テオテイワカン、太陽と月の神殿
世界遺産@Apr/'02 Teotihuacan Mexico


太陽の神殿頂上から月の神殿を眺める


[世界遺産 Pre-Hispanic City of Teotihuacan 文化遺産 1987年登録] テオティワカン(Teotihuacan)とは、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり紀元前2世紀から6世紀まで存在した巨大な宗教都市遺跡。当時の新大陸では最大規模を誇っていた。極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。面積は約20平方キロメートル。最盛期には、10万~20万人が生活を営み下水網も完備されていた。メソアメリカの中心的都市として機能していた。テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。太陽のピラミッド (高さ65メートル、底辺222m×225m)、月のピラミッド (高さ47メートル、底辺140m×150m)、死者の大通り (南北に貫く都市のメインストリート)、ケツァルコアトルの神殿、ケツァルパパロトルの宮殿 (Wikipediaより)



太陽の神殿: 急な階段を登る



Tulancingo へ向かうハイウエー132号をシテイーから30kmばかり北に走った、左側のサボテン畑が広がる平地に2つのピラミッドが見える。 太陽と月の神殿だ。 メキシカンイ・ンデイオが、スペインに侵略される迄の中部メキシコの中心だった街、 City of Teotihuacan。 遺跡の重要部分は市内にある立派な Antholopology博物館に納められている。 遺跡にはエジプトのギザに劣らない大きさのピラミッドが2基聳える。 巨大ピラミッド文明が遠く離れた地球の2つの地域に発祥したのが興味深い。



広場から太陽と月の神殿を見る



仕事が一段落付き、一旦シテイーに戻る事になった。 シテイーへの移動の途中に訪れてみることにした。 同行のY氏は今年2月に一度訪れているので、道案内をして頂いた。 遺跡に入るには入場料が35ペソ(約400円)、9時のゲートオープンである。 遺跡には9時15分前に着いた。 既に観光バスが数台ゲートの前で待っている。 開門と同時に入場料を払って入った。 広い遺跡内に人影は無く、まるで古代にタイムスリップしたみたいだ。 神殿(ピラミッド)の周囲には相当に広い範囲にわたり、発掘された付属設備(祭事場と思われる)が広がる。 古代の人々の人口を考えると如何にも広すぎる。 現代なら大きなイベントで数万人の群集が1個所に集まることはあるが、古代の人口から考えると、これ程の広さを必要とする人々が頻繁に集まると言うことは凄いことのように思える。 娯楽、生活、宗教活動、社交をひっくるめた活動が、殆ど全ての民衆が参加したかたちでこの神殿のもとで行われていたのだろうか。


敷地の見取り図: 広大な敷地は当時の治世者の権力の大きさを物語る



ピラミッドはエジプトのものとは構造が違う。 大きな石は用いられておらず、人間が一人で持ち運びできる程度の石を使っている。 又、もともとあった山を利用しているようで、山をピラミッド型に削り外周を石で固めてあるらしい。 太陽の神殿は完全に頂上迄、石材で覆われている(多分修復したもの)が、月の神殿は上部3分の1の石材が剥げた山地が見えている。


 


考古学博物館の展示物:
かって毎日のように神に犠牲を捧げていた、犠牲者の心臓受け皿


翌日の午後も幸い時間ができたの。 メキシコシテイー中心部に横たわる広大な緑地内にある Antholopogy Musium を訪れる。 何と入場料は無料である。 昨日見学したテオティワカンの太陽と月の神殿から掘り出された主な遺跡はここに展示されている。 博物館は広い。 しかも内容が大変充実しており、多くの小中学校の遠足らしき一行が見られる。 学生風の者も多く見かけられ、熱心にノートを取っている。 半日ではとうてい全部を見切ることはできない。 ある程度の展示物を見ると、頭が飽和して後は何を見ても何も頭には残らない。 テオティワカンの遺跡の展示と説明を主にみて、館内売店でテオティワカンの小冊子を買い、舘を出た。



考古学博物館内のテオティワカン(太陽と月の神殿)展示の一部



広場から太陽の神殿を望む







30/Apr/'02 林蔵@Mexico City Mexico (Updated on 23/Jan/'10)#097

{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る]