イスタンブル
世界遺産:Historic Area of Istanbul 
@Aug/'12 Istanbul, Turkey


Ayasofia Museum: 今回は時間の都合で残念ながら内部にははいれなかった
優美で壮大な建造物は世界中の観光客を魅了してやまない
 


【世界遺産: Historic Areas of Istanbul、 文化遺産、1985年登録】 ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアが対峙するイスタンブールは、常に歴史の運命に翻弄されてきた。 旧市街にはアヤ・ソフィア、トプ・カピ宮殿、スレイマニエ・モスク、スルタン・アフメット・モスク(ブルーモスク)などが歴史の栄華を伝えている。 現在は2000余りのモスクが立ち並ぶイスラム教の街であるが、かつては華麗なイコンに彩られたビザンチン文化の華咲く街であった。 紀元前にはギリシアの植民都市ビザンチウムと呼ばれていたこの街を、世界史の表舞台に押し上げたのは、ローマ皇帝コンスタンティヌス帝で、330年に帝国の都をローマから移したことによる。 街はコンスタンティノープルと名付けられ、キリスト教世界の重要な都市として位置づけられた。6世紀に建立されたアヤ・ソフィアはビザンチン建築の最高傑作の一つとされている。 1453年、オスマントルコの攻撃によって、コンスタンティノープルは陥落し、以後はイスラム教国家オスマントルコの首都として20世紀を迎えた。




ガラタ橋
旧市街とガラタ地区を結ぶ



このくにはイスラムの国なのだろうか。 街にアラビア文字がない。 女性の服装はパリやミラノと何ら変わりがない。 今は確かラマダン中の筈だ。 リヤドの事務所では、朝と昼の珈琲が出なくなった。 仕方なく私も事務所にいる時間は断食をしている。 だがイスタンブルのこの事務所は席につくなり、事務所の世話係りが間をおかずシャイ(紅茶)を席にもってきてくれる。 出勤前、ホテルの前を少し歩いてみたが、多くのカフェはオープンしていて、道路に面したテラス席では朝食を楽しんいる姿がそこかしこでみられる。 彼らは外国からの旅行者とは思えない。 どうみても土地の普通の会社員が出勤前の朝食を取っている景色にしかみえないのだが。




ガラタ橋: 橋の下は有名なレストラン街



ガラタ橋から望むボスホラス海峡と金角湾
今も昔も変わらぬ大小のボートの頻繁な往来をみると気分はすっかりビザンチン



永年来の念願であったイスタンブル訪問が意外なことから簡単に転がり込んできた。 リヤド滞在中の、ビザ滞在期限更新と、トルコ社が必要とする品物がたまたまリヤド事務所にあったので、それを手持ちで搬送すると言う半ば仕事を兼ねての訪問となった。 東ローマ帝国(別名、ビザンチン帝国)の首都、 アジアとヨーロッパをつなぐ街。 塩野七生氏のコンスタンチノーブルの陥落やレパントの海戦、更にローマ人の物語で始終登場する土地である。 何十年も前から一度は訪れたいと密かに憧れていた土地である。 だが残念ながら、今回の滞在は極めて短い。 しかもリヤドは木・金が休日で本来なら休日に当たるのでトルコの事務所には用件を済ませ、直ぐに退出すれば良いのだが、初めての事務所訪問であり、何かと小さな打ち合わせや、日本が月曜から夏休みに入るので、休み前のこまごまとした連絡や確認をしておかなくてはならない。 結局、木・金と殆どフルに事務所に詰めることになってしまった。




ガラタ橋: 橋げたの下に広がるレストラン街
高級店からファーストフード店迄、多くのレストランがひしめき合う



金曜日、帰路空港へ向かう前に若干の自由時間を作った。 10階の事務所から急いでグランドフロアーに降り、黄色いキャブに飛び乗る。 運転手にガラタ橋と告げる。 運転手は軽く頷き、黄色いキャブを発車させた。 昨日早朝、5時半にイスタンブルに降り立ったが、空港からホテル迄の移動中、事務所の運転手から、イスタンブルの街の交通渋滞の酷さをさんざん聞かされていたのである。 ガラタ橋迄さほどの距離ではない筈だが、果たしてスムーズに行けるのだろうか。 心配である。 事務所の方からは、(トラムは渋滞に関係ないので)トラムで行けば良いと、アドバイスを受けているが、初めてのトラムも今一不安、使いたくない。 やはりタクシーにしたのだ。 だが心配も徒労に終わったようだ。 大した渋滞にも巻き込まれず10分あまりでガラタ橋のたもとに着くことができた。 料金は13.5トルコリラ(約550円)、15リラ払っておつりはチップで取って頂いた。 キャブを降りて直ぐ橋に向かって歩き始める。




