五ヘクタールの田圃
at 七ヶ浜、宮城

@May/'12 七ヶ浜, 宮城


今年ようやく作付可能になった田圃:
今回のボランテイア活動で表面雑物撤去を行った5ヘクタールの田圃の一部



いつにーさんすー、狭いボランテイアセンター内で200人程のボランテイアが一斉に東北弁の解説に従ってラジオ体操を始める。 七ヶ浜ボランテイアセンターで毎朝見られる朝のマッチング前のワンシーンだ。 全国から集まった見ず知らずのボランテイア達の心をほぐすのに大変効果的だ。 皆が狭い場所で身体をぶつけながら体を動かす。 機会あり、今年の5月の連休は七ヶ浜の田圃再生作業に参加することができた。 仙台は意外に近い。 我が家のある多摩市から高速を乗り継いで半日で到達できる。 朝少し早め6時少し前に拙宅を出て、お昼前にはもう仙台に着くのである。 走行距離にして約400km。 今回は災害派遣従事車両の証明書を市の防災課から発行して頂いた。 高速代は無料なので大変助かる。
 




田圃から拾った雑物の山


七ヶ浜地区には約120ヘクタールの田圃がある。 その内今年ようやく5ヘクタールの作付が可能になるとのことだ。 作付けができると言っても、稲作はやはり未だ無理で、今年は先ず大豆の作付けを行うと関係者の方から説明があった。 その5ヘクタールの田圃の最後の表面雑物撤去を行うのが、今回私たちに割り当てられた作業だ。 5月2日(水)は全国から165名のボランテイアが集まった。 旅行会社主催のボランテイアバスで来た人たち、大学の同志で駆け付けた人達、ボランテイアセンター内の駐車場で車中泊をしながら参加している岡山から来た人たち、様々である。 センター内のボランテイア参加カレンダーを見ると100人~300程度で連日受け入れ予定が記入されている。 ラジオ体操の後、マッチングが始まる。 3人のボランテイア・リーダーの方が夫々メンバーを募る。 今回は現場までの移動手段はバス2台と参加ボランテイアが自主的に提供する自家用車となる。 先ずバス組は、もともと遠くからバスで来た人たちと、団体参加者と言う運びになる。 残りの個人参加者の中から車を提供できる者を募る。 私も手を上げた。 13台程の車両が用意できた。 次に車を提供するものが前に出て同乗者を募る。 私の車に同乗するメンバーが決まった。 いずれも似通った年代の全国から来たボランテイア達だと移動中の車中の会話で知った。 神奈川から、兵庫から、新潟から、茨城からの方々だった。 作業をする田圃迄1km足らずだが歩いて移動するには少し遠い距離だ。 田圃のあぜに車を縦列で止め、リーダーの説明と注意を聞き、個人参加組は更に3班に別れる。 各班別に別々の田圃に入り一列になり、手に手に土嚢袋を持ち雑物拾得作業が始まる。 雑物は燃えるものと燃えない物を区別する。 隣の人と声を掛け合い、夫々の土嚢袋に雑物を燃える、燃えないに分け入れる。 土嚢袋も不足気味らしい。 決して無駄に使ってはいけない。 作業終了後、あまり入っていない土嚢袋は余裕のある土嚢袋に詰め替え回収する。 既に何回か同じ作業がなされた田圃であるが、細かい雑物は意外と多い。 木片、ビニール片、ガラス片、食器片、中には診察券等もあった。 そして多いのが石ころだ。 これは土にまみれて形から石と見極め、既に拾った石で叩いて石だと確認する。 根気と手間のかかる作業だ。 震災から既に1年以上の時間が経つが、細部の復興はまだまだと言った感が否めない。 田圃の再生は長い時間と莫大な人手の掛かる作業だ、ということを今回初めて知った。 瓦礫は大小様々で土中にも埋もれている。 大きな瓦礫は重機で撤去。 その後人手で小さな瓦礫を撤去。 その後農機で土を転耕する。 土中から出てきた小さな瓦礫の撤去を更に手作業で行う。 こんな作業を繰り返し、最後に平坦にし、塩抜きをしてようやく作付可能な状態になるとのこと。 今回我々が関わったのは、一番工程の進んだ5ヘクタールの田圃の最終表面雑物撤去作業であったが、それでも皆で拾った雑物は2トントラック一杯分程度にもなったのには多少驚かざるを得ない。 




ボランテイアセンターの裏にうず高く積まれた瓦礫の山:
競技場周囲の樹木に比べ瓦礫の山の高さが想像できるのではないでしょうか



ボランテイアセンターが設置されている生涯教育センターの裏手には瓦礫の山が高々と聳えている。 その規模と高さは半端ではない。 瓦礫の処理も遅々として進まない。 全国で受け入れる、入れないの議論もいまだに行われているが、遠くに運ぶ時間と費用を考えれば、地元で費用と労働力を注ぎ込んで処理を進めた方が理に適っているのではないかと思えてならない。 




地震の衝撃で根元で折れ倒れた植え込み内の大木




破壊された車両の集積場


5月2日の作業は少し早めに終わったので、地元のリーダーの提案で全員で菖蒲田浜の状況と浜通りの現状を見せて頂くことになった。 毎年夏場多くの海水浴客で賑わう美しい松林がある菖蒲田浜に向かう浜通りにあったかつての家は土台を残してことごとく更地になったままだ。 防潮堤建設計画があり、防潮堤の工事の後町の復興が始まるのだろうか。 浜や松林の瓦礫は多くの町民やボランテイアの手でほぼ撤去が完了していた。 今年の夏は7月末に海開きを決定したとも聞いた。 松林の松も必死で生き延びようとしているが大量の潮水を被り赤茶けた木々も多い。 だが町民の松林再生、浜再生の意志は熱く強い。 その熱い想いはきっと美しい浜と松林は立派に再生されるに違いない。 




今尚、手つかずの菖蒲田浜公園施設



菖蒲田浜の松林:
松林の瓦礫撤去は多くの町民、ボランテイアの手で既に粗方済んでいる
松は大量の潮水に浸り枯れかけた樹も多い
だが再生に掛ける町民の、そして全国の同志の熱い思いは大きな支えだ




菖蒲田浜:
外国人にも人気が高い景勝地、この地に別荘を持つ外国人もいるとか



5月3日(木曜日)、天気予報通りの大雨。 にも関わらず全国から256名のボランテイアが集まった。 大雨なので外の作業は中止となる。 準備された作業は、メダル作成サポート(参加ボランテイアに持ち帰ってもらう小さな木製メダル)、カステラつくり(ボランテイアのおやつ)、大型テレビ・ビデオデッキの設置、ボランテイアセンターの床拭き掃除、ボランテイアセンター床ブルーシート張替、テントの撤去(冬季、体育館内で暖を取る為に設営してあったもの)、撤去したテントの表面拭き掃除、個人宅瓦礫撤去等など。 広いボランテイアセンターの床拭き掃除や大きなテントの表面拭き掃除も大勢のボランテイアが一斉に取り掛かると短時間で作業が終わる。 正に人海戦術の極み。 一日も早い復興を、そして元の日常が戻ることを願いつつ、全国から駆け付けた多くのボランテイアに喝采。 













林蔵@七ヶ浜、宮城 2/May/'12 (Updated on 19/Aug/'12)#417
  

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