一時帰国
@Jan/'05 相模原、神奈川


風花(新しい家族:5ヶ月)



午前3時、中東でも高地にある為冷え込みの厳しいアンマンの高級住宅街。 外交官や政府要人が住む館がそちこちに点在し警備専門部隊の兵士が坂の多い街角に24時間体制でそれらの館を守っている。 世界の火薬庫と言われる中東であるが、ここは夜間でも一人歩きが出来るほど安全な街でもある。 

今日は一時帰国でアンマンを出る日だ。 昨夜は我が家で映画撮影会(アラビアのロレンス)をしたお陰で、殆ど寝る間もなくアパートを出ることになった。 一応今朝1時、目覚ましを3時にセットして寝たのである。 2時間足らずであるが寝たことになる。 アパートを出る。 人影は警備兵士以外には見当たらない。 街灯が冬の冷えた路面に散光し、外は以外に明るい。 アパート前の急な坂を下り、人っ子一人居ない早朝の街路をアパートから数百m先にあるプテイ・ホテル、DAY'S INN迄歩く。 DAY'S INNにはデスコがあり、デスコ客を相手にタクシーが24時間待機しているので、いつでもタクシーを拾うことができるのである。 案の定、数台のタクシーが客待ちをしている。 1台のタクシーにアブダリ迄行ってくれるか、と聞いてみた。 運転手は慇懃な態度で、“もちろんOKだが、幾ら出す?”と客に値段を聞いてきた。 これはこちらでは至極普通のことである。 全ての値段は交渉なのである。 昼間の通常運賃ならアブダリ(空港行きバスの発着場があるバスセンター)迄1JD(約150円)だから、その倍で2JD(300円)と言ってみた。 運転手は、“2JD、冗談じゃない。”と言ってきた。 本来はここから交渉が始まるのであるが、その気が沸いてこず、ここで交渉を諦め隣のタクシーに移った。 今度はこちらから、“3JDでアブダリ迄行ってくれるか。”と聞いてみた。 運転手は何も言わず、あまりいい顔をせず頷く。 タクシーの助手席(こちらでは助手席に乗るのが普通)に乗り込み、アブダリに行く前に私のアパート迄行くように指示した。 荷物を積み込む為である。 タクシーでアパートまで戻り、日本行きの荷物を詰め込んだスーツケースをタクシーに積み込んだ。 タクシーはアブダリ・バス停に向かう。 

15分程でタクシーはアブダリに着いた。 3JDを運転手に渡すと、運転手はアパート迄行ったのは余分だから5JD750円)だと言う。 まー、運転手の言い分も一理あるので、中を取って4JD(600円)を支払う。 運転手は不服そうな顔をしながらもそれ以上は要求してこなかった。 空港行きのバス停で4時のバスを待つ。 バス停には誰も居ない。 時々タクシーがやってきて、バスは無いからタクシーに乗れと言う。 10JD(1500円)で良いと言う。 私は4時のバスで行くから良いと、その度に断ったのである。 4時5分前になったが、バスが来る気配が無い。 本当にバスは無いのだろうか。 実は、前日に確認をして居なかったのである。 少し心配になってきた。 かなりくたびれたマイクロバスがやってきて、バスは無いから乗って行った方が良い、とバス停の時刻表を示しながら言う。 時刻表は暗くて読み取れない。 マイクロバスの運転手は、6JD(950円)で良いと言う。 バスが来る気配が全くなかったので、マイクロバスの運転手の勧誘を受けることにした。 スーツケースをマイクロバスに積み込むとマイクロバスは直ぐ発車した。 一抹の不安が無い訳でも無い。 もし性質(たち)の悪い連中と攣るんでいたらどうしよう。 夜の帳がおり静まり返った都会である。 車で訳のわからない場所に連れて行かれて恐喝、あるいは最悪殺傷害の目に逢ったりしたら、と思わないでもない。 中近東、特にヨルダンは治安が安定しており、事件発生率は日本より遥かに低いとは知っていても、そんな警戒心が微かに心の中で騒ぐのも事実である。 注意深く、マイクロバスの行く道を確認する。 アンマンの街は夜でも土地勘があり、どちらの方向に向かっているかは、私には判るのである。 どうやら、順当な道を走っているようだ。 第4サークルからザハラン通りを第7サークル方面にハンドルを切った時点で、マイクロバスは確実に空港に向かっているとほっとし、疑いを解いた。 ザハラン通り第7サークルの手前に、深夜運転手向け24時間営業の小さなアラビック風カフェスタンドがある。 マイクロバスはカフェの前で止まり、運転手はアラビックコーヒーを注文した。 運転手はぶっきら棒に、コーヒーは要るかと聞いてくれる。 私は、”シャイ、ラウサマハット(お茶を頂こう)“と答えた。 アラブ風の濃く甘ったるい紅茶が紙コップになみなみと注がれて渡された。 甘い紅茶を飲みながら夜道を空港に向かうマイクロバスの助手席に身を任せた。




