第3回アンマンマラソン
@Sep/'05 Amman, Jordan


ゴール地点の市庁舎前: 応援の仲間とゴール地点スタッフと一緒に記念撮影
一番右端が筆者



クイーンLaniaがスポンサーでアンマンの神経障害者協会が主催するマラソン大会である。 毎年9月に開催される。 今年は第3回目だ。 未だ歴史の浅い大会ではある。 

昨年も参加したが、残念ながら制限時間オーバーで、途中軍の救急車に乗せられると言う不名誉な結果に終わってしまった。 今年はその雪辱戦と言う訳である。 昨年は赴任前から体調が今一であったせいか、自分でも普段のようには走れないことは前もって判っていたのだが、挑戦を止めては何か人生に大きな空白を作るような気がしたのである。 体調も徐々にではあるが、元にもどりつつあったこともあり、敢えてエントリーしたのであった。 その後、体調は順調に回復し、今ではすっかり元の状態に戻っている。 昨年12月のアカバ・マラソン、今年4月の死海マラソンでも、その回復振りは実感済みである。 さて、今年は制限時間内でゴールに辿り着けるであろうか。



美人の受付嬢にゼッケン番号を読み取ってもらってご機嫌のK氏
彼は当日早朝1時に日本から戻ったばかりだ



昨夜は日本大使館主催の若手邦楽家4人グループ ”Trad:ism”のコンサート「邦楽無限響」が アンマンの王立文化センターであった。 こんな機会は見逃す手はない。 今日のマラソンの為、早寝をしようと思っていたが、この手の誘惑にからきし弱い私は近所の仲間と出かけた。 若手演奏家4人の「邦楽コンサート」は実に素晴らしかった。 特に4人の内2人が声楽も出来るのがとても良かった。 曲目も日本の伝統的なもののみならず、現代風にアレンジした軽快なリズムを津軽三味線や尺八・横笛等で奏でるコラボレーションは 現地の若者層にも十分受け入れられるものであったのは、主催国の一員として、ほっとした感じがある。 ややもすると、この手のイベントは高度な芸術性が表に出て、異国の一般人には理解し難いケースを良く見受けるからである。 今回はその手の心配は全く徒労であったことは誠に幸である。 

私のマラソンの話である。 そんな訳で昨夜(ゆうべ)は夜更かしをしてしまった。 夜半にアパートに帰り、意思の弱い我が身を反省しながらシャワーも浴びず、目覚ましを5時にセットしてベッドにもぐり込む。 

目覚ましで飛び起き、いつも通りのパンと珈琲の朝食を取る。 カメラ、携帯、水、着替えと、昨日日本から戻っている筈の同僚、K氏のゼッケンをリュックに詰めた。 アパートから会場のフセイン・スポーツ・パーク迄5kmくらいだろうか、歩いて小1時間の距離である。 チェック・イン開始は6時半、ウオーミング・アップを兼ねて歩いて行こう。 アパートの裏手を走るメイン通り、ガーデン・ストリートを西に真っ直ぐ歩けば、会場のフセイン・スポーツ・パークに辿り着ける。 このルートは毎週末、朝ランをしているお馴染みのコースでもある。 5時半にアパートを出る。 外は未だ暗い。 15分も歩くと既に辺りは明るくなる。 30分くらい歩いた頃だ、K氏から携帯に電話があった。 聞くと、今朝、予定通り日本から戻ったと言う。 そしてこれから会場に向かうと言うのである。 と言うことは、長旅の後、殆ど徹夜状態で走ることになる。 某健康管理員には内緒にしておいたほうが良いだろうか。 
 

会場には、予定通り約1時間で到着した。 首尾よくK氏とは受付周辺で落ち合うことが出来た。 無事ゼッケンをお渡しし、チェック・インを済ませる。 10kmに参加するS氏も来ている。 主催者の神経障害者協会の担当者で、毎回お世話になる Mona さんの姿も見える。 毎回、協会本部へエントリーに行く度に、”チャンピオン: 記録自動測定システム” を提供してくれるスポンサーは居ないだろうかと、彼女からは相談を持ちかけられる。 残念ながらスポーツ関係には極めてつての薄い私には、いつもながら良い返事は出来ない。 



17km地点辺り: ここからダウンタウンへの長いダウンヒル
私の前後にはもう誰も居ない
交通規制された広い道路には車は1台も居ない

 

スタート数分前、スタッフのハンド・マイクの指示でランナーはスタート地点に集合した。 ハーフを走るランナーは、意外に少ない。 30-40人だろうか。 殆どは常連である。 ヨルダンではランナー人口は余り多くない。 レースに出るのは殆どがセミ・プロだ。 私のように純粋に楽しみで参加するものは極めて少ない。 数名を除き、見るからに走りこんだ身体をしている者ばかりだ。 数名の内の一人は私であることは言う迄もない。 

7時30分、係員の腕時計を合図にレースはスタートした。 昨年も感じたが、やはりレースペースは速い。 私の前の集団はどんどん離れて行き、やがて小さく見えなくなってしまう。 私の後には、最初から歩く覚悟であろう土地の若い女性が3人居るのみ。 最初の6kmは割りと平坦なコースである。 次の5kmはなだらかな登り坂。 11km地点で通称空港道路と呼ばれるデザート・ハイウエーから外れる。 左に折れ、イースト・アンマン方面へ向かう。 郊外の農場地帯で6km程度平坦な道が続く。 残り4kmはダウン・タウンへの下りである。 ここに至る迄に2名のスロー・ランナーを追い越した。 後全員は遥か前方、恐らく既にゴールしていることだろう。 交通規制された道路を独り占めして走る気分は、恥ずかしさと、土地の人々に掛ける迷惑に対する申し訳なさで一杯である。

 


ゴール地点の市庁舎前に到着: 仲間が撮ってくれた
もうへとへとだがとりあえず元気なポーズを取る



ダウン・ヒルを駆け下って、ダウン・タウンの谷底に到着した。 周囲の建物に比べ比較的近代的な市庁舎が眼に飛び込んでくる。 ゴール地点である。 途中私の後になった数名のランナーの姿は視界内には見えない。 どうにか軍の救急車のお世話にはならずに済みそうである。 この辺りになると道路の両端に家々が密集し、子供達が面白半分に、酷く遅い私のペースに合わせて伴走してくれる。 市庁舎の直ぐ手前に辿り着いた時である。 同僚のOさんが、手を挙げて出迎えてくれる。 へなへなになった身体の姿勢を正し、ガッツポーズで写真に納まる。 先にゴールしていたKさん、Sさんも直ぐ駆け付けてくれた。 Yさん、Tさん御夫婦の姿もあった。 大勢の仲間の応援を受け嬉しい。 市庁舎広場をぐるりと一回りしてゴールである。 この最後の1レグが異状に長く感じる。 最後のコーナーを廻り FINISH 垂れ幕が見える場所では、Hさんがビデオを構えて待ち受けていた。 この歓待ぶりには感謝の言葉もない。
 


 
ゴール後: 市庁舎前で土地のランナーと
左端はK氏、右端は筆者

 

  


ゴール後、市庁舎前FINISH点垂れ幕の下で仲間と一緒に記念撮影
左からY氏、K氏、筆者、S氏、T御夫妻
自家製JICA旗が逆さなのは愛嬌








09/Sep/'05 林蔵 @Amman Jordan (Updated on 21/Jul/'10)#209

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