ガラタ橋のたもと: 往来の激しい大通りをくぐる地下道


橋の両脇には広い歩道が備わっている。 この橋桁の下にはフィシュレストランがひしめき合っているのである。 ここでイワシの塩焼きを挟んだサンドイッチを食したいところだが、今日はそんな時間の余裕はない。 このガラタ橋、Aya Sofia Museumとブルーモスクを訪れるのが今日の短い自由時間でのメイン目的だ。 橋から東側を見るとボスホラスの手前に金角湾が広がる。 ベニスの商人が大活躍した良港である。 橋の向こうには左手にYeni Mosque、右手の丘にはSuleimaniye Mosqueが巨大なドームを伴った姿を見せている。 どちらもブルーモスクと見まがう程の威容を誇っている。




ガラタ橋のたもと: 道路を横切る地下道内、携帯屋
アラビア文字はないが、この陳列のしかたはまさしくアラビア風と言っていいだろう



橋を渡ると道路を隔ててYeni Mosqueが眼前にはだかる。 さすがに世界有数の観光地、広い道路はひっきりなしに車が横切り、往来が絶えない。 そしてそのような事態に備える地下道が完備されているのだ。 さっそく地下道に足を向ける。 リアドでは味わうことのできない、男女(黒ずくめでない)入り混じった人ごみ。 こんな何でもない日常の景色に感動さえ覚える。 地下道の両脇には様々な小さな商店が所せましと派手な装飾で飾り立て居並ぶ。 横浜のダイヤモンド地下街や新宿駅の東西間通路に何となく似ている気もする。




Yeni Mosque: ガラタ橋を渡ると左側に聳える巨大なモスク
普段見慣れた衣装をまとう女性とをみると何故か安堵を覚える



地下道を出ると、ブルーモスクと言われても疑わない程の威容を誇るYeni Mosqueが再び眼前に更に大きな姿を現す。 イスタンブルにはブルーモスクに似たモスクが、しかも規模も大きいなモスクが多く点在する。 今日の少ない時間での目的地はブルーモスクとAyasofia Museumに縛っている。 この Yeni Mosqueはパス。 ブルーモスクは歩いても行ける距離の筈だ。 だが初めての土地は土地勘が全く働かない。 やはりタクシーに頼ろう。 往来の激しいYeni Mosqueの前でタクシーを拾う。 ブルーモスクと告げた。 運転手は、普段の街中を行くととても混んでいるので海沿いに遠回りをして良いか、と聞いてくる。 今は時間が惜しい。 もちろんOKである。 キャブは金角湾からボスホラス海峡に沿って走る。 なるほど、難攻不落の要城と言われたトプカピ宮殿を取り巻くイスタンブル旧市街は切り立った海岸線で頑丈に守られている。 混んだ街中を行くより、遠回りは海岸線をくまなく見ることができたのでむしろ超ラッキーであった。 




ブルーモスク: Aya Sofiaの南側に並んで佇む、
かつて訪れたスペイン コルドバのメスキータを思い浮かべる形容を呈す



旧市街をなす半島を一周すると、運転手は急な坂道に車を乗り入れた。 ブルーモスクのゲートへ向かっているらしい。 狭い急な坂の両側には小さな旅籠屋が軒を連ねる。 いずれも観光ホテルだと言う。 坂を登りきるとブルーモスクの巨大な建造物が目の前に現れた。 広い芝生に覆われた前庭がその周囲を取り巻く。 今はラマダン時期、内部では多くの敬虔な信者がお祈りをしており、入ることはできなかった。 そして、少し北側にAya Sofia Museum が優美で壮大な容姿を惜しげもなく見せている。 最初は東ローマ帝国(ビザンチン帝国)の教会として、その後、オスマントルコに占領されたからは、モスクに改修され、現在は無宗教の博物館となっている。 内部を見るには入場券が要るようだ。 しかも入場制限をしている模様。 チケット売り場の前には行列ができて居て、チケット売り場が開くのを待っているらしい。 残念、今回は悠長に待つ時間はない。 外からその雄姿を拝むだけで良しとしよう。 




Aya Sofia MuseumとYeni Mosqueを結ぶしゃれた小道:
息子たちが永く住んでいたフランクフルトの街中にも同様な歩行者天国の小道があった




Aya Sofia Museumの前に伸びるしゃれた小道に居た野良ネコ
きらびやかな歴史に飾られた街の住民にふさわしい気品すら感じる




Aya Sofia Musium前公園:  何台もの観光バスが世界中から訪れる観光客を運ぶ


Aya Sofia Museum に別れを告げ、西に延びる洒落た緩やかな登りになった歩行者天国になった小道を進む。 ガラタ橋へ向かい歩くことにしたのである。 両脇には高級な洒落たブテイックや土産物屋、高級絨毯屋、カフェ等が犇めく。 カフェのテラスで珈琲でも楽しみたいところだが、やはり時間の制限であきらめる。 グラン・バザールの表示板がある。 この機会を逃す手はない。 少し回り道かもしれないが、グラン・バザールを通ってゆこう。 