2005年元旦: 地元の、最も近い氏神”てんばく神社”に初詣



 

無事クイーン・アリア国際空港に到着。 私にしては珍しく何事も無くフランクフルト行き Royal Jordanian航空、RJ125便の乗客となる。 いや、4時のバスではなくマイクロバスに乗ったのはやはり事件と言うべきか。 この便はフランクフルト行きであるが、シュツッツガルト経由である。 シュツッツガルトではフランクフルト行きの乗客は機内に待機しなくてはならない。 私は何事にもあまり好き嫌いがなく、大概のものには腹を立てない性質(たち)であるが、 経由地で機内待機さされる程不快な思いをするのは、数少ない腹の立つケースの一つだ。 実は隣の席に座ったドイツ人らしき初老の夫人にもかなり辟易している。 彼女はいわゆる変わり者と呼ばれる類の人なのである。 身に着けているものも相当酷い。 挙動が尋常ではなく、隣に居て赤面することしきりなのであった。 フランクフルトに着き、息子の家に電話を入れた。 ドイツの息子の家を切り盛りしている、息子の連れにはもったいない義娘が優しい元気な声で電話口に出る。 その日は孫を病院に連れて行くので帰りが3時以降になるので、少し遅めに来て欲しいとのことである。 ちょうど良い、久しぶりのフランクフルトである。 ゆっくり時間を掛けて息子一家が住んでいるノルドベストへ向かう。 

フランクフルト中央駅で地下鉄 U5,U6番線を探したが、なかなか見つからない。 以前2回程一人で行ったことがあるのであるが。 フランクフルト中央駅は昔からかなり良く知っている筈であった。 だが見つからないのである。 思い余って駅の案内所で、 “Uバーンは何処?”と聞いてみた。 “Uバーンはそこの中央の通りを地下に行けばある。” と教えてくれた。 礼を言い、地下に降りてみた。 成る程 Uバーンのホームへの下りエスカレーターがあった。 U5番に乗り、一緒に乗り込んだ青年に英語で “Willy Brandt Platz駅はこの電車で良い?” と聞いてみた。 ドイツ青年は綺麗な英語で、“そうだ、この線で良いよ。” と答えてくれた。  “Willy Brandt Platz”は一つ目の駅である。 次の駅に着くと、その青年はドアーを示して親切にも、”ここだ“ と教えてくれたのである。 Willy Brandt Platz で U1:Ginheim 方面行きに乗り換える。 地下鉄U1は一旦地上に出て暫く郊外を走り再び地下に入った最初の駅、 Nordwest Zentrum駅で降りる。 ここからはバス67番か71番に乗る。 バス・チケット販売機で1.33ユーロのバス・チケットを買う。 外は粉雪が舞っている。 アンマンよりかなり寒い。 当然である。 経度がアンマンより遥かに緯度の高い北国なのだから。 直ぐ67番のバスはやってきた。 

アパートのゲートで息子の家のボタンを押すと、聞き覚えのある声が返ってきた。 直ぐゲートの自動ロックが外れる音がする。 小さいホールに入ると奥行きの深いエレベーターが1基ある。 今日は大きな荷物を空港の手荷物一時預かりに預けてきたのでショルダー・バッグと手提げかばん1個だけであるが、大きな荷物があると奥行きの深いエレベーターはとても都合が良いに違いない。 玄関では義娘と孫が元気に出迎えてくれた。 息子はイタリア出張でその日の夜遅く帰るらしい。 息子の帰りを待とうと思ったが、昨夜は殆ど徹夜状態で流石にこの歳になると無理が効かない。 お風呂を頂いた後、直ぐ眠りに就いてしまった。 翌朝も息子は朝早く出勤してしまい、私が目覚めた時は既に出勤後であった。 その日は一日孫達と家の中で遊び時間を過ごす。 夕刻息子が仕事から帰ってくるのを待って、全員揃ってタクシーで空港へ向かった。 偶然にも同じ JAL便で日本へ帰ることになったのである。 旅は道ずれ世は情けと言う。 それが身内であれば尚楽しい。 今回の一時帰国は航空会社のマイレージで頂いた特別優待券(無料券)だ。 当然エコノミー席と思ってチェックインしたら、“本日の便は満席で御予約の窓側は 「10K」 になります。” と言う。 何と、「10K」 はビジネスクラス。 思わぬ待遇にすっかり気を良くし機上の人となる。 ヨーロッパ便のビジネス・クラスはシェル・フラットと言う新型の座席で本当にフラットになるのである。 これはありがたい、実に楽チンだ。 空飛ぶベッドの気分を十分に味わい成田空港に降り立つ。 グローバル会員の特権で荷物も最優先で先に出てくる。 成田からは何時ものように新宿駅行きリムジン・バスに乗った。 実はこれが大失敗。 24日はクリスマス・イブ。 日本人は多くが仏教徒であるが、何故かクリスマス時、街は異状に賑わうのである。 お陰で道路は何処も大渋滞。 新宿迄、普段なら1時間半以内で行けるものを3時間半も掛かってしまった。 リムジンに乗ってしまった以上、じっと我慢で目的地に着く迄待つ以外にどうすることも出来ない。




