Dead Sea Marathon
@Apr/'05 Dead Sea, Jordan


ゴール@死海アンマン・ビーチ



昨夜は新しく赴任したボランテイアーの方々の歓迎会があった。 今日の為、名残惜しかったが死海マラソンに参加する同僚2名と早々に会場を後にした。 2名の同僚はアンマンから約80km北のイルビットで活動しており、マラソン当日、活動地から出て来たのでは早朝の受付に間に合わない。 と言うことで我が家に泊まって頂く事になった。 何もまかないは出来ないが、寝るだけなら立派なゲストルームがあり、バス・トイレもゲスト用が整っているので全く問題はないのである。 

いよいよ死海マラソンの日である。 日本から遠い中東の神秘的で古い人類の歴史が刻み込まれた死海を走るのである。 何とエキゾテックで胸の騒ぐことだろう。 こんな経験ができることに誰に感謝をすれば良いのだろう。 早朝5時、受付会場に行く為、近くに住んでいる別の同僚が車で迎えに来てくれる。 浮いた気分とは正にこんな気分のことを言うのであろう。



チェックイン会場: 種目別に集合する



同僚の赤いベンツは、受付場所である ”モーター・ショー会場” に5時15分に到着した。 5時半、受付開始である。 既にかなりの数のランナーが集合場所に集まっている。 駐車場の隣に車を停めたのはベルギーのランナーだ。 集合場所になっている ”モーター・ショー会場” に入ると、スタート前の華やいだ雰囲気が漂っていて嫌が上にも気分が高揚する。 広い会場には、ウルトラ・マラソン、フル・マラソン、ハーフ・マラソン、 10kmファン・ラン毎にテープで仕切られたエリアが設けられている。 国際マラソンである。 ランナーは、様々な国と地域から参加している。 お隣の国イラク、レバノン、サウジ・アラビア、イタリア、スペイン、ドイツ、ベルギー、アメリカそして日本など等。 女性ランナーも多い。 大概は欧米や日本で見かけるランニング・スタイルだが、普段此方の街で見掛けるイスラム風装束の女性も中にお見かけする。 彼女達はコーランの教えに従い、髪の毛を隠し体の線を出さないように気を配っている。 髪の毛を隠すだけでも大変であろうが彼女達の著しく発達した身体の線を出さないのは大変な困難を伴うに違いない。 多くのイスラム女性ランナーは、ロング・パンツ・スタイルで走る。 これだと、どうしても体の線はかなりあらわに出ざるを得ない。 まー、スポーツだからある程度は仕方あるまい。 だが、2名の完璧な女性ランナーをお見掛けした。 この2名のイスラム女性ランナーは、普段スーク(アラビア風市場)で良くお見かけする, 全身を黒いだぶだぶのワンピースに包んだ姿である。 お見事と、思わず拍手を送りたい衝動に駆られたが、それは心の中に留めた。 

6時15分、フル・マラソンのスタートだ。 集合場所の直ぐ傍からのスタートである。 アンマンと地底の世界死海迄の、1300mの高度差を、標高900mのアンマンからー400mの地底の世界へ駆け下るのである。 フルマラソンには若い海外青年協力隊の同僚が1名参加している。 

ハーフ・マラソンのランナーはバスでスタート地点迄移動する。 アンマン中から集められたと思われるスクール・バスに分乗し、海抜-170mのスタート地点へ向かう。 -170m地点と言うと、既にヨルダン川河庄であり、ここからだと地底の世界に駆け下るイメージは無い。 最初の10kmは緩やかな下りが続く。 残りの10kmは死海岸沿いに走るので、若干のアップ・ダウンがある。 普段でもヨルダン川地域は警備が厳しく、軍のチェック・ポイントが要所要所にある。 チェック・ポイントを通過する度に車を止められ、身分証明書の提示、荷物検査をされる。 今日は更に警備が厳しくなり、コース全域に渡り、警備軍が機関銃と小銃でびっしり固めている。

