夜間飛行
@Jun/'04 Damascus, Syria


カシオン山中腹からのダマスカスの眺望



[世界遺産: Ancient City of Damscus, 文化遺産、1979年登録] エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、 紀元前3000年ごろから形成された都市。中東でも最古の都市の1つである。バラダ川の南側にあるダマスカス旧市街(Old Damascus)は、城壁に囲まれた歴史のある地域である。この城壁は、1世紀頃、ローマが最初に建設したと言われている。 2004年現在残っているものは、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、アラブ人が建築したものである。 城壁には、7つの門が残っている。旧市街地は、狭い入り組んだ道になっているが、東西に走る真っ直ぐな道(Straight Street)は、 新約聖書にも登場している。旧市街にあるスーク(市場)・ハメデイーアは現在でも世界一の規模と喧騒を誇る。 世界最古のモスクといわれる、ウマイヤド・モスクも旧市街地にある。 エジプトとメソポタミアを結ぶ交通の要衝であり、紀元前3000年ごろから都市が形成しはじめたと考えられている。 アレキサンダー大王の東征以後は、ギリシャ、ローマ帝国の支配下に置かれる。 635年、アラブ人が侵入。661年から750年まで、ウマイヤ朝の首都として栄える。1946年、シリアの首都となる。(Wikipediaより)



午前5:30、未だ暗い。 こんな時間にタクシーは捕まるだろうか。 心配しながらアパートの門を出た。 大通りに出たが、車の通りは無い。 いよいよ心配になる。 6:30にはダマスカス行きのタクシーが事務所前から出発するのである。 事務所迄はとても歩いては行けない。 大通りを更に下る。 200m位坂下になにやら異様な賑わいが見える。 ホテルらしい。 黄色いタクシーが明るい照明の下にたむろしているのが見える。 この時間にどうしたのだろう。 小さなホテルに辿り着くと確かに、多くのタクシーが止っていた。 1台のタクシーに乗り込み、訳を聞いてみる。 デイスコだと言う。 アー、そうか。 デイスコは朝迄やるんだった。 アンマンに着いた当時、Red Roseホテルに泊まったが、あそこもデイスコがあり、夜のアザーン(お祈り)が済んだ時くらいから朝までドンちゃん騒ぎになるのを思い出した。 イスラムの国でデイスコのあるホテルは少ない。 どう言う訳か大きなホテルには無い。 大抵は小さなホテルにある。 このプテイホテルもデイスコが有ったんだ。 改めて知った。 何はともあれ、タクシーに乗れて一安心。 ダマス行きの時間に間に合った。



ダマスカスの街の北側にはだかるカシオン山



金曜、土曜の休日を利用して隣国、シリアに遊びに行った。 当地での隣国旅行は大変面倒である。 先ず旅行1ヶ月前に事務所へお伺いを立て許可を貰う。 許可が降りて初めてビザの申請ができるのである。 シリアのビザを取るには日本大使館の紹介状が必要。 事務所の許可証を持って本人が日本大使館に出向き、紹介状を戴く。 そして今度はシリア大使館へ出向き、ビザを申請するのである。 面倒なこと極まりない。 やっと全ての手配が整い、16名の団体旅行となった。 シリアのダマスカスの旧市街見物と、同期のボランテイアー達に逢うのが今回の目的である。




ホテルの前にはグリーンに輝くゴルフ場が併設されている



アンマンからは、アンマン ー ダマスカス ー ベイルート間を専用に走っているタクシーを利用することになった。 アンマン ー ダマスカスは、300kmくらい、東京から名古屋くらいの距離である。 途中に国境超えがあるが4時間くらいで行ける。 これで往復20JD(3、000円くらい)なので安い。 我々安手当てのSVには大変助かる。

大型タクシー4台を連ね、事務所前を6:30分発。 ダマスの街の手前にある Ebla Cham Palaceホテルには、ぴったり4時間で着いた。 シリアは始めてである。 アンマンに比べ、随分と緑が多い。 ホテルとゴルフ場を兼ねた郊外のリゾート・ホテルだ。 豪華な5つ星ホテルである。 宿泊料は特別料金で一般の半分以下でサービス税込み(朝食、昼食付き)で格安の67ドル。 久しぶりに5つ星ホテルの極上のサービスを楽しむ。

チェックインを済ませ、早速歩いて2分のクラブ・ハウスで、これまた5スター・ホテル級のセッテイングで昼食を楽しむ。 幹事の気の利いた計らいで、この昼食はサービスして貰ったそうだ。 ありがたい。

