしていると言うので、オイル交換とオイルフィルターの交換は12月の帰国時に実施して頂くことにし、今回は軽く足回りを見てもらうに留めた。

金曜日と土曜日の予定で東大寺を見ることにしよう。 金曜日は移動日、その日は現地のホテルに宿泊、土曜日を一日、東大寺と興福寺に、奈良県立博物館をピンポイントにしぼればゆっくり見学できる筈だ。 



諏訪湖SAから望む晩秋の諏訪湖


金曜日の朝、天気予報は晴れ。 混雑回避と高速料金の早朝夜間割引を受ける為、夜明け前の出発だ。 家人を起こさないように自室からそろりと玄関を抜け出るが、玄関の開閉音が以外に室内に響くのである。 気付かれずに済むことはない。 バイクのエンジンは掛けず、駐車場からなだらかな坂を少し下ると、マンションに併設されたコンビニがある。 実はこのコンビニが以外と便利な存在なのである。 マンションは大規模ショッピングセンターにも直ぐ隣接しているが、急な買物忘れ等に、正にコンビニなのである。 24時間営業でイートインサービスも行っているので、早朝の出発時、朝食を取るのにも便利である。 簡単な腹ごしらえをして、エンジンをそっと掛け、出発。 この時間なら中央高速、国立府中ICへは15分程度でアクセスできる。

11月の下旬、関東の山間部、夜明け前は相当に冷え込む。 気温は恐らく5度前後であろう。 法定速度より少し速い程度のゆっくりしたペースで薄っすら夜が明け始めた中央高速を西に向かった。 6月に慣らし運転で富士五湖、伊豆半島を一周した時に比べ、SAのバイク駐車場は殆ど空車状態である。 この時期になると流石物好きはぐっと減るらしい。 途中談合坂、双葉SAで小休止を取り、2時間半後、諏訪湖SAに到着。 凛とした空気に佇む晩秋の諏訪湖の眺めを一時楽しむ。 



大仏殿交差点から南大門伸びる参道を埋め尽くす人の波


奈良には、日が暮れる前に余裕を持って着くことができた。 本日の走行距離、573km。 インターネットで予約してあった宿、日航ホテルにチェックインする。 亀山から奈良に入る自動車専用道路、名阪国道(国道25号)で雨に打たれた身体は相当に冷えている。 ホテルのシャワーで身体を暖め、明日の奈良散策に控えゆっくりした時間を過ごそう。 関西の街を歩くと、やはり育ちが関西人だと実感する。 特に食べ物屋の前を通る時、関東では殆どと言っていいほど、立ち寄ろうと思う店がない。 ところが関西の街を久しぶりに歩いてみると、どうだろう、立ち寄ろうと思う店が幾らでもあることに気付く。 子供の頃、舌に染み込んだ関西風の味と匂い、そして一見無秩序な店構え、実にしっくりくるのである。



南大門へ向かう途中、奈良公園の一部


翌朝はホテルの朝食(和食)をゆっくり頂く。 贅沢な時間である。 見学場所はできるだけ絞ってある。 慌てることはないのである。 こんな境遇を味わえるのは、家族や多くの人々の営みに感謝を忘れてはならないと改めて心に念じるのであった。 



世界遺産の登録を果たした石碑


先ずは東大寺。 華厳宗の大本山、空海が一時期主管を勤めた寺でもある。 現在の大仏殿は2度の兵火で焼失した後、再建されたものであるが、何でも世界一大きな木造建造物だそうだ。 中国にも同じ程度の規模の木造建造物がある気もするが、説明に偽りはないだろう。 現在の大仏殿は江戸時代、将軍徳川綱吉等の寄進により1709年に再建されたのだそうだ。 聖武天皇の天平時代のものがオリジナルであるが、当時の社会制度や経済規模からして之ほどの大事業を行ったのは脅威に値する。 権力の集中と一般市民の疲弊はすざましいものがあった筈だ。 工芸技術の高さにも驚かされるが、天平の甍は現在人に何を語りかけているのだろうか。 聖武天皇の純粋な、全生物の平和と安定を願う気持ちは尊いものがあり、もちろん天皇は人民の苦しみを知っていたであろうが、当時の管理技術では、全ての人民を救ううことはいかんともしがたいものがあったのであろうか。



南大門: 鎌倉時代に再建されたもの


土曜日の午前、流石に日本の名だたる観光地の一つ、多くの観光客で一帯は賑わう。 南大門に向かって伸びる参道の脇には多くのみやげ物屋や茶屋が軒を連ねる。 善男善女の人混みに紛れ南大門へと進む。 途中、奈良公園を掘り割る小川に掛かる小橋を渡る。 小橋から小川の眺めが、誠に秋の美を感じさせる色合いを醸し出しており思わず立ち止まった。



大仏殿の鬼瓦の実物大模型: 当時の権力の集中と工芸のレベルの高さを示す


南大門、五間三戸二重門、本瓦葺と説明板にはある。 当時のものは台風で倒壊、現在のものは鎌倉時代に再建された物だという。 両脇にある金剛力士像は鎌倉時代を代表する慶派仏師20人に拠り、69日間で彫られたと言われる。 そんな説明板を見た後、改めて仁王像を観てみたが、正直言って私にはその素晴らしさが伝わってこない。 審美眼の鈍さであろうか、 はたまた、視界を遮る鳩避けの無粋な金網のせいであろうか。

南大門をくぐると、広い空間が開け前方に中門が見える。 当時はこの南大門と中門間の左右には100mもあったと推測される七重の塔が聳えていたと言う。 中門はくぐれない。 左側の専用入口に向かう。 入場料500円を納め、金堂(大仏殿)のある中庭に足を踏み入れる。 世界一の木造建造物を前に感動を新たにする。 金堂に入る前に暫くその威容を感じ取ろうとした。