グランバザール: 短い訪問時間に予定していなかったが、迷い込んでしまった



グランバザール: ここはまさしく中東の国である実感がする


ビザンチン時代からのグランバザールがそのままある。 扱っている品物は当時とは少し違っているかもしれないが。 雰囲気は紛れもない中東のスークである。 アーチ型の天井、夥しい数の金制品を陳列しているゴールドショップ、香水屋、絨毯屋、日用雑貨など等。 このような狭い場所に半ば無秩序で、混沌とした状態の市場(スーク)が大好きだ。 時間さえ許せば、何時間でも居たい場所である。 だが今日は通過するだけ。 グラン・バザールの内部に入ると狭い路地が四方に端が無いかの如く延々と伸びる。 




グランバザール内部: 中東の市場には欠かせないゴールドショップ



グランバザール内部: 銀装飾品屋
ローマ時代から変わらぬデザインではないかと思う




グランバザール: 周辺の店もグランバザールと変わらなぬ雰囲気



グランバザール: メインゲート前の通り
シリア ダマスカスの旧市街に広がるハメヂアスークにも劣らぬ規模の市場(スーク)が広がる



グランバザールを出た。 ガラタ橋はどちらの方向だろうか。 腕時計に組み込まれた方角表示計を見る。 ガラタは北の方向、坂を下る方向の筈だ。 北に向かい坂を下る。 その時だ、いきなり稲妻が走り、大粒の雨が激しく石畳の坂をたたき始めた。 やばい。 リュックの中には仕事用のパソコンが入っている。 自分の体だけなら濡れても平気だが、パソコンを濡らすわけにはゆかない。 石畳に鈴なりだった観光客は全て店の軒先で雨宿りをしている。 私もその一人になった。 3人の男性と1人の女性観光客と一緒だ。 少し待ったが大粒の雨はやみそうにない。 時間が気になる。 4時半にホテルのロビーで運転手と落ち合うことになっている。 混んだ道を空港へ向かうのに計算された時間だ。 石畳の坂道はたちまち急流の川の如く激しい水流になってしまった。 其のうち、2人の男性が話しかけてきた。 NHKワールドを見ているらしい。 日本のことにやけに詳しい。 トルコ人で、観光でイスタンブルを訪ねているとのことだ。 妻はチュニジア人でフランス語も少しできる。 友人に日本人女性と結婚している者がいるとか、たわいもないことを話し、笑い、時間を過ごす。 時間を気にしながら、20分程度雨宿りをしただろうか。 雨は小降りになり、石畳の坂道の水流も減ってきた。 トルコ人の観光客におしゃべりのお礼を述べ別れた。 そして、100mほど歩くと、そこはガラタ橋の袂に佇むYeni Mosque前の広場だった。 




グランバザール: この品ぞろえと陳列の仕方が中東のバザールを物語る


ガラタ橋を急いで渡り、タクシーを捕まえようとするが、旧市街からのタクシーが極端に少ない。 少しいらだつ。 ホテルの方向へボスホラス沿いに歩きながらタクシーを探す。 巨大な客船が接岸している波止場に辿り着く。 ここはタクシーの客待ち場もある。 ようやくタクシーを拾い、宿舎のホテルへ向かった。 道はきた時より混んでいたが、何とか運転手との待ち合わせ時間には間にあった。 




宿舎Dedeman Hotel前の通り: ファーストフード店、
今はラマダン中だが、日が昇った朝方、堂々と営業中で多くの客も居る




イスタンブルのホテル:
部屋のドアーノブに2種の表示器
部屋の掃除お願いします、と
睡眠中です、邪魔をしないでください、のサインに使う



今回は思わぬ機会で憧れのイスタンブルを訪れることができた。 ただ滞在時間と自由時間が短かったのが大変心残り。 もう一度何時か訪れることを心に誓いつつ街を後にした。 今回の機会に感謝し、そして豊かな歴史と、今も変わらぬ美しい永遠の街イスタンブルに喝采。




事務所からの眺め: ボスホラス海峡と中央右側に
トプカピ宮殿跡、ブルーモスク、Aya Sofia Museumを包む半島(旧市街)を望む




イスタンブル空港: 出発ロビー
天井の方向表示板はその国の向いている方向を何となく示している気がする

















林蔵@Istanbul Turkey 3/Aug/'12 (Updated on 19/Aug/'12)#423
  

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