Zocalo広場, メキシコシテイ旧市街 世界遺産@Apr/'02 Mexico Mexico
[世界遺産 Historic Center of Mexico City and Xochimilco 文化遺産 1987年登録] 人口2,000万人を超える大都市。アステカ王国時代はテノチティトランと呼ばれ、テスココ湖の湖上に築かれた壮麗な都市だった。1519年スペイン人エルナン・コルテス(Hernan
Cortes)のメキシコ征服により破壊され、湖は埋められ現在のヨーロッパ風の都市が築かれた。メキシコシティ(Mexico City)は英語での呼び方で、現地ではメヒコやメキシコ市を意味するスペイン語のシウダー・デ・メヒコ(Ciudad
de Mexico)と呼んでいる。正式には、Distrito Federal(=連邦直轄地、略称DF)と称する。なお、1986年に起きた大地震では沢山のビルが崩壊したが、その多くが地盤の緩い埋立地にあるものであった。メキシコのみならず中南米の経済の中心地である。市内には高層ビルやホテルが林立し、道路はいつも車で埋め尽くされているが、排気ガス規制が緩く、その上、市の周辺が4000メートルを超える山々に囲まれているため、高地による空気の薄さとあいまって、大気汚染が酷いことでも有名である。メキシコシティの中心街・ソカロ周辺は、アステカ王国時代のテノチティトランの都の中心部とほぼ同じ位置にあり、カテドラル(大聖堂)と国立宮殿(大統領官邸)の中間の位置からテノチティトランの中央神殿(テンプロ・マヨール)が発掘され、野外博物館となっている。この一帯は世界遺産に指定されている。また、市中心地のチャプルテペック公園内にある世界的に著名な国立人類学博物館は、マヤ、アステカ時代などのメキシコの古代文化と民俗学研究のまさに集大成で、世界七不思議にも数えられるパカル王の翡翠の仮面や巨石人頭像など、メキシコ中から集められた出土品が所狭しと展示されている。(Wikipediaより)
約1時間のバスライドの後、終点のHidalgoでバスを降りると、右手に公園の緑が直ぐ目に入った。 公園内を通りぬける。 火曜日の午後、公園内は若いカップルや家族連れで結構賑わっている。 公園内のジュース・スタンドで子供連れのおばさんから、レモネードのボトルを1本買う。 「クワンド?」、 「オーチョ」、えーっと、8だな、8ペソだ。 10ペソ払って2ペソお釣りを貰う。 側にいた子供が、「オーチョは日本語で何と言うの?」、と聞いているようす。 「はち」、と答えると満足そうに、「はち」、と繰り返していた。 公園を抜け、タクシー、人力車、路上物売りでごったがえす Juares通りの狭い歩道をZocalo方面へ進む。 物乞いも多い。 路上物売りも、大部成功している者から、さっぱりはやらない者まで様々。 途中、中近東で良く見かけた、オレンジ・ジュースの生絞りを売っている路上スタンドが有った。 お兄さんに、「クワンド?」と聞くと、 「シンコ」、との返事。 5ペソ払って、あまり衛生的とは言えない生オレンジ・ジュースを飲む。 旨い。
目的の Plaza de Zocalo に着いた。 1辺が200m位程度の四角い広場になっている。 北側に古めかしい石造りの建物がひときわ目立つ。 内部に入ってみた。 外見では想像もしなかった荘厳な教会だった。 Metropolitan
Cathedral of Mexico 内部の Alter of the Kings が最も有名らしく、説明の看板があった。 1718年に起工、1737年に竣工、世界でも最も優れた金箔が貼られた木彫り作品の一つとある。 作品長27.5m。 フラッシュ撮影は勿論禁止である。 (不覚にも教会内で帽子を取るのを忘れ、他の訪問者に注意された。) タクシー大嫌い人間の筆者である。 帰りは広い緑地帯を持つReforma通りを、一時間半掛けて全行程歩いたことは言うまでもない。
30/Apr/'02 林蔵@Mexico City Mexico (Updated on 24/Mar/'08)#096 |
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