Cairo
(イスラーム都市カイロ:世界遺産)
@Apr/'06 Cairo, Egypt


Nile Hiltonの部屋からナイル川向かいを眺める
ナイルにはナイト・クルーズ船Blue Nileが浮び
ゲジラ島にはカイロ・タワーが一際目立つ


[世界遺産: Islamic Cairo, 文化遺産、1979年登録] カイロは、エジプトの首都。ナイル川河畔の交通の要衝として969年に建設されて以来現在にいたるまで長い時代を通じてイスラム世界における学術、文化、経済の中心都市として繁栄してきた。現在においてもカイロ首都圏の人口は1525万人(2004年)を数え、アフリカ大陸、中東地域いずれにおいても最大の人口を有し荘厳なモスクを始め重要なイスラム文化を今に残す。 (Wikipediaより)


1972年8月のことだ。 喧騒のカイロ中心部のホテルに泊まり、ピラミッドを見物したのは。 2年間のヨルダン滞在からの帰路、35年ぶりにエジプトを訪れた。 35年前はヨルダンへの出張の帰りで、休暇を取る等許されなかった。 飛行機の乗り換えの為、1泊した際、僅かの時間を利用してのピラミッド見物だったのである。 今回は5泊と大変優雅である。 

なにせ35年が経っている。 私のひ弱い脳味噌は、当時の記憶をすっかり失っている。 それでも、この喧騒さは何となく懐かしい。 この大都会は今も変わらぬ活気に溢れている。 人口は実に1千7百万人にも達するそうだ。 ナイル川のほとりに佇む Nile Hilton に宿を取った。 アラブ・リーグの建物と隣り合わせになっている。 このあたりはカイロの中心部にあたり、航空会社の事務所や、銀行が立ち並ぶ。 エジプト博物館も隣にある。 MACやKFCもあり、至極便利な場所だ。 ナイルは目の前を昔も今も変わりなく北に向かいとうとうと流れる。 


 
エジプト博物館正面 入館料40エジプト・ポンド(約800円)
朝は凄い行列が出来る、早めに行くべし カメラは持ち込めない



先ずは、エジプト博物館を訪れなくてはなるまい。 直ぐ隣と至近距離にあるので、つい友人からのアドバイスを忘れていた。 朝の博物館は大変込むのである。 既に門の前は黒山の人だかり。 仕方あるまい。 列の最後部に並ぶ。 セキュリテイー・チェックを受け、チケット売り場に並ぶ。 入場料金の表示が無い。 幾らだろう? 観光収入がGNPの多くを占めるこの国でもこの有様である。 昨日まで居た隣の国は押して知るべしだ。 カメラの持ち込みは出来ない。 チケット売り場と反対側にある、小さな建物でカメラを預ける。 引き換えに小さな札を受け取る。 内部の展示は流石に凄い、と言うか、凄い数の展示である。 実に120,000点に及ぶらしい。 しかし自分の不勉強を棚に上げて言うと、説明が今一。 全く説明が無い展示物も多い。 案内パンフも無料のものはなく、しかも内部に入ると購入できない。 売店は外にある。 この辺が大英博物館との違いだろうか。 案の定、私の小容量脳みそは直ぐ飽和状態になった。 メモを取る元気も出ない。 



庶民街のパン屋の親父: 
自動パン焼き器から出てくるパンをじっと見ていると焼きたてのパンを1個恵んでくれた
パン焼器から出てくるパンの品質管理は、ばっちり
形の悪いもの、膨らみの足らないものは素早く別の籠に投げ入れられる 



