アカバ・マラソン 
@Dec/'05 Aqaba, Jordan


21km: スタート3分前


これが最後のヨルダンでのマラソン・イベント参加だ。 昨年9月のアンマン・マラソン、同じく12月のアカバ・マラソン、今年4月の死海マラソン、 同じく9月の2度目のアンマン・マラソン、そして今回2度目のアカバ・マラソン、ヨルダンに来て5回目である。 勿論、自分の楽しみの為であるが、もう一つ意識的にもくろんでいることがある。 それは日本の顔が見えるミニ外交、文化交流である。 とても雄姿と言うには程遠いが、最後尾近くでただ一生懸命、ひたむきに走る姿を土地の人々に、ランナーに、そして諸外国から参加しているランナー達に披露し、語り合うことに、手ごたえを感じている。   

今年の21kmコース(ハーフ・マラソン)は昨年とは違うコースである。 昨年は、経済特区のアカバに入るチェック・ポイントの直ぐのアカバよりの地点がスタート点で、ひたすら山道を下り、海岸通のマックのあるロータリーを左に折れて1km先のアカバ城跡がゴールであったが、今年のコースは、ずっと下った地点からだ。 アカバの街を大きく取り巻く幹線道路を走り、より市民との接触が多いコースになっている。 



朝:アカバ バスセンターに集まって来るランナー達



実は、少し心配であった。 2週間ほど前から、咳が止まらないのである。 熱もなく倦怠感もない、単に咳が止まらない。 喉の炎症だけだろうか。 肺機能には異状はないだろうか。 先週末も、咳はあったが、いつもの朝ランを走ったらどうもなかった。 肺機能には異状はないようである。 

そんなこともあり、超スロー・ペースでスタートした。 普段は中間位のランナーにペースを合わせ、引っ張っていってもらうのだが、今日ははなから最後尾を走る。 それが功を奏して、時間こそいつもの2時間半ペースであるが、之までのヨルダンでの4回のマラソンに比べ、最高の走りであったと自己満足している。 最近いつも起こる16km辺りでの足の故障もなく、始めから終わりまで、歩くことも無く、ほぼ一定ペースで走ることができた。 




今年のスタート点: 昨年よりかなりアカバの街寄りになった



今年も4台の大型専用マラソン・バスで、前後をパト・ランプを点滅させたパトカーに護衛されアンマンからアカバにやってきた。 ヨルダンの12月の風物詩の一つである。 アンマンを15:30に出発し、途中ドライブ・インで30分の休憩、アカバのホテルには20時に到着した。 11月9日のアンマン・ホテル連続爆弾テロで、ホテルの警備は物々しい。 車は全て道路向かいの専用駐車場に停めなくてはならない。 ホテルの車寄せにはアクセスできない。 ホテルの玄関では、航空機搭乗時より厳しい荷物検査、身体検査がある。 空港でお馴染みの金属探知ゲートを通り、ボデー・チェックを受ける。 それでもロビー階は危険であると、ロビー階に居る時間をできるだけ短くするようにと、事務所からのアドバイスに従い、早々に部屋へ姿を消す。 




ホテル部屋から観るシナイ半島に沈む太陽



翌日、いつもと同じ時間、6時半に起床。 早めの朝食を取る。 一流ホテルの朝食は一つの楽しみでもある。 リッチな気分を一時楽しむ。 8時に隣のバス・センター駐車場でマラソンのチェック・インが始まる。 いつも不思議に思うことがある。 此方の世界では何事を行うにも、小さなことから大きなことまで極めて曖昧なままで始まる。 例えば、今の職場では新しい建屋が建設中であるが、日程管理をする予定表が何処にもない。 それでも、いつの間にか形が出来上がってくるのである。 マラソンの集合も同じだ。 8時に行っても、何処に並ぶのか、誰が陣頭指揮を取っているのか、全く混沌としている。 それでも、8時10分頃には、何となく21km参加者はある程度まとまり、胸の位置に貼ったゼッケンをバー・コード・リーダーで読み取ってもらい、バスに乗り始めるのである。 この辺の物事の運び方が独特なのである。 日本では何でもきちんと、組織され、滞りなく事が進むのが常であるが、まるで違った展開がここにはある。 日本人には、誠にいらいらの募ることしきりだ。 それでいて大した遅れもなく、ことが運ぶのだから不思議である。 バスは予定通り8時半きっかりにバス・ターミナルをスタート地点に向け、出発したのである。 




