海野宿
@Jun/'03 東御、長野


北国街道、海野宿


海野宿、なんと響きの良い地名だろう。 足を一歩踏み入れると、そこはまるで時間が止まった街である。 今にも威勢の良い町人が引き戸の奥から飛び出してきそうだ。 

6月のある日、バイク仲間の主催する月例ツーリングに、迷惑ながら車で参加させて頂いた。 鉄道線路日本最高地点が私の車の為の集合場所だ。 ここなら広い駐車場があるからだ。 集合時間は9時である。 少し余裕を持って出てきたので、8時に着いてしまった。 高原のさわやかな朝。 仲間が来るまで木陰で一休み。

9時きっかりに、仲間は現れた。 いつもながら歳を全く感じさせない、ジェントルで気品を漂わせた元気一杯の熟年ライダーは、見て惚れ惚れする。 そんな仲間に入れて戴くのは光栄だ。 早速記念写真をとり、落ち着いた雰囲気の高原のカフェに入った。 開店一番客である。 外装、内装ともにウッデイーなのがとても良い。 テーブルも椅子も木の塊の如くである。 椅子など、丸太を切ったまま、磨き上げてある。 客は何れも好奇心旺盛な老人である。 知的な会話が、とても上品な大人の雰囲気を滲み出す。



小海線、標高最高地点、標高1,375m


おしゃれな会話を楽しんだ後は、野辺山と臼田にある、巨大な電波望遠鏡を見学する。 世界でもトップクラスのデイープスペース観測設備である。 宇宙の起源を探る科学は人間の存在を探る哲学にも通じる壮大な研究である。 実はこの設備の一部(超高感度受信器、巨大出力の送信機)を、我々の事業部が担当した。 このような最先端設備の建設に貢献しているのを目の当たり見ると、その感慨はまたひとしおである。



野辺山電波天文台のアンテナ(望遠鏡)群


さー、次はいよいよ海野宿である。 国道141号を八ヶ岳と浅間山の谷間に降りて行く。 谷間には千曲川沿いに平野部が細く延びる。 そんな平野部の中程、小諸と上田の中間部に、この時間の止まった宿場町がある。 平野部の真ん中、田んぼの中に、程よく纏まった集落を成す。 北国街道の両脇に長屋作りの町並みが約6町(650m)、江戸時代の姿をそのまま残している。 長屋であるから、家と家の間には防火壁が設けられている。 これが所謂、卯建(うだつ)である。 羽振りの良い家は卯建が高く、そうでなければ低い。 ここから卯建が上がらない、と言う言い回しがでたとか。 また海野格子と言って、上部が装飾的に互い違いになった格子。 梁を外にだした出梁作り等、江戸時代独特の建築様式が今尚見ることができる。 また、明治になり養蚕が盛んになったことで、家の屋根には、小屋根が取り付けられた。 これは冬季蚕の為、火を焚き暖房をしたが、その排気窓が小屋根の下に付けられたものだ。



臼田の64m巨大電波望遠鏡


そんな家並みの一軒、外見雑貨屋のような「大鵬屋」に入った。 大鵬とは、あの相撲の大鵬のことである。 店に入ると、雑貨(みやげ物)売り場の奥に3卓テーブルがとカウンターがある。 店の壁には相撲取りのサインや写真、ポスターが品良く貼られている。 この店の中は、とてもハイカラなのである。 江戸の作りの長屋の茶屋はお茶に万頭と相場は決まっている。 だがこの茶屋では、そんな雰囲気はない。 少なくとも僕たちには無かった。 カウンターには手巻き蓄音機や、古いキャメラが、レトロ調をはまったかのように醸し出す。 我々は珈琲を注文した。 出てきた容器にこれまた感激。 陶器の長いワイングラスのような形。 江戸後期、明治へのタイムスリップが益々深まる。 女将と親父の品の良い軽妙なおしゃべりで海野宿の今昔を聞き、大変得をした気分になりお店を出た。



大鵬屋で江戸の珈琲を頂く




22/Jun/'03 林蔵@長野 (Updated on 1/Jun/'08)#153

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