Jabal Amman 2012
 
@Aug/'12 Amman, Jordan


3rd Circleのグランド・ハイヤットから眺めるブルー・モスク


ジャスミンの香りが漂う。 この界隈は生垣にジャスミンを植え込んでいる邸宅が多い。 眼前にアンマンの丘を眺めながらゆっくりHyattの朝食を取る。 グランドハイヤットの広いダイニングカフェには様々な人間模様を見ることができる。 こういう何もしない無駄な時間がとてもお気に入りである。 朝食の後はテラスガーデンを見下ろす、ちょっと私には豪華すぎるロビーソファーに身を沈めラップトップを開く。  ここからもアンマンの丘は眼前に広がる。 世界一高いと言われる国旗掲揚ポストに、これまた世界一大きいと言われているヨルダン国旗が王宮の丘にはためいているのが見える。 こんな景色がアンマンに居る気分を更に掻き立ててくれる。 メールのチェックや日記の書き込みも終え外へ出た。 ジャバルアンマンの尾根沿いに伸びる高級住宅街、ザハラン通りを歩く。 足りないのは家族がここに居ないこと。 長い間の夢は未だ現実にならない。 夢とは所詮そういうものなのだろうか。




第3サークル: 昔は街はここまでだった、今は第8サークル迄伸びている、


リヤドでは考えられない気温に幸福感を覚える。 頬に当たる風が心地よいのである。 最も気温の高い日中である。 確実に30度以下と言える。 ジャバル・アンマン(アンマンの丘)を第 3サークルからダウンタウンに向って尾根沿いに伸びるザハラン通りを下る。 この辺りは昔から大使館等が多く点在するハイライフ地区である。 第 2サークルのコーナーに、1972年に訪れた時からある小さなシュワルマ屋は今も健在だ。 昔から超有名だった。 今もその評判は変わらない様子。 手抜きをしない味とサービスの品質を保っている証拠であろう。 立派である。




第2サークルに角にあるシュワルマ屋: 1972年に訪れた時から超有名店



第一サークル迄来た。 7年前、JICAの活動時に訪れた際、この当たりのさびれた様にがっかりした覚えがある。 だが今回はまるで様子が違う。 蘇っているのである。 1972年、この辺りはアンマンの最先端を行くハイセンス、高級タウンであったのだ。 それが今、かつてのハイセンス、高級感を取り戻し、活気に満ちている。 我がことのように嬉しくなる。 特に第一サークルからBritish Councilに向うレインボー通りのオシャレ度には目を奪われる。 7年前はシャッターが閉まった店が多く、客もほとんど入らず、埃を被った商品を並べた店が多かったのである。 それがまるで魔法にでもかかったように多くの商店は改築され新しい店構えになっている。 若者の数が断然多くなっている。 いずこも先端ファッションは若者が担うものと相場が決まっているようだ。




第1サークル近くにあるイラク大使館の扉
動物のモチーフがかわいい
最初動物保護団体か何かの建物かと勘違いした




第1サークル: 洒落たテラス・レストランが周囲に犇めく




レインボー通りからの眺望:
 王宮の丘に翻る世界一大きいと言われるヨルダン国旗



レインボー通りのシンボルであったレインボー・マーケット、1972年は超高級輸入商品を扱うスーパーマーケットだった。 7年前は同じレインボー・マーケットの名であったが、品物は3流の落ちぶれたスーパーに変わり果てていた。 今回は豹変、洒落た高級感あふれるカフェ・レストランに姿を変えていた。 周囲を見渡すと洒落たレストランやカフェが溢れんばかりだ。 そしてラニア女王が主催するJordan River Foundationを訪れた。 今も変わらぬ垢抜けたセンスの店内。 実はここに来たのはある目的があったのだ。 死海の泥石鹸がお目当てである。 もくろみ通り死海の泥石鹸をゲット。 サウジでは家へのお土産として適当なものが見当たらない。 丁度いい具合に、この死海泥石鹸は家人にも人気なのである。 私の土産で気に入ってもらえる数少ないアイテムなのだ。