ホテルのエレベータに張られたマラソンの案内



今年もあの陽気なスペインの女将が率いるスペイン・ランナー軍団の姿が見える。 21kmの参加者層は完全に2手に分かれる。 1グループは走るグループ、主に土地のランナーと、外国から毎年参加する走る常連。 後のグループは、所謂市民マラソンを楽しむグループ。 私は言わずとしれた後者のグループに属す。 後者のグループの年齢層は広い。 小学生くらいの子供から、私の歳を越していると思われる御年配の方も居る。 今回も日本人は私一人のようだ。 

咳の止まらない身体での参加である。 熱も倦怠感も無いが、念の為、超スローペースで走ることにした。 トップ集団は颯爽と飛び出して行った。 いつもなら中間集団についてゆくのだが、今日は本当の後部集団の後部に付いた。 3kmくらいで、体の燃焼形態が変わるのがわかる。 脂肪が燃焼しだしたのである。 息が楽になる。 5kmくらいでランニングハイの状態になる。 10kmくらい幹線道路を下った処で右折し、アカバ空港への道に出る。 空港の手前で左に折れて街を大きく取り巻く周辺道路に入る。 住民の住宅街を走るのである。 自然多くの普段着の市民に遭遇する。 商業地区を走るより遥かに良い気分である。 後6km(15km)地点に達した。 最近はこの辺りで足の故障が発生し、暫く歩くことが多い。 ところが、今日は少し様子が違う。 まだ、余裕なのである。 これは旨く行くと、ゴール迄、故障なしで完走できるかな。 かすかな希望が湧く。 住宅街をゆっくり海岸へ向かい、殆ど真っ直ぐな道を走り抜ける。 土地の子供達が、ヤバニー(日本人)と陽気に声を掛けてくれる。 この一瞬が私の第2の目的だ。 反響があるのは嬉しい。 

海岸通りに入る前に大きなロータリーを半時計方向に廻る。 ロータリーの外は、イスラエルとの国境干渉地帯だ。 海岸通りに出た。 後2kmのサインボード。 Raddison SAS、Intercontinenntal、マック、パブリック・ビーチを経てゴールのアカバ城跡に辿り着いた。 足は未だ大丈夫だ。 ヨルダンでは最高の走りでゴールできた。 ヨルダンに赴任する前に崩した体調も、これで完全に元に戻った感である。 タイムは2時間27分57秒。 ゴール後、既にゴールしていたPSTU(プリンス・スマヤ・工科大学)の電子科の学生や、アカバ大学でホテル業を専攻している学生達と健闘を讃えあい、身の上話をし、三々五々別れた。 大いに楽しみ、自信を回復し、有意義に過ごせたアカバ・マラソンに喝采。




後6km地点: Red Bullのプロモーション・チームのおねーさんがRed Bullをサーブしている


ゴール・タイム: 2時間27分57秒


ホテルのテラス・ガーデン: ゆったりした贅沢な時間が過ごせる



アカバの静かで蒼い海に、一緒に走り語った名も知れぬランナー達に、そして身に余る贅沢な機会を与えてくれたJICAと家族に感謝。




静かで蒼いアカバ湾: 対岸はイスラエルのエイラート

 




02/Dec/'05 林蔵 @Aqaba Jordan (Updated on 9/Aug/'08)#213

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