アンマン、バスライド
 
@Aug/'13 Amman , Jordan


アンマンの宿舎 Le Merdien の窓から望む丘の街アンマン


7つの丘の街に戻ってきた。 古来、7つの丘を持つ街は美しい街に例えられる。 古の永遠の都、ローマがそうであったように。 豊かな変化のある地形の街に身を置くと落ち着く。 24時間掛けバス便でこの街に入った。 ラマダン明けになる週、飛行機便はどの便も満席だった。 そんな訳で国際直行高速バスを利用することになったのである。  




リヤド、バスターミナル: 
ラマダン中だ、飲食スナック店はどこも日の出ている間は閉まっている



旧市街の南にあるバス・ターミナル、スナック・スタンドは、何処も日の出ている間は閉店中だ。 仏教徒を自称する筆者である。 他宗教徒はラマダンの戒律/習慣に従う必要はない。 とは言え、断食中の人々の面前での飲食は憚られる。 自然と周囲に合わせ断食の真似事をする羽目になる。 15分程度出発時刻を過ぎ、バスが5番レーンに入ってきた。 何と使用機材はヨルダン国営バス会社JETT社のものだ。 懐かしい思いが心に満ちる。 ヨルダン滞在時代、アカバに行ったり短い春のお花見(砂漠一面が花畑になる)等に良く利用したバスだ。 MAN社製の大型バス。 バスは 30分遅れ、10:30にリヤド、バス・ターミナルを出発した。 こちらでは、タクシーは少し遠い距離になると、お客を乗せてから燃料補給することがある。 だがバス迄そうだとは思わなかった。 バス・ターミナルを出た直ぐのスタンドで燃料補給、結局此処でも30分程度のロス。 




リヤド、バスターミナル: 出発ゲート
ここには11の出発ゲートがある、アンマン行きは5番ゲートだ



ラマダン最終週で人々の移動は激しい。 飛行機便は満席で取れなかったが、バス便も利用者は多く満席。 流石に長距離用の大型バスである。 さほど窮屈とは感じない。 隣は感じのいいヨルダンの出稼ぎ青年だ。 出発するや、たちまち通路はこども達の遊び場と化す。 子供は万国共通遊びの天才。 子供連れの家族は大抵がメードも一緒だ。 メードはインドネシアやマレーシアの女性が多い。 彼女たちもモスリムなので家事で何かと解りが良いのだろう。 彼女たちは旅行中も家族の面倒を見るのである。 子供の中に小学高学年らしい女の子が一人混じっている。 バスに乗るまでは例の黒いガウンで全身を覆って居たので大人かと思っていた。 バスに乗るや黒いガウンを脱ぎ捨て、肩を露わにした緑と黄色の艶やかなショーツ姿になる、胸の膨らみもあり色っぽい。 こんな無邪気な遊びが許されるぎりぎりの年齢だろうか。 




何と、使用機材は、筆者にはお馴染みのヨルダン国営バス会社、JETT社のものだ



運転手は2名乗り込んでいる。 休んでいる運転手は車掌の役を代行する。 SAで休憩後の乗客数の確認、国境でのパスポートのとりまとめ(バス便での国境通過は全員分のパスポートをまとめて係官に提出する。)、本人確認等である。 イミグレでのパスポートは無造作に扱われる。 当然、一般客の割り込みは日常茶判事。 窓口の1m後ろに一人ずつ並んでなんて、守られている試を見たことがない。 窓口にあらゆる方向から何人も群がり、複数の手がパスポートを手に手に小さな窓口の中に差し出される。 我々バス便のパスポートの山は無造作に崩れ、順番が狂ってしまう。 それでも、毎回取り間違いや、故意のすり替え等の事故がすこぶる少ないのには驚かざるを得ない。 通関時の係官への説明等も交代運転手の役目だ。 午後三時過ぎにSAでトイレ休憩。 SA内の食堂もカフェも当然の如く閉まっている。 




日が落ちた後、最寄りのSAにより、その日初めての飲食、
バスもトラックも乗用車もSA内のレストランに殺到する
何んとかBreak-fastにありつけた
三角形をした揚げ物の中身はチーズとミンチ



夕陽が沈むBreakfastの時刻、最寄りのSAに寄り、その日始めての飲食Breakfastストップ。 我々のバスだけではない。 トラックも、乗用車も一斉にSAに雪崩れ込む。 食堂は蜂の巣を突ついたような騒ぎだ。 どうにか簡単なBreakfastに有り付けた。(6SAR: 約150円)  一時間の食事休憩の後、国境のSA迄トイレ休憩が23時に一度あるのみ。 国境のSAには午前3時半着。 大きなスーパーが併設されており、乗客の多くは、普段のようなショッピングをする。 林蔵はドリンクとスナック菓子のみ。 店の兄ちゃんに、コリア?と聞かれる。ラ(ノー)、ヤバニ(日本人)と答えると、ニヤリとして、親指を立てる。 国境には4時に到着。 先ずサウジ側の通関(カスタムズ),珍しく何なく通過、問題が発生したのは、次のサウジ側の出国イミグレだ。 システムダウンで出国スタンプが押せない。 たちまち長蛇の列が崩れ、かなり広いイミグレ・ロビーは人で埋まり罵声が渦巻き始める。 怒鳴ったところでシステムダウンが直る訳でもない。 気長に待つしかない。 イミグレ係官の不貞腐れた顔。 係官が端末の復旧を確認する度に、(係官は一名しかいない。)その端末の前に殺到する殺気立った群衆。 結局、両国のイミグレを通過したのは、東の空に太陽がかなり高く昇った7時をとっくに過ぎていた。 
       




サウジ・ヨルダン国境で朝日を拝む


ヨルダンに入り直ぐの町はアズラック。  40年前(初めて林蔵がヨルダンを尋ねた時)は、泉が湧き出て当たり一面が浅い湖状態であり、青く輝いていたのでアズラック(青色)と言う地名に成ったと聞いている。 今も確かに緑は多いが、かつての水面を見ることはもうない。 地下水の組み上げが過ぎ、浅い湖は枯れ、水面は地下数メートルの位置にあるらしい。 アンマンには、4時間遅れの午前10時過ぎに到着。 タクシー大嫌いな林蔵の今回の宿は、長距離バスターミナルから歩いて行けるメルデイアンにした。 実は3連泊で20%の割引が有ったのも選定の理由でもあるが。 シメサニ地区にあり、かつて住んでいた場所にも近い。 本格的なハムセンジュール(5つ星)だ。 天井が高くゴージャスなロビーでのひと時を楽しませていただこう。




Le Meriden Lobby
天井が高く、落ち着いたカフェラウンジがお気に入り
昔住んで居た場所に近く、このカフェラウンジは良く利用させてもらっていた






建設中の高層ビル、
アンマンにもユニークな高層ビルの建設が多くなった












林蔵@Amman Jordan 3/Aug/'13 (Updated on 11/Aug/'13 #443)

{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る]