知らない街を歩くことほど、魅惑に満ちたことをあまり他に知らない。 カイロの街は初めても同然である。 エジプト博物館でふやふやになった脳みそを抱えて街に出た。 カイロは超大都会である。 ひっきりなしに聞こえるクラクションの音、おびただしい数の車の騒音、商店の呼び込みの大声、酷い廃棄ガス、舞い上がる粉塵。 街は活気に溢れている。 ホテルの前のTahrir広場が街の中心らしい。 Old Cairo と Salah El Dinシタデルを観ようと、足を西に向ける。 タクシーを使わないのが私の流儀である。 自分の足で歩いてこそ、街が観えると思うからだ。 街の中心から10分も歩くと、既にダウン・タウンになる。 半間程の狭い間口に奥行き1間程度の工房が軒を連ねる。 どの工房の中も、一見がらくたの山にしか見えない。 それでも、良く見ると、ここにも品質管理の原理を見ることができる。 流行っていそうな工房は概して整理が良い。 要る物しか置いていない。 整理整頓がなされている。 小さなパン工房の前を通りかかった。 良い香りがする。 立ち止まり、中の様子を暫く伺っていると、いかつい親父が黙って焼きたてのパンを1個くれた。 かじってみた、、、旨い。 じっと見ていたのには訳がある。 パン焼き器のベルトからぞくぞく出てくるパンを親父は厳しい目でチェックし、パンの品質を管理して居たからだ。 ぞくぞくと出てくるパンの内、形の変なもの、膨らみの少ないものを素早く選り分け、別の籠に放り込んでいた。 パンの種類はエジプトでは最もポピュラー(安い)らしい30cm程度の円形で良く膨らんだものである。 パン運搬人が2m以上もある板に満載のパンを頭に載せ自転車で運ぶ、あのパンである。 どうせ、凄くやすいのだから多少形が悪くても良いではないかと、私でも思ってしまう程のパンである。 そんなパンを一生懸命選り分けている親父がとても立派に見えた。 手抜きをしないビジネスの鉄則である。 


 
シタデル内のアリ・モスクと内部へ通ずる道
入場料は35エジプト・ポンド(約700円) 
 


どうも道に迷ってしまったらしい。 とんでもない貧民街に入り込んでしまった。 狭い路地、粗末な家屋、はだしの子供達。 なのに人々の表情は明るい。 子供達は無邪気に遊んでいる。 オールド・カイロのど真ん中当りに居るらしい。 螺旋状のミナレットを持つモスクの姿がある。 Ibn Tulunモスクに違いない。 高台に登ってみると、かなり遠くに Salah El Din シタデルの頂上に聳えるAliモスクが見えた。 目指すはAliモスクである。 方向修正をして、再びオールド・カイロの中をシタデルを目指して歩き出す。 

シタデルの正門に到着したのは、既に午後の4時を少し廻っていた。 何とシタデルの正門は4時に閉まるのであった。 無念の思いを抱きシタデルを後にした。 翌朝、再び訪れることにした。 帰路は比較的直線に近い通りを歩いたので1時間余りで、ホテルのある Tahrir 広場に到着した。  




シタデルから望むスモッグに煙るカイロ市外
通りに長く居ると息が苦しくなるほどだ


翌朝、ホテルでの朝食をゆっくりナイルを眼下に眺めながら楽しんだ後、やはり徒歩で西に向かった。 既に前日調査済みの道である。 迷うことなく小高い丘の頂上にあるシタデルに到着した。 既に多くの観光客が詰め掛けている。 今日は休日のせいだろうか、小学校の遠足組が多い。 入場料35エジプト・ポンド(700円)を支払い中に入る。 入る際、セキュリテイー・ゲートで三脚は持ち込めないと言われ、ゲートの傍の荷物預かり所へ預けた。 三脚は別に20エジプト・ポンド(400円)支払えば持ち込めるとのことであった。

シタデルからはカイロ市街のパノラマが眺望できる。 見渡す限り何処までも大都会カイロの市街が延々と延びる。 朝は街を眺望するには、太陽の光線を背に受けるので丁度良い具合なのである。 



ミリタリ博物館内: 廊下に並ぶ歴代将軍像
土地の小学校の遠足組を多く見かける



洋の東西を問わず、お城には博物館が付き物で、しかもそれは武器に関するものが圧倒的に多い。 ここも例に漏れない。 立派な軍事博物館がある。 内部は驚く程広く、立派だ。 展示物は良く整備され、説明もアラビックと英文できちんとなされている。  

   
アリ・モスク内部回廊: 右側が中庭、左側がメインの礼拝堂になっている。
靴は脱いで、持ち歩く
出口はメイン礼拝堂の反対側



そしてもう一つの目玉は、モハメド・アリ・モスク(別名Alabaster Mosque)である。 小高い丘の上に聳える尖塔と丸屋根は、カイロの一大ランド・マークである。 1824年イスタンブールのモスクを真似て造られたオスマン・トルコ時代のものである。 礼拝時以外は靴さえ脱げば誰でも入ることができる。 丸屋根ドームのメイン・礼拝堂へ足を踏み入れた。 