奈良の大仏で知られる蘆舎那仏、現在のものは再鋳造されたものとは言え、これほどのものが747年に作られたのは驚異と言わざるをえない。 民衆の苦しみを等しく救うことできなかったかもしれないが、聖武天皇の真意である、全ての生物が栄えることを願った心を分かち合いたいと思う。



興福寺: 松林に囲まれた五重の塔
松の木と建物は私にとって日本の原風景だ



隣接する興福寺も世界遺産の一部である。 ここも今回の見学目的の一つだ。 法相宗、大本山。 710年の平城京遷都に伴い、藤原京にあった厩坂寺が現在の地に移され、興福寺と改名されたらしい。 明治元年の神仏分離令で、廃仏毀釈の波で荒れ、塀は取り壊され、一時は廃寺同然になったが、明治30年の「古社寺保存法」が発せられると、徐々に復興を遂げた。 しかし未だに塀は無く、寺の一部は奈良公園と化したままである。 私にはこの塀の無い興福寺が何となく好ましく思われる。 東金堂、五重の塔、三重の塔、西国三十三ヶ所巡りの9番札所南円堂等から成る。 伽藍は度重なる失火、兵火で消失したがその度に再建された。 現在の東金堂は1415年桃山時代の建造だと言う。 内部に安置される釈迦三尊像は、1187年興福寺の僧兵が飛鳥の山田寺から強奪し安置したものだとも言われる。 南円堂には木像、不空羂索観音坐像が安置される。 普段は年1度の開帳とのことだが、幸運にも今回は特別展と言うことで内部に入ることができた。 興福寺では、今回の特別展の為か、各伽藍に説明員(多くは声の良く通る若い女性)が居て、見学者が一周する10分程度で説明を繰り返してくれる。 このサービスはとてもユニークで顧客志向の新しいマネージメントを感じる。



興福寺: 南円堂、西国三十三ヶ所巡り九番札所、
木造不空羂索観音坐像(国宝)が安置されている



興福寺: 三重の塔


奈良県庁前にある奈良県立博物館の収録物も一見すべきと、何かでみた気がする。 せっかく来たのだ、訪れておこう。 寺院に安置されているのとは違いその美や技を最高に見せる展示がなされているので、寺院内でみるのとは又違った感動と納得を覚えることができる。 説明もより学術的で深い知識を得ることができる仕組みだ。 大日如来: 密教の最高尊で胎蔵曼荼羅、金剛曼荼羅の中心的な位置に配される。 明王像: 如来菩薩に次ぐ尊格。 教えに従わない者を力で屈服させる役割を持つ。 真言(陀羅尼)を一心に唱えることにより罪行を消滅させ煩悩を断ち切る。 地蔵菩薩: 頭髪を剃り、袈裟を着けた若い僧の姿に表れる。 平安時代中期には浄土経の隆盛に伴い教導輪廻に苦しむ衆生、特に地獄に落ちた者の救済に力を発揮する菩薩として絶大な信仰を集める。 観音菩薩: 救いを求める衆生を直ちに救済する菩薩。 



新薬師寺


陽が傾き始めた。 もう一箇所回っておこう。 志賀直哉旧宅より少し山手に登った場所に新薬師寺がある。 五月に東京の国立博物館で開催された薬師寺展で見た日光、月光菩薩のある薬師寺に本当は行きたかったのだが、その名にあやかり、時間の都合で新薬師寺見学となったのである。 志賀直哉旧宅辺りの小道は、まるで山中にあるかの如く佇まいを醸し出す。 それでいて、和菓子のカフェ等洒落たお店が風景に溶け込んでいる。 新薬師寺と言う名から、新しい寺かと思いきや、とんでもない、天平の古刹であった。 747年、くしくも大仏の鋳造が始まった年、光明皇后が聖武天皇の病の回復を願って建立された寺だそうだ。  当時は七伽藍と東西2塔が立ち並び100人以上の僧侶が住んでいた大寺であったが、天災や時代の流れて今は本堂のみをを残す小振りの寺の姿を呈す。 本堂(金堂)は創設当時の建物で、内部には本尊薬師如来像を取り囲む最古最大(1体を除きいずれも天平時代の作)の、等身大の12神将が十二支にちなんで円形に安置されている。 猪(クビラ:宮毘羅大将)、巳(インダラ:因達羅大将)の神将の前に置かれたろうそくに賽銭50円を収め、点灯した。




奈良の山手通り: 新薬師寺からの帰り


とっぷり陽も暮れた。 再び奈良の下町、繁華街に繰り出す。 夕食を済ませ、夜を徹して多摩へ帰る予定である。 狭い繁華街を歩いていると、前方に黒山の人だかりがある。 近寄ってみると、お餅の製造実演販売であった。 今は餅は殆どが機械で搗かれる。 ところがここでは、木の臼に木の杵で若い衆が2人で餅を搗いているのである。 昔なら誰も見る為に立ち止まることは無かった。 今では逆に珍しく、又搗きたての新鮮度も手伝って、餅は飛ぶように売れている。 私も買った。 これが唯一今回の奈良見物の土産となる。 

阪奈国道(25号線)、伊勢湾岸高速、東名高速を順調に走り、無事多摩のマンションに辿り着いた。 日本の美しい四季に、人々の労を惜しまない営みに、親しい人々の他人を思いやる心に感謝。








林蔵@奈良 22/Nov/'08 (Updated on 08/Jan/'09)#309
  

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