羽田の出発ロビーから見る富士山


新しい年も明けた。 皆で雑煮を頂いた後は初詣をに行こう。 久しぶりの大勢である、義父母、息子一家に娘と家人が揃った。 この地(神奈川県)には珍しい大晦日に降った大雪で外は一面の銀世界だ。 一番近い歩いて行ける氏神 ”てんばく神社” へ行く。 9ヶ月ぶりの日本である。 田舎の親父に顔を見せない訳にはゆくまい。 航空会社の株主優待券が旨い具合に利用できた。 2日の関空行き9時の便に席があったのである。 家を朝も早い5時半に出た。 大晦日には20年ぶりの大雪で道は凍結している。 滑らないように慎重に足を進めながら未だ夜が明けない早朝、JR相模原駅へ向かう。 手が凍えるように冷たい。 手袋を持ってきて正解である。 横浜で京急羽田行きに乗り換える。 羽田には十分余裕の時間に着いた。 羽田のカフェで軽い朝食を取る。  グローバル・カウンターでチェックインを済ませ、地上勤務員に9番ゲートの方向を聞きゲートへ向かう。 窓の外には真っ白に雪化粧した富士の雄姿が澄んだ冬空にくっきりと浮かんでいる。 JAL1305便は9時定刻に羽田を飛び立った。 席はあらかじめ予約しておいたお好みの窓側である。 羽田から関空行きの飛行機からは天気に恵まれれば本州の地理を眼下に楽しむことができる。 この眺めが私の大変お気に入りの一つなのである。 今日も天候はまずまず、お気に入りの景色が眼下に広がる。 紀伊の山々は大晦日の雪で白く化粧している部分が多く、山の木々は氷に包まれ樹氷となり朝の太陽にきらきら光る。 関空に降り立った。 ここからは一番早く行ける高速船で淡路島に渡ることにした。 高速船の時刻表を見る。 次の便は11時50分だ。 未だ1時間20分もある。 さー、ここでちょっとした問題が発生。 カフェが無いのである。 れっきとした我が国第2の国際空港である。 カフェが無いとはにわかには信じられない。 何処かにある筈だ。 空港内をうろうろするが見つからない。 空港ビルと並列してJR及び南海電車の駅舎ビルがある。 其処に在るのだろうか。 淡い希望を持って足を向けてみたがやはり無い。 更にその向こうにホテル・ビルが並列している。 そこにはカフェがあるだろう。 足を伸ばしてみたがカフェは無い。 どう言うことだ。 レストランはそこかしこに在るのにカフェがどうしてないのだろう。 文化の違いがこうも歴然と現れるものかと驚き呆れるのである。 これが世界に誇る24時間稼動の国際空港だろうか。 結局空港ロビーの一角に発見した、唯一の簡易カフェでカフェ・オレを注文した。

