温泉プール付農場別荘
@ Mar/'05 Yarmuk, Jordan


農場小屋屋上から見るヤルムーク川向こうに立ちはだかるゴラン高原


仲間の紹介で土地の男爵邸を訪ねることになった。 シリア国境に近いヨルダン渓谷にある農場別荘である。 ゴラン高原がその裾野をヨルダン渓谷に落とした谷底にはヤルムーク川が豊かさを象徴するが如く、太陽の光を照り返し緩やかに下流へ流れ、やがてヨルダン川に合流する。 農場はヤルムーク川の東岸に接して広がる。 バナナ、グアバ、オリーブ等斜面の乾燥度に応じて栽培する果樹が異なっている。



Um Qais遺跡内: 周囲は以外に緑豊かである


9:30 天候はすこぶる良い。 気温も春めき、ピクニックにはもって来いの日和である。 20名を越す大勢の仲間を乗せたマイクロ・バスはアンマンを出発した。 こんなに多くの仲間が一度に訪問しても良いものだろうか。 お昼ごはんを準備して置くからと言うことである。 少し不安を抱きながらバスに乗り込んだ。 3月のヨルダン高地は春である。 この時期、郊外に出ると土漠が一面緑の絨毯を敷き詰めたように光輝いている。 近ずくと、様々な花が咲き乱れているのを発見する。 自然が爆発する時期である。 



ローマ時代のデカポリス:UMQAIS遺跡



2時間程で、最終目的の農園の手前にあるUM QAIS遺跡に到着した。 せっかくの機会である。 立ち寄ることにした。 ここで1時間の見学休憩。 広い駐車場には、様々な観光バスが既にお客を遺跡に送り出し彼らの帰りを待っていた。 トイレも完備している。 ここでも子供たちが元気が良い。 手製の黄色い花束を買ってくれとも言わず、首に掛けようとする。 首に掛けられたら最後である。 何だかんだ言いながら、何がしかの代金を回収するのである。 外国人観光客の財布の紐が固いのを知っているのに対抗する、彼らの知恵なのであろう。 小さな移動キオスクが2店開店中だ。 アラビック・コーヒーを1杯注文した。 「幾ら?」 と聞くと1DJ(150円)だと言う。 又、外国人だと思い吹っかけてくる。 珈琲1杯の値段は、せいぜい300Fils(45円)が相場だ。 まー、便宜を図ってくれているのだ、0.5JD(75円)位出しても良かろう。 「0.5JDで良い?」 と問い返すとすんなりOKである。 此方では、万事この調子である。 



UMQAIS遺跡の駐車場で商いをする土地の子供達



ここはローマ帝国が中東の属州治世をより確かにする為に建設したデカポリスの一つである。 当時この土地はガダラと呼ばれていたらしい。 遺跡の保存度はアンマン郊外にあるJerash遺跡のに及ぶべくも無いが、ここの場所はすこぶる魅力的である。 遺跡の西は、ヨルダン渓谷へ切り立った崖が地底の世界へ落ちる。 この季節斜面は一面緑のベールを被っているのである。 無限のキャンバスに広がる雄大なヨルダン渓谷が眼前に展開する。 直ぐ真下にはヤルムーク川、その西岸にはゴラン高原が競り上がっている。 そしてゴラン高原の向こうにはチベリアス湖がその湖面を紫に染めて横たわる。 旧約聖書の風景がそのまま眼前に広がるかの如くである。 




農場別荘の温泉プール


UM QAIS のデカポリス遺跡で約1時間の見学休憩をした後、いよいよ農場別荘へ向かった。 マイクロ・バスは、ヨルダン渓谷の急な斜面を駆け下る。 M男爵の農場別荘には13時過ぎに到着した。 塀で囲まれた敷地のゲートをくぐると、男爵御夫妻が多くの召使と共に待ち構えて居た。 数名のメードが黄色い花のレイを女性訪問者を優先して首に掛けてくれる。 そして庭の奥に入る前に、皿に盛られたサトウキビを1本口にするのである。 塀の中の庭は広い。 M男爵の説明に寄ると、元々ここは沼地でマラリア蚊が繁殖しており、人間の住める状態ではなかったらしい。 そんなスワンプを、1961年にパラダイスをイメージし、自然を最大限壊さないで人が住めるように開発したらしい。 敷地の直ぐ上手には天然の温泉から大量の湯が湧き出ており、この温泉元もM男爵の所有だったが、最近、西側の大手リゾート・ホテル、Movenpickに売却したらしい。 Movenpickは源泉地の旧公衆浴場を5つ星ホテルに整備中だそうだ。 それでも湧き出る湯の量は多く、その一部は今でもM男爵の別荘内に引き込まれ、5つ星ホテルも顔負けの大きさを持つ専用温泉プールに惜しみなく注がれている。 庭園内は様々な樹木が生い茂り、さながらジャングルとM爵が説明してくれた呼び名にふさわしい。 温泉湯には微量の硫黄分が含まれており温泉効用があるようだ。 プール・サイドへの門がある。 この門は地獄と天国の別れ門に似せてあるとのことだ。 分厚い石造りの重厚な門である。 この石門の開閉は相当難儀しそうである。 



