ふじのくにSYCLEFES.2011
in 新東名

@Nov/'11 新東名, 静岡


95kmロードレースを疾走する選手達: コースからは富士の絶景を望むことが出来る
(この写真はKRBから参加したもう一人の隊員N氏が先導しながら撮影したもの)



来年初夏、新東名の御殿場-三ヶ日間、162kmが開通する。 その前イベントとして、NEXCO中日本、静岡県自転車競技連盟、静岡県、沼津市等が共催し、11月26日、27日に、ふじのくにCYCLEFES.2011 in 新東名が開催された。 使用するコースは新東名の駿河湾SAと新静岡IC間約45kmの区間。 駿河湾を見下ろし、他方富士を仰ぐ絶景が楽しめるコースである。 しかも自動車が未だ走ったことが無い高速道路だ、爽快そのものの気分が味わえる筈だ。 全国から1万人を超すサイクリストが集う一大イベントとなった。 このイベントに所属するKRB(神奈川レスキューサポートバイクネットワーク)の活動のひとつとして、先導バイク隊の一員として参加する大変珍しく貴重な体験をさせて頂いた。

 




先導バイク群(全部で28台):一番左が筆者とそのバイク


開催日の前日、金曜日の夕刻、役員の打合せが沼津市で開催される。 金曜日は仕事がたまたま夜勤明けとなったので打合せに出る予定が立った。 夜勤明けの仮眠を取る間もなく、お昼過ぎに自宅を出る。 ところが東名厚木に乗った直後だった。 突然大渋滞、全く車が進まなくなってしまった。 パトカーが何台もサイレンを鳴らしながら路肩を通過する。 事故でもあったのだろうか。 バイクで移動中だったので、動かなくなったトラック(平日なのでトラックが圧倒的に多い)の間を縫って数km進むと、にわかに慌ただしい現場が前方に見えてきた。 多くの警官や捜査官らしき制服姿の人影が頻繁に見え隠れする。 その手前まで進むと、流石にトラックの間を縫って来た私のバイクも停められた。 どうも凶悪犯人の逃亡した車を取りさえる為、東名高速道路を完全に通行止めにしているらしい。 そして目の前には犯人が乗車していると思われる車が前後をパトカーに直角に囲まれている。 それでもまだ通行止めは解除されない。 暫くその場でエンジンを切り待機。 それにしても、一人の犯人を取り押さえる為に、数千台の大型営業トラックを高速道路上に数時間にも渡り強制停止させる経済損失の大きさは何と大きいことだろうか。 沼津への移動途中そんなこともあったが、沼津インターの近くにある指定宿泊設備には夕刻の6時前に到着することができた。 翌日開催されるサイクルフェスタの役員打合せは20時開始、十分に余裕のある時刻だ。 宿泊所に指定されたホテルには同じ目的の人達が続々チェックインしているもよう。 勝手の全く分からない私は関係者と思われる人に手当たり次第声を掛け、市内の打合せ場所への同行を探った。 運よく、大阪堺市からお見えになった関係者とお知り合いになり、打合せ会場迄タクシーを乗り合わせる運びとなった。




95kmロードレース: スタート後300m点
この地点から先導バイクが発車する



打合せ会場には100名を超すと思われる関係者が集まりミーテイングルームは超満員、今回のイベントの趣旨の再確認や注意事項、プログラムの進め方、ルールや連絡方法、事故や怪我の対応方法等が実行委員会の担当者から手際よく説明される。 一連の説明と質疑応答が終了した後、各機能毎に小グループになり詳細打合せに入る。 我々バイク隊(約20名)は本部から指定されたリーダーの元に集まり、各レースの先導の手順を再確認した。 特に我々、静岡レスキューサポートバイクネットワークの7名にとって自転車レースの先導は初めてであることから、初歩的な説明と注意点を細かく伺った。 そして無線機と各自のバイクヘルメットに着けているヘッドセットとの接続ケーブルが無線機提供メーカーの係員から手渡され、使用方法の説明がなされる。 因みに我々レスキューサポートバイクの7名以外のバイク隊の方々は、かなりのプロ集団であることをこの場で初めて知った。 彼らは元々自転車競技の選手であった人とか、自転車競技の審判資格所有者であるとか、既に全国の様々な自転車競技の先導をこなしている方々でした。 このような言わば玄人の中に混じって、我々ど素人がしゃしゃり出て先導等して良いものだろうかと、不安と緊張で胸が一杯になる。 だがここまで来ると後戻りはできない。 翌日のレースにぶっつけ本番で当たるしかない。 説明を受けていて、先導バイクより、最後尾サポートバイクの方がずっと大変だということがわかった。 先導は先頭選手の前を着かず離れずで100m程度の距離を保ちながら走れば良いが、最後尾のサポートバイクは、脱落者、事故者、後続グループに抜かれた選手や時間の管理等、走りながら実に様々な処理をしなければならないのだ。 役割分担表を見ると私の担当は、26日が41km男子のロードレース先導、27日は89kmサイクリングの先導となっていた。 楽な方の先導役であったので少し胸をなで下ろす。