ゴールは、全種目死海に設けられた公設の湖水浴場アンマン・ビーチである。 最近できたパブリックの死海海水浴場だ。 真水のシャワー、脱衣場、トイレ、レストランが完備したビーチである。 直ぐ隣接して西側の5つ星ホテル、マリオットとムービンピックも営業している。 昔(34年前)とは雲泥の差だ。 昔はシャワー等無く、ポリ・タンクに水を持参して出かけたものだ。 普段だと、このパブリック・ビーチに入るには居住者は2JD(300円)、外国からのビジターは4JDの入場料を払わなければならないが、今日はランナー、マラソン関係者に限り入場無料である。 



ゴールの華やかなギャラリー群



最初の数kmを一緒に走っていた仲間のNさんは、6km辺りから段々前に離れ、ついに見えなくなってしまった。 死海岸沿いに入り、残り5km程度のところに差し掛かった時であった。 応援団長のOさんから携帯に電話が入った。 その時、Oさん達はゴール手前10kmの検問で引っ掛かっているとのことである。 5kmの差であれば、検問さえ通過すれば瞬く間に追いつく筈である。 ゴール1kmの地点で、Oさん達の乗った黄色いタクシーが追い着いた。 既に右足の脹脛が攣っており左足もあやしい状態で、歩いているのか走っているのか定かでない惨めな姿を呈していた頃である。 やおら動作を止め、わざとらしい元気な姿を見せゴール前の記念撮影を撮って頂く。 黄色いタクシーは駐車場を求めて1km先のゴールへ姿を消した。 残り1kmである。 もう極端に遅いペースで足を運ぶ。 赤いアーチのゴールが見えてきた。 タイムは2時間18分02秒だった(後日、インターネットで公開される記録で確認した。)。 昨年のアカバ・マラソンでは、前後に誰も居ず随分と寂しいゴールであったが、今回は私がゴールする時でもハーフのランナーやフルのランナーがまばらにゴールしており頼もしい限りである。 ゴールのギャラリーも華やかだ。 最後の1kmは足の不調で少し難儀をしたが、爽快なゴールであった。 私より少し遅れてゴールするランナー達も、実に良い顔をして入ってくる。 皆楽しんでいる様子が良くわかる。 フル・マラソンを夫婦揃ってゴールする年配のカップルを羨望の目で出迎えた。



ゴール地点で応援団の手製JICA旗、日章旗



どうしたんだろう、Oさん達応援団の姿が無い。 先にゴールしていたKさんがカメラを構えているのが目に入った。 慌てて姿勢を正す。 ゴールの写真はその時のKさんに撮って頂いたものである。 実は満身創痍、ぼろぼろの状態であったが、何とか絵になっている。



地元テレビからインタビューを受ける仲間のK氏



ゴールして直ぐ、Oさんを始めとする応援団の方々がゴール地点に現れた。 やはり駐車場で止める場所がなく手間取ったらしい。 早速準備した手製の応援団旗(JICA旗と日章旗)を広げ、皆で記念撮影。 そしてビーチに下り、死海をバックにもう一度記念撮影。 その後はランニング・パンツのまま死海で定番の浮遊体験を楽しむ。 周囲の様々な人のお陰で、念願の死海マラソンを走れて大変ありがたく思い幸せな満足感に浸る。 事務所の健康管理員も皆の年齢を考え大変心配していたので、全員ゴールを見届け、携帯から電話を入れた。 電話口の向こうでは以外に明るい声が返ってきた。 普段うるさく言ってても、我々を信用してくれている気配が感じられ、地に着いたチーム・ワークのようなものを感じたのである。 そして大会を運営してくれた神経障害者協会の人々を始め, 多くのボランテイアや関係者に対する感謝の念がこみ上げてくるのである。 地球に喝采。

     



死海をバックにJICA旗を掲げて







15/Apr/'05 林蔵@Amman Jordan (Revisded on 19/Jul/'08)#196

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