さて、ここからゴルフ組と観光組に分かれる。 ゴルフ組はこの暑いのに、午後コースを廻る。 ご苦労なことである。 我々観光組はタクシーで街へ出かけることにした。 ダマスカスで活動している同期のSV(シニアボランテイアー)とは首尾よく電話連絡が付き、このホテルの本店である市内の Cham Palace ホテルで2時半に合流することになった。 ホテルからは市内の本店迄無料のシャトルバスがあるが、便が少なくタクシーで出かけた。 Cham Palace で3ヶ月ぶりに懐かしい顔ぶれにお会いした。 皆元気そうである。 ここのホテルのカプチーノが旨いと言うので、全員、街に繰り出す前にカプチーノでのどを潤す。



旧市街の路地は狭い迷路である



夜はアンマンから来た連中で食事の予定を組んでいたので、夕食の時間迄ダマスカスに住んでいる方のお家を代表して、 Nさんのアパートを見せて戴くことになった。 アンマンに比べ建物は古く、外壁は黒ずんで見えるが内部は広く、豪華で快適な住まいである。 アンマンより湿気があるのでベランダのミニ菜園には、様々な野菜が青々と茂っている。 実はアンマンの我が家でも青じその種を蒔いたのだが、生えてきたのは雑草ばかり、遂に青じその芽は出なかったのである。

夕食は16名全員揃って、街の北側にはだかるカシオン山の中腹にあるレストラン街では一番と言うレストランへ行った。 ここからはダマスカスの街が一望に見下ろせる。 特に日が落ちた後の夜景が素晴らしい。 丸で夜間飛行のようである。 イスラムの町はネオンが少ないが、モスクの尖塔(ミナレット)がグリーンに輝き、街の灯に溶けて美しい。 こうしてみるとモスクの多さに驚く。

料理は基本的にカバブ(グリル)である。 羊、ビーフ、鶏、魚、ロブスター、野菜、ホンモス(パン)に野菜。 何れも旨い。 勿論アルコール類も充実している。 麦酒、ワイン、ブランデー、何でも揃っている。 シリアはヨルダンに比べアルコール類を出す店が多いのではないだろうか。 ヨルダンではアルコール類が出るレストランを探すのは大変である。 この素晴らしい夜景を楽しめるデイナーを設定してくれた幹事に喝采。




モスクの内部イスラム建築の粋が見事



ダマスカスはアンマンに比べ、平らな地形で坂が少ない。 街の北側には聖書に書かれている、人類最初の殺人が行われた山、カシオン山(1300mくらい)が聳えている。 人口150万人、割とこじんまりした街である。 街の中央には Barada川が流れる。 緑の源である。 アンマンに比べ遥かに緑が多い訳である。 古くからオアシスの町、商業の中継地として栄えたのがうなずける。 旧市街は町の南東にあり城壁で囲まれている。 城壁の中はウマイヤード・モスクと迷路のスーク(市場)が広がる。




モスク内部ははき清められ美しい



最大のスークはハメデイア・スーク。 城壁から真っ直ぐウマウヤード・モスク迄続く。 天井の高いアーチ状アーケードが圧巻。 両側には中東特有の混沌とした店が商品を溢れるように飾り立てている。 更に聖書に出てくる、真っ直ぐな道がハメデイア・スークの南側に並行してある。
 
ある土産物屋でシリア寄木に貝の埋め込んだ象嵌細工を施した掛け時計を見つけて値段交渉に入ったが、値段の折り合いがつかない。 今回は購入を諦めた。 40ドルが30ドルになったが、此方の目標は20ドル。 30おドル以下には成らなかったので、交渉中断。 時計は大したことはないが、寄木細工と貝の埋め込みの象嵌細工が立派なのと、文字がアラビア文字なのが気に入った。 次回再度挑戦しよう。 




旧市街の城壁の一部



旧市街のもう一つの見物はウマイヤード・モスク。 オスマントルコ時代のモスクである。 外国人の女性は入場料(50シリアポンド=100円)を払うところで、フード付きガウンを借りて羽織って入ることができる。 男性は靴を脱ぐだけで中に入れる。 内部の写真撮影が自由なのには驚いた。 イスラム建築の粋を尽くした建造物の一つである。




国立博物館の入口



国立博物館: 最近内部が改装され綺麗になったそうだ。 貴重な資料が数多く収納、展示されて居るが説明がいまいち。 英語の説明はなく、アラビア語とフランス語の説明が少しあるだけ。 多くの重要な展示物を見過ごした気がする。 マヤから出土した石版にはアルファベットの基が刻まれているが、これも後から人に聞いた。 入場料は外国人には高く、一般の10倍程度するが、それでも300円。 我々の安手当てでも惜しみなく支払える範囲である。

今回の旅は、駆け足の感で街や人をゆっくり見ることができなかったが、今度はもっと余裕を持った日程を組まなくてなるまい。




ウマイヤード・モスクの外壁




Jun/'04 林蔵 @Damascus Syria (Updated on 25/Jun/'08)#173

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