高速船は静かな大阪湾を西へ横断する。 右手には明石海峡を跨ぐ世界最長のサスペンション橋 ”明石海峡大橋” が2本の橋脚を高々と海面に突き立てている。 小一時間で高速船は淡路島の玄関口洲本港に到着した。 洲本の街は静かだ。 三熊山の天守閣も、今はめっきり少なくなった数少ない松林の中にその白い姿を見せている。 バス・センターに行ったがどうも様子が変だ。 職員らしき者が出てきてここはもうバス停ではないと言う。 バス停は港の近くにある高速バスの停留所に移ったらしい。 ところでどちら方面に行かれますか、と聞いてくれた。 花縦線に乗ると言うと、その日は休日で便数が少ないよ、次の便を調べてみるから、と言って事務所に消えた。 暫く待つとその職員らしき者が申し訳なさそうに、次の便は3時間後だとのこと。 3時間は待てまい。 田舎の実家に電話を入れた。 義妹が電話口に出て、迎えにきてくれると言う。 ありがたい。 暫く大手スーパーの駐車場の前で待つ。 義妹は新調した車で迎えに来た。 実家迄の途中、昨年10月の台風大雨の爪跡が随所に見かけられる。 道が完全に無くなっている箇所がある。 見事にV字型に道が完全に抉り取られている。 水の力、自然の力を改めて思い知らされる。




末弟が室戸で釣り上げた大漁の見事な天然ぶり: 市場価格は1尾?万円だろうか


実家に着くと、神戸に居る弟が既に来ていた。 今は実家の主人である末弟はその日の兄弟姉妹が集まる宴の為、室戸へ大物を釣りに出掛けて未だ戻っていないと言う。 聞くと、当日は実に都合良く大漁だったと電話連絡が入っているらしい。 何でも3人でブリを29本吊り上げたらしい。 天然ブリとは凄い。 しかも末弟が竿頭(最高漁獲者)になったと言う。 一人で11本のブリを吊り上げたそうだ。 29本のブリはとても重く車に積むのも大変なので、余り釣れなかった見知らぬ釣仲間に浜で1本1000円で分けてやったそうだ。 ブリ1本1000円は幾ら浜値とは言え如何にも安い。 その夜は多くの兄弟姉妹の家族が集まり末弟の釣った魚で大宴会となった。 それにしても我が姉妹の姦しいこと、彼女達は幾つになっても、箸が転がってもおかしいと言う娘時代の感覚なのであろうか。 我ながら可笑しくも楽しくもある。 こうして何時もニコニコと多くの兄弟姉妹の集まりを快く受け入れてくれる末弟夫婦には感謝の念でいっぱいだ。 何時も気兼ねなく帰れる場所があるのはまことにありがたいことであるに違いない。

実家での3日の滞在を終え相模原へ帰る。 神戸の弟も同日帰ると言うので、彼の車でJR三宮駅迄送ってもらうことにした。 田舎へ移動した2日は島内の ATM は閉まっており3日間無銭で過ごさざるをえなかった。 三宮駅で早速取引銀行のATMを探し当て、帰りの路銀を手に入れたのである。 JR大阪駅で当日夜のバス便を尋ねる。 横浜行きは全て満席だが、新宿行きは未だかなり席が残っていると言う。 23時20分発の新宿行きのチケットを買う。 バスの出発迄、暫く時間があるので御堂筋を散歩することにした。 大きなバッグを駅のコイン・ロッカーに預けて歩き始める。 御堂筋には以前何度か来たことがあるのだが、どうも方向が分からない。 歳のせいだろうか。 何度か通りすがりの人に聞き、やっと御堂筋に出ることができた。 大阪を代表する大通りである。 大木の銀杏並木が似合う通りは南北に真っ直ぐに伸びる。 時間つぶしの散歩には打ってつけのコースなのだ。 パソコンの入ったバッグを肩に掛け相変わらず早足で歩く。 時間つぶしではあるが、運動の為でもある。 今は正月休み、体がそうとうなまっている。 そんな体に多少鞭も打たなくてはなるまい。 銀杏並木に葉陰は無い。 ネオンに縁取られたビルの谷間を歩く。 早足で歩くと冬の寒さもだんだん感じられなくなる。 広い歩道、一方通行の御堂筋に走る車はクラクションを鳴らすでなく至って静かに流れる。 アンマンとは違って極めて平坦な大阪の街、片道約4km、折り返しで8kmの夜の散策である。 多少なまった筋肉はほぐれたであろうか。 散策後地下コンコースのカフェでバスの時間迄時間調整をする。 23:20の新宿行きJR高速バスは定刻に大阪駅を出発、座席は2階席だった。 3列の全席独立の座席になっている。 飛行機や新幹線の座席よりプライバシーは保ててゆったり出来るのがバス便を選択する理由の一つでもある。 バスがゆっくりと高速に入り定速運転し入った頃、適度に暖房の入った室内で何時とはなく夢の中の人となる。 




家族@相模原







林蔵 @Sagamihara Japan 3/Jan/'05 (Updated on 9/Jul/'08)#187

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