レインボー通り: 
昔のレインボーマーケットは、高級レストランに変身していた




レインボー通り: Vツイン・ビックアメリカン・バイクが似合う洒落た通りになっている



Jordan River Foundation:
ラニア王女が主催する垢抜けたセンスのクラフトセンター



死海泥石鹸をゲットした後は、ジャバル・アンマン(アンマンの丘)の端をダウンタウンへ急な坂道を一気に下る。 ダウンタウンは昔と全く変わらない。 石造りの建物の壁は風化が進んで更に黒みを増している気がするが。 歩道一杯に所狭しと広げた商品の山、身体がぶつかり合い思うように歩けない程の人波。 間口が狭く奥の深いスーク(商店街)。 煙草屋(お茶屋)で立ち飲み茶(シャイ)を頼む。 一杯0.15デナール (20円)。 お茶は勿論甘く熱いアラブ風。 映画館を探したが見つからない。 7年前は確かにあった筈だ。 第 3サークルのハイヤットとの対面にあるロイヤルホテル内にもあったのを覚えているが、今回チェックしたら無くなっている。 ホテルに戻り聞いてみた。 今はシテイーモール(西の郊外にある超大型ショッピングモール)にあると言う。 そういえば、確か7年前にもメッカ・モールは既にあり、中にシネマホールもあったのを思いだした。 お昼を抜く習慣が既についている。 今回も街歩き時に小さなシュワルマ1個 (0.75JD:約90円)にホテルから持ち出した水だけだった。 夕食は外で取ろう。 9時近くになりホテルからジャバル・アンマンの第3サークルから第2、第1サークル方面へ歩く。 第1サークルに昔からあったアンバサダーレストランはバッファロー・ビストロに変わっている。 生バンド入りの通りに面したテラス・レストラン。 このサークルには、他にも同じようなテラス・レストランが坂道に微妙なバランスで軒を連ねる。 その内の一つブロストのテラス席の客になる。 既に他の多くのテーブルは若者や家族連れで埋まっている。 アラブ特融の水タバコを楽しんでいるグループが多い。 女性も男性に混じり水タバコをふかす。 リヤドでは想像できない風景だ。 実に楽しそうに水タバコとおしゃべりを楽しんでいる。 微笑ましい風景にそのお裾分けを頂いた気分になる。 ツナ・サラダとメキシカン・チキン・ステイックを注文した。 水は自動的に付いてくる。 ささやかではあるが十分な夕食を楽しみ、代金4.5JD(約600円)にチップ0.5JDを置いてテラス席を立った。 時刻は既に10時を過ぎている。 宿に戻ろう。 10時を過ぎてもジャバル・アンマンの人通りは絶えない。




ダウンタウン: 1972年と少しも変わらない通り



ダウンタウン: このようなタバコ屋兼お茶屋は昔と殆ど変らない
暑い甘いお茶を一杯戴く(0.15JD、約20円)



翌日、第3サークルでタクシーを拾い、ダウンタウンの中心ローマン劇場の対面の丘にあるアルカラ(アンマン城跡)へ向かった。 タクシー料金は交渉で2JD(約220円)、ハイヤットの前で待機しているタクシーに捕まれば確実に倍は要求される筈だ。 アンマンの丘の頂上にアンマン城跡はある。 そして歴史博物館が併設されているのだ。 ここが本日のお目当てである。 だが、内部に入るや失望の念に打たれる。 死海聖書をはじめとする多くの珍しい貴重な資料がことごとく陳列棚から姿を消しているのだ。 何故無いのか説明もない。主人のいなくなった陳列棚は粗末に放置されている感じ。 だがアンマン城跡から眺めるアンマンの街は圧巻である。 7つの丘の街が見事に見てとれる。 さて、今日は歩くのである。 タクシーの勧誘を振り切り、アンマンの丘からのびるジャバル・フセイン(フセインの丘)の尾根を西に進む。




アンマンの丘: アンマン城跡
この街はローマ時代の遺跡が多い、ローマ人の街作りの哲学が2000年後の現代にも見てとれる




アンマン城跡から見る今も使えるローマンシアター



アンマン城跡にある歴史博物館:
今回は失望、多くの重要展示物が撤去されていた



イスラム模様の噴水台




石棺



アンマン城跡: ウマイヤ朝時代の城の一部
ローマの後、この地はイスラム国家ウマイヤ朝の勢力圏に入る





アンマン城跡: ウマイヤ朝時代の城の一部


1時間半程歩いただろうか。 シュメサニの近くに来た筈だが、土地勘を失ってしまった。 目標にしていた高い建物がことごとく見えない。 どうも谷間に入ってしまったようだ。 アンマンは起伏が激しい。 谷間に入ると遠くの目印は全く見えなくなってしまう。 土地の品のよさそうな御婦人が心配そうに、たどたどしい英語で話しかけてきた。  “何処に行くの?“ 明らかに道に迷っているように見えたのであろう。 ”シュメサニに行きたいのだけど“ と答える。 すると御婦人は大きく手を広げて、 ”とても遠い。“ と言う。 流石にタクシーを使えとは言わない。 私のカッコウから歩いているのが解るのであろう。 ”この道を上ってゆくと、サークルがあるから、そのサークルを、右、右ですよ。“ と教えてくれた。 実は先ほど、そのサークルを通過したのだ。 御婦人の言う右に行かず、この坂を下ってしまったのだ。 サークルに再び戻り、右に進む。 確かに見覚えのある建物が見えてきた。 メルデイアンとマリオットだ。 シュメサニは近い。 メルデイアンの前の少し洒落たカフェで、おにーさんの巧みな呼び込みに釣られ、水分と少しの食べ物を取ることにした。 おにーさんは感じの良い青年で、呼び込みも決してしつこくない。 極自然に引き込まれる感じだ。 オレンジ・ジュースとザータリ(ハーブの一種: タイム)のミニピザを頼んだ。 アップダウンの激しいアンマンを歩くのは結構エネルギーが要る。 お店に入ってみると、結構流行っている。 次から次と土地の若い女性グループが何組も来て注文をしては出て行き、しばらくすると、注文した品物を取りに戻ってくる。 後程、珈琲も頼んだら、水がサービスで付いてきた。 大分元気を取り戻した。




