Santiago
@May/'02 Santiago Chile


Santiago上空でアンデス山塊から出る旭


Santiago、南北に細長い(南北に4,200km)チリの首都。 人口、610万人。 1541年2月12日 Pedroにより,小さな丘Huelen Hill (現在の Sta. Lucia Hill)の麓に チリの首都として設立された。 アンデスの雪解け水で潤う Rio Maipu(マイプ川)の支流、Rio Mapocho (マポチョ川) の南岸に広がる街だ。

ランチリ LA621便、夜の遅い便でメキシコシテイを出てサンチャゴに入ることになった。 日本は5月の連休中、チケットから現地のホテル、トランスポーテーション、 全てのアレンジは現地で自分でやらなくてはならない。 航空券、ホテル代が馬鹿にならない。 出張費の超過分は軽く1ヶ月の給料分を超してしまった。 費用はカードで支払っていて、口座からの引落は1ヶ月くらい後になるので助かるが。

LA621便は、深夜の22:55にメキシコを発つ。 出発迄暫く時間があるので、街に出掛けよう。 Hotel Nikko をチェックアウトし、荷物をコンセルジュに預け、 1昨日行った、オールド・タウン Hidalgo へ歩いて行った。 Reforme大通りは、軍やボーイ・スカウト/ガール・スカウトのパレードで車は側道に追いやられ、朝の通勤時間は大渋滞。 Hidalgo に行ったのは、公園の端にあった Bella Art の建物が美術館だと思ってだが、 実際建物の中に入ってみると様子が違う。 チケット・ボックスのようなものが有り公演時間等が書いてある。 コンサート/劇場ホールだったのだ。 仕方なく来た道を引き返した。 空港へ行くタクシー代をホテル2階にある AMEX で$50を換金し、 ついでに11日サンチアゴからメキシコに戻った時のホテル、Marriott を予約した。 ロビー脇のパテイスリーでカプチーノを1杯飲み、空港へ向かう。 空港には、随分早めに着いてしまった。 ランチリのカウンターが開くのは、19:00だと言う。 まだ5時間近くもある。 空港内のカフェで時間を過ごす。 ふと上を見ると何と Hilton のマークが見える。 ロンドン滞在時、長くヒルトンに泊まったお陰で、ヒルトンのオナーズ会員なのである。 ヒルトンなら様々な特権が使える。 AMEXで、「空港にHiltonはないの?」、と尋ねたら、「無い。」、とつれない返事だったが。 早速、ロビーへ行き11日の予約を入れる。 その場で Marriott の予約はキャンセルして貰った。

LA621便は定刻22:50にメキシコを飛び立った。 久しぶりの夜間飛行だ。 大気汚染の激しいメキシコ・シテイだが夜景は素晴らしい。  いつもの窓側を指定してあって良かった。 サンチアゴ迄は8時間の飛行である。 気流は極めて安定していて快適な空の旅である。

午前6時(チリ時間では7時)に機内朝食のサービスがある。 窓の外を見るとアンデスの峰に朝日が昇っていた。 6時40分、LA621便はサンチャゴ・インターナショナル空港に着陸した。 気温4度、晴。 空港の両替スタンドで取りあえず US$100 を現地通貨に換金する。 レートは、US$1=635ペソだ。 63,500ペソを受け取る。 カスタムを出ると、早速タクシーの勧誘が寄って来た。 値段を聞くと、「10,000ペソ、USドルで16ドル」、だと言う。 US16ドルなら良いかと思い、乗った。 金曜日の朝、街中は丁度通勤ラッシュで15km程のホテル迄の道のりを1時間近く掛ってホテルに着いた。

ホテルは、メキシコの AMEX で取ってあった Four Points Sheraton Santiago。 街中にあり、小じんまりした中規模のホテル。 出歩くにはロケーションは最高。 客先の泊まる、St. Cristobal Tower の位置を確認、通勤に使用するレンタカーを手配した後、歩いて市内見物に出かけた。



市内を猛烈なスピードで走るバス群


目抜き通り Av. Providencia には、ホテルの前の通り Sta. Magdalena通りを50mも歩けば出られる。 驚くのは、黄色いベンツとボルボのバスが猛烈なスピードで走っていることだ。 通りは広いが、交通量は多く、お世辞にも走り易い道ではない。 バスはタクシーに負けないスピードで走り、止まる。 良く見るとお客は全員座っている。 そうであろう、あれでは立っていたら確実に倒れるか、何処かに身体を激しくぶつけるに違いない。



04/May/'02 林蔵@サンチャゴ チリ (Updated on 2/Apr/'08)#104

{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る]