朝ラン
@Jul/'05 Amman, Jordan


メッカ通りの朝焼け (3月18日)


アンマンに住むようになって9ヶ月を過ぎた頃から、休日の朝ランをするようになった。 休日のランニングは40歳を過ぎた頃の職場健康診断で、中性脂肪が多いことを指摘されてから始めた。 国内では、夕方陽が欠けだした時間か、或いは湘南海岸や山中湖へバイクで出掛けては、午前中の時間帯に走っているのである。 当地に赴任した当時は、シメサニにあるスポーツ・クラブ  "Power Hut" に通いランニング・マシンで走っていた。 しかしランニング・マシンでは単調でつまらないのと、長時間器具を独り占めにすると周囲から白い眼で見られることもあり、街を走ることにした。 アンマンの街は起伏が激しい。 そして中東の太陽は容赦なく照りつける。 走る時間帯は勢い早朝か夕方になる。 夕方に走ってみたが、陽が傾きかけた時間帯は車の交通量が依然激しく、排気ガスと粉塵濃度が最も酷くなる時間帯でもある。 これでは健康の為に走るのが返って健康を害してしまう。 

そんな訳で早朝ランニングとなった訳である。 早起きは三分の得と昔の人も言った。 生活習慣にも良い筈である。 2時間ばかりゆっくり走る。 始めの頃は、日の出前のアザーンがモスクから聞こえてくる前から(未だ真っ暗)走り始めた。 30分位走ると、ようやく空が白み始める。 街中に時たま居るベドウインの羊群を追う番犬に追いかけられたこともあった。 仲間に話すと、アンマンは幾ら安全だとは言え、危険ではないかとの御意見。 さもありなん。 ここのところは友人仲間の忠告を聞き入れ、走る時間帯を少し遅くした。 日の出15ー20分前に、家の玄関を出る。 街灯は未だ点灯しているが、既に東の空は明るくなり掛けている。 




メジナ通りの街路樹: 桜(?)が満開 (4月2日) 


ラビア地区マイ・サルーン通にあるアボ・マイレッシュのアパートを出て、大通りのOmar Bin AbdulAzeez通りに出る。 緩やかに左にカーブしながら下る。 下り切るとラビア通りとクロスするロータリーだ。 此処には、昔の客先ヨルダン・テレコムのビルがある。 重要施設の一つなのであろう、24時間護衛兵士が門前に駐在している。 ロータリーを直進、数百メートル走るとメッカ通りに出る。 メッカ通りを右折し、西に向かって下ると、程なくマジナ通との大型立体交差点がある、キロ・サークルである。 ここは昔市場があった場所らしい。 それで秤の単位のキログラムのキロを取ってキロ・サークルと言うらしい。 キロ・サークルを直進。 サークルからは緩やかな長い登りだ。 坂の途中に高級車ベンツのデーラーが道端に商品を並べている。 夜間とて野ざらし状態だ。 但し、大きい黒のドーベルマンピンチャーのような番犬が2頭居て、毎回ここを通る度に激しく吼えられる。 登り切ると Abdullah Ghosheh 通りとの三叉路だ。 最近この三叉路が立体化された。 かなり大掛かりな工事であった。 トンネルと高架を組み合わせた立体交差である。 工事期間が随分と早いと感じたものである。 この三叉路を左に折れ、Abdulla Ghosheh 通りを南に下る。 三叉路を曲がった直ぐ右手に24時間営業のカフェがあり、週末の夜を過ごした若者がたむろする。 この当たりで太陽が東の空に顔をもたげてくる。 坂を下り切るとザハラン通りの第7サークルである。 此処は事務所に最も近いサークルだ。 第7サークルを右に折れ、第8サークルへ向かう。 ここの区間は平坦な道だ。 



第7サークルから第8サークルへ向かう歩道に咲く街路樹: 桐の花 (5月20日)



第8サークルは小さなムジャンマ(バス・センター)になっている。 各方面へのミニ・バスの乗り継ぎセンターだ。  食堂、ガソリン・スタンド、バー等がサークルを囲むように営業する。 バーの閉店時間に出くわすと、営業を終え帰路に着くおねーさん達に会うことがある。 第8サークルをそのまま直進し西に進むと、Wadi Al Seer, Iraq Al-Ameer の谷へと駆け下るのである。 左に折れ南に行くと空港、死海、アカバ方面へ繋がる。 右に折れ北に向かうと Baqa のパレスチナ難民キャンプ(既に大きな街になっている)、ローマ時代の遺跡がある Jerash へと道は続く。

第8サークルを右に折れ、北に向かう。 広い King Abdullah II 道路(通称空港道路)沿いは建物の影が少なくなり、既にアンマンの外れに来たことがわかる。 道はなだらかなアップ・ダウンを繰り返し北上を続ける。 2km位走るとメッカ通りとの三叉路、更に北上を続けると、左手に King Hussain Cancer Center が丘の上に見える。 ここから左手一帯は広大なスポーツ公園 (King Hussain Sport Park) になっていて、植えたばかりの若い木々が目立つ。 早朝の涼しい時間を利用して若者がスポーツ公園内のサッカー場でサッカーの練習試合に余念がない。 公園内では、土地の御夫婦や外国人の散歩姿も出会うこともある。 




広大な敷地を誇るキング・フセイン スポーツ公園内 (4月1日)



キング・フセイン スポーツ公園を過ぎると、数百メートルでガーデン通りとのジャンクションに差し掛かる。 ここは現在、トンネル・高架を組み合わせた大規模立体交差の工事中である。 このジャンクションを右に折れ、メッカ通りを東に向かう。 いきなり急な登り坂だ。  坂を登り切ると正面に太陽が眩しく輝く。 4月から11月の乾季の間、この太陽が雲に隠れることはない。 ここから大小4つの起伏を超え、ガーデン通りをほぼ最後まで走る。 段々と、都心に向かっているのがわかる。 道の両脇の店数が増え、高級感が増してくるのである。 主要なジャンクションでは、その日の仕事待ちをしている多くの労働者が雇い主のピック・アップがやってくるのを不安げに待っている。 メジナ通りとのジャンクション、ワッハ・サークル(オアシス・サークル)迄くると、家に戻った気がする。 家迄、未だ数kmあるが、不思議なものである。 馴染みの土地に戻ると人は安心感を覚える。 歩数でおよそ20、000歩、距離では16km程度であろうか。 約2時間の朝ランを終えて、シャワーボイラーのスイッチを入れ、やおら朝食の準備に取り掛かる。 今日も元気で過ごせそうだ。 元気な体に感謝。 

  


 メッカ通りの終点、空港道路とのジャンクション手前にある道路標識 (3月18日)







24/Jul/'05 林蔵@ Ammman Jordan (Updated on 29/Jul/'08)#205

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