中庭からプールへ通じる天国と地獄を分ける背に低い石門


M男爵の案内でプール・サイドに出た。 自身の農園で取れた果物類が傍のテーブルに山と積まれている。 別のコーナーはバー・コーナーになっている。 M男爵はクリスチャンである。 アルコール類の摂取も構わないのである。 これがモスリムの場合は、アルコール類は一切御法度となのであるが。 私はアルコール類は殆ど飲めない三分の一の日本人の一人であるが、アルコール類がある雰囲気は、決して悪くないと思う人種でもある。 度を越さない程度に楽しむ酒を飲む仲間と時間を共に過ごすのは決して悪くない。 早速、M男爵の薦めでプールに入ることにした。 プール・サイドには更衣室もある。 エメラルド・グリーンに煌く温泉プールに入った。 湯温は34度、実に良い気分である。 日本の温泉に浸かっているのと全く変わらぬ気分である。 泳いだ後は召使の一人が全身オイル・マッサージをしてくれる。 私はこの手のサービスが実は大の苦手なのである。 せっかくの申し出だが御辞退した。 



プールサイドでのランチデイナー



フルーツ・テーブルに山と積まれたフルーツ類の中ににザボンに似た大型柑橘類がある。 Bomalyと言う柑橘らしい。 既に時刻は2時を過ぎている。 流石に空腹感が増してくる。 食事の前ではあるが、このザボンに似た大型の柑橘類Bomalyの皮を、傍に居た召使に剥いて頂いた。 ボマリーの皮はとても厚い。 皮を剥くと、中身は普通の柑橘類と然程変わらぬ大きさになるのである。 ボマリーの旬は9月、10月頃らしい。 今は既に旬を過ぎた保存品であるので、旬の頃の瑞々しさは失われているが旨い。 



メイン・デッシュのマグルーバ(鶏の釜飯)


2時過ぎ、デイナーの準備が整ったとの合図である。 プール・サイドに設けられた長いテーブルに、21人のゲストはそれぞれ席に着いた。 陽光の降り注ぐ小春日和のプール・サイド、セッテイングは最高である。 男爵夫人が総出の召使にあれこれ細かい指示をしながら準備した豪勢な食事を運ばせている。 これだけの人数を一度に御もてなしするのは、さぞかし大変なことに違いないが、始終ニコニコ笑顔を絶やさず客をもてなす。 メインはマグルーバ(鳥の炊き込みご飯)、サブ・メインには、茄子、レンズ豆、野菜サラダ、ヨーグルト、何れも大量に用意されている。 温泉プール・サイドでの真昼の宴会は延々と続く。 4時半になった。 アンマンは遠い。 名残惜しいがそろそろお暇をしなければならない。 最高のセッテイングで最高のデイナーとおしゃべりを楽しんだお礼をM男爵御夫妻に述べ、訪問簿に署名してM男爵別荘を出た。



プール・サイド: 5つ星ホテルも顔負けのリゾート気分が味わえる


M男爵もマイクロ・バスに乗り込み、途中にある自身の農場に案内してくれるという。 10分程でM男爵経営の農場の一つに到着した。 この辺りの土地は全てM男爵が持ち主で、手広く農園経営をしている。 特に自然保護に気を使っており、むやみに家屋の建設をせず、自然の景観を保つようにしているとも言う。 マイクロ・バスが止まったのは、牛小屋の中(?)だった。 擦り寄ってくる乳牛達の歓迎を受ける。 M男爵の案内で隅にある半分壊れた建物の2階部屋上に登った。 素晴らしい景観が眼前に広がっていた。 眼下に傾いた太陽を反射し光るヤルムーク川、眼前に迫るゴラン高原。 世界で最もホットな国境が足元に横たわっている。 これがそうであろうか。 想像とはかけ離れた平和な景色である。 唯、何の変哲も無い牧歌的な田園風景が眼前にある。 過激を極めた今でも火の出るような国境線が、何食わぬ顔をして眼前に横たわり、そして人々は何食わぬ顔をして生活をしている。 これが超一流の国際政治舞台の仮面であろうか。 
 


牛小屋の中に乗り入れたマイクロバス: 擦る寄る牛たちの歓迎を受ける



イスラエル軍の砲弾で半分破壊された牛小屋の屋根:
眼下にはイスラエルとの国境ヤルムーク川が白くその川面を照らす
対岸はゴラン高原に続く丘陵、イスラエル兵が完全武装でパトロールしている
しかし風景はあくまで平和だ 







林蔵@Yarmuk Jordan 21/Mar/'05 (Updated on 17/Jul/'08)#194

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