アリ・モスク: メイン礼拝堂内部、高い丸天井からは大小のシャンデリアが吊されている
高い丸天井は豪華な幾何学模様で装飾されている
1日5回の礼拝時以外は一般の者の入場が許される


内部は日本のお寺のお堂の雰囲気にかなり似ている。 その規模は比ぶべくもないが。 ここに一歩足を踏み入れると、誰もが羊の如くしおらしくなる。 神に対する敬虔で純粋な気持ちに成れるのである。 非イスラム教徒の私でもである。 内部の装飾は、流石にカイロ一と言われるだけあり実に素晴らしい。 イスラム特有の意味を持たない幾何学模様と豪華なシャンデリアで装飾されている。 


 
アリ・モスク: メイン礼拝堂丸天井装飾


夜はナイル川のデイナー・クルーズと洒落込もう。 またしても、かみさん抜きの一人である。 デイナー・クルーズ等、一人で席に着く程つまらないものは無い。 しかし、これを外す訳にもゆかず、ホテルのコンシェルジュに予約を頼み、一人で出かけることになったのである。 最大の見物はベリー・ダンスであることは言うまでもない。 35年前にも観賞したがもう一度観て於きたい。 ボートは、”The Pharaohs" と言う、ホテルお勧めのものだ。 値段はデイナー込みで185エジプト・ポンド(約2,800円)。 当地にしては相当高価な代金であるに違いない。 ボートの発着場はカイロの一等地、ナイルの中洲、ゲジラ島を渡り対岸にある。 船着場は、夜になると派手にライト・アップされ大そう綺麗に、豪華に見える。 19:45、ボートはほぼ満席のお客を乗せて静かに岸を離れる。 エンジン音や振動が全く聞こえない。 先ずはデイナーである。 ボーイがうやうやしくドリンクの注文に来る。 レストラン業界ではお馴染みのことだが、このドリンク代が主にレストランの収益を上げているらしい。 フードでは殆ど利益は出ないのだそうだ。 当然ドリンクは別料金である。 ワイン・リストに目をやると、何れも1本の値段がショー込みのデイナー料金と変わらない。 お酒のいけない私は、コーラを注文した。 最も安価なものである。 フードは不味くもなく、極上でもない。 一般的な味である。 只、雰囲気はとても良い。 一人で席を占める私は、何となく居心地が良くない。 ボートはゆっくりとナイルを川上(南)に向けて移動している。 30分位遡ったところで、食事も一段落する。 船は方向転換をして舳先を川下(北)に向ける。 

いよいよショーの開始である。 先ずは歌から始まる。 男女2人の歌手が、西洋、アラブの歌を織り交ぜて披露してくれる。 中央は舞台になっていて、ムードに乗って踊りだすカップルが必ず居るのである。 そしてメインのベリー・ダンスが始まる。 楽士もベリーダンス用に交代する。 なまめかしい衣装のダンサーが船尾の控え室から、羽衣に乗ったような感じで長いショールをなびかせながら軽快なすり足で登場する。 イスラムでは女性の肌は公衆の前では絶対に見せてはならないと言う掟があるが、このショーだけは別なのだろうか。 ラテンに似た独特の太鼓の激しいリズムでダンサーの身は怪しく、激しくゆれ舞う。 笛と太鼓で人が舞うのは、処変われど万国共通なのだろうか。 そして男性ダンサーの回転舞踊で最後の締めとなり、出発してから既に2時間が経過している。 何時の間にかボートは再び進路を川上(南)に向けて進んでいた。 沿岸の夜景、行き交う他のクルーズ・ボートの灯を楽しみながら、元のピアーに戻っていたのである。 船内の装飾と良い、デイナー、ショー、何れも流石観光収入を当てにしている国だけあって、それなりのレベルである。 日本や欧州のことを思えば、随分安上がりで質の高いサービスであるに違いない。
  

 
 ホテルのベランダからナイルを望む:
ナイルは左から右へ(南から北へ)とうとうと流れる 
向かいは高級住宅地が広がるカイロの一等地ゲジラ島










5-10/Apr/'06 林蔵 @Cairo Egypt, (Updated on 20/Aug/'08)#219

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