会場の駿河湾沼津SA(オープンは来夏): 全国から1万人を超すサイクリストが集う


市内での打合せの後、宿泊所である東名沼津インター脇のホテルに戻り、昨夜の徹夜の疲れを少しでも取る為直ぐに就寝。 翌日は5時起きで、ホテルロビーに準備されたおにぎりの朝食を取り、6時にはホテルを出発する。 未だ一部工事中である駿河湾沼津SAの会場に到着すると、6時45分には既に開始前役員打合せが始まる。 そして午前8時には最初のレースがスタートするのだ。 可也のハードスケジュールである。 午前6時、未だ暗い中をバイク隊はホテルを出発。 約15分程度で会場の駿河湾沼津SAに到着。 既に多くのスタッフが、全国から集まった多くの参加者の対応に当たっている。 1万人を超す自転車群も凄い。 これだけのサイクリストが集っただけでもイベントは半分成功したに等しいと身を持って感じる。 




サポートカー: シマノとマビック、
何れも使用車種はスバルレガシーツーリングワゴン



最初のレースは95kmのロードレース。 男子エリートクラス、男子エキスパートクラス、女子、男子一般19歳~35歳、男子一般36歳~55歳その1、男子一般36歳~55歳その2、男子高校生及び男子その他年齢の順で、7分間隔でスタート。 そして私の先導する41km男子19歳~40歳クラスがスタート。 95kmロードレースは折り返し点が44.8km西に行った新静岡IC、そして41kmロードレースの折り返し点は18km先の新富士ICとなっている。 したがって、41kmの選手が新富士IC(スタート点から18km点)で折り返す時点では、95kmのロードレースの選手は未だこの41kmの折り返し点には到達していない計算だ。 つまりゴールには私の先導する41kmロードレースの先頭選手が真っ先に入ることになる。 事実レース展開はそのようになり、私のバイクと黒のベンツの審判車が真っ先にゴール地点に戻ってきたのである。 唯私が予測を誤ったのは、自転車レース最後のダッシュのスピード。 レースは平均時速約40km/hで展開されるが最後1km余りのダッシュは凄い、そのスピードと加速は半端ではない。 危うく私の先導バイクが先頭選手の自転車追い抜かれるところであった。 審判車から無線で、「バイク早く!」、の声が掛かり、慌てて加速し何とか自転車の前の位置を保つことができた次第。 駿河湾-新富士間は景観が素晴らしいとの説明であったが、先導中はバックミラーで率いる先頭選手ばかり見ていたので、途中の景観等見る余裕は残念ながら全くなかった。 だが、心配したトラブルは全くなく、無事先導を終えたことで気分は安心と充実感でいっぱいと言うのが正直なところ。




先導バイクと審判車: 審判車は全てメルセデスベンツ


2日目は89kmのサイクリング、グループ14の先導役であった。 参加者が7000人規模になるので、スタートは355人程度に分け、7分間隔16グループにもなる。 サイクリングは競技ではないので走り方は自由。 30km/h以下で走ることと危険行為だけは駄目。 参加年齢層も様々なら、途中で止まって写真を撮りまくる参加者、お弁当を広げピクニックを始める参加者など等。 スタートして数kmも進むと、前後のグループの判別がつかなくなってしまうありさま。 先導バイクの意味は全くなくなってしまう。 そこでバイク隊の役目は、参加者の安全確保、事故・怪我の対応、そして後半、体調を崩し制限時間内(午後4時半ゴール着)にゴールに到着できそうにない参加者にサイクリング中断の意志確認、収容車(バス)への乗車意志確認等が主な任務となった。 主催者側の参加した人々に自力で最後迄自転車で走らせてあげたいという思いを汲んでの対応である。 たとえ制限時間を過ぎても、サポート体制が無くなっても、自己責任で最後まで自力で走りたい参加者には、その選択枝を残して置くために参加者の意志を確認するのである。 そのような後半のサポートにも従事したのでお昼を取る時間も殆どなく、午前の8時過ぎから午後の4時半迄、トイレの為一度バイクを降りただけ。 後はコース上を超スロースピードで遅くなった参加者の伴走役に当たったことで、改めて100kmを自転車で一気に走る過酷さを見る思いであった。 




女子競輪学校の一期生、生徒達: 今回のレースに特別参加


会場(駿河湾沼津SA)には多くの自転車関係ブースや、東日本震災の復興支援を行う屋台も出て大盛況。 八戸のせんべい汁を売る屋台を発見。 JICA時代で八戸に在住の友人を思い出し、売り娘さんに、八戸から来たの、と聞いてみたら、沼津の方だった。 屋台の御主人が青森出身の方で、震災後様々な復興支援を行っているのだという。 こういう人たちが全国に無数にいるに違いない。 このような人々の力がすこしずつ、すこしずつ大きな傷を癒していってくれるにちがいないと思いながら、せんべい汁を一杯入れて頂いた。 イベントを企画し実行してくれた関係団体、関係者の方々、参加を呼び掛けてくれた静岡レスキューサポートバイクネットワークの方々、会場でお知り合いになった方々に最大のエールと感謝の気持ちを贈りたい。 




スタート点に立つ筆者: 先導バイクはこの地点から約300m先からスタートする



屋台: 東日本震災復興を呼びかけ、東日本の名物を提供



駿河湾を見下ろす絶景の地形



筆者とそのバイク、英国トライアンフ社製Trophy900:
先導スタート前、不安そうに説明書に書かれたコースを何度も見直している
(KRB隊員N氏撮影)















林蔵@新東名 26/Nov/'11 (Updated on 25/Dec/'11)#409
  

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