ランチ: メルデイアン前のカフェで戴く
オレンジジュースとザータリ(ハーブ:タイム)のミニピザ



再びリュックを背負い、外を歩き始めた。 シュメサニのメインショッピング・センターに出た。 懐かしい店が脳裏によみがえってくる。 良くケーキと珈琲を楽しんだ、Babicha、そしてAl Wadees。 いずれも当時と変わらぬ、或いは少し店構えが立派になってその姿を見せている。 Al Rabiaのショッピング・センターに差し掛かった。 ここからは住んでいたアパートに近い筈だ。 May Saloon通りに足を向ける。 今は別の住人が住んでいるかつてのアパートを確認する。 石造りの建物は7年の年月を少しも感じさせない。




Babicha: 昔通ったカフェ、ケーキ屋



AL Wadees: かつての友人宅近くにある美味しいケーキがあるケーキ屋、
店内では珈琲も楽しめる




かつて住んでいたアパート: この1階部分(1軒分で1階分全部を占める)を借りていた
200平米を超す広さ、大理石の床、ペルシャ絨毯を敷いた居間
豪華アパートである



さて、今日はもう一つの目的がある。 映画鑑賞だ。 サウジでは公衆エンターテイントメントは禁じられているので、映画館は無い。 劇場やショーもない。 ホテルのクラークから教えてに貰ったシテイー・モールへ行こう。 ここから歩いても行けるが、時間と疲労度と相談、タクシーを拾うことにした。 映画鑑賞は2時間として、4時頃、少し余裕をもってモールに着いていたい。 大通りでタクシーを拾い、値段交渉。 運転手は自分の値段を出さない、相手に先に出させるのだ。 私は旅行者と一目でわかる。 相場を知らない旅行者に先に言わせ、高めの値段に設定しようとする魂胆である。 私は2JDを提案、運転手は4JDだと言う。 このような場合、中を取るのが通例だ。 3JD(約330円)で折り合いが付き、助手席に乗り込んだ。 歩けば1時間半程度の距離だろうか。 日本人の感覚では330円なら安い。 念願の映画鑑賞。 大画面、大音響、やはり映画館の迫力は凄い。 値段は7JD(約770円)。 あまり好みの作品ではなかったが、今日は映画館の雰囲気を楽しむだけで十分である。 だが失敗もある。 映画館の中は冷房が凄く効いているのを又忘れていた。 今日もTシャツ一枚で寒さに震えながらの鑑賞となった。 無事映画鑑賞を済ませ、ホテルに戻ろうとすると、モールの前ではお決まりのタクシーの群れ。 目ざとく外国人観光客を見つけてはしつこく勧誘してくる。 こういうのは苦手だ、と言うか好かない。 歩くと2時間以上は掛かるからタクシーを利用しても良いと思っていたが。 この感じの悪い勧誘を受けると、タクシーを利用する気は失せてしまった。 歩こう。 東に向かって歩けば、見覚えのある通りに出る筈だ。 1時間半程歩くと、キロ・サークル(昔市場があったサークルなので重さの単位を取ってキロ・サークルと言う。)に出た。 ここからザハラン通りに出て、後はザハランを一路ダウンタウンに向って下れば、第3サークルのホテルにたどり着けるのである。 ザハラン通りに出た時点で7時過ぎ、暗くなった。 簡単な夕食を取ろう。 バーガーキングが通りに面してあった。 ワッパーミール(4.5JD:約500円)で腹を満たす。 こちらの人は基本家族連れである。 そして子沢山もお決まりのパターン。 従って注文数がやたら多い。 トレーが一つでは到底足りない。  トレー2つ、3つに山盛りは当たり前。 此処までくれば、我が庭と同じ。 このバーガーキングは第6サークルにある。 後は第5サークルのシェラトン、第4サークルの新しいブリッジを過ぎれば、 第3サークルのバベルの塔型を模した7色のイルミネーションに照らされた巨大なロイヤルホテルが視界に入ってくる。 我が宿舎のグランド・ハイヤットはその対面だ。 アンマン散歩も無事終え、ホテルでシャワーを浴びる。 今日は心地よく眠れそうだ。 平和なアンマンに喝采。

















林蔵@Amman Jordan 22/Aug/'12 (Updated on 04/Sep/'12)

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