@Jan/'05 相模原、神奈川
午前3時、中東でも高地にある為冷え込みの厳しいアンマンの高級住宅街。 外交官や政府要人が住む館がそちこちに点在し警備専門部隊の兵士が坂の多い街角に24時間体制でそれらの館を守っている。 世界の火薬庫と言われる中東であるが、ここは夜間でも一人歩きが出来るほど安全な街でもある。 2005年元旦: 地元の、最も近い氏神”てんばく神社”に初詣
無事クイーン・アリア国際空港に到着。 私にしては珍しく何事も無くフランクフルト行き Royal Jordanian航空、RJ125便の乗客となる。 いや、4時のバスではなくマイクロバスに乗ったのはやはり事件と言うべきか。 この便はフランクフルト行きであるが、シュツッツガルト経由である。 シュツッツガルトではフランクフルト行きの乗客は機内に待機しなくてはならない。 私は何事にもあまり好き嫌いがなく、大概のものには腹を立てない性質(たち)であるが、 経由地で機内待機さされる程不快な思いをするのは、数少ない腹の立つケースの一つだ。 実は隣の席に座ったドイツ人らしき初老の夫人にもかなり辟易している。 彼女はいわゆる変わり者と呼ばれる類の人なのである。 身に着けているものも相当酷い。 挙動が尋常ではなく、隣に居て赤面することしきりなのであった。 フランクフルトに着き、息子の家に電話を入れた。 ドイツの息子の家を切り盛りしている、息子の連れにはもったいない義娘が優しい元気な声で電話口に出る。 その日は孫を病院に連れて行くので帰りが3時以降になるので、少し遅めに来て欲しいとのことである。 ちょうど良い、久しぶりのフランクフルトである。 ゆっくり時間を掛けて息子一家が住んでいるノルドベストへ向かう。 羽田の出発ロビーから見る富士山 新しい年も明けた。 皆で雑煮を頂いた後は初詣をに行こう。 久しぶりの大勢である、義父母、息子一家に娘と家人が揃った。 この地(神奈川県)には珍しい大晦日に降った大雪で外は一面の銀世界だ。 一番近い歩いて行ける氏神 ”てんばく神社” へ行く。 9ヶ月ぶりの日本である。 田舎の親父に顔を見せない訳にはゆくまい。 航空会社の株主優待券が旨い具合に利用できた。 2日の関空行き9時の便に席があったのである。 家を朝も早い5時半に出た。 大晦日には20年ぶりの大雪で道は凍結している。 滑らないように慎重に足を進めながら未だ夜が明けない早朝、JR相模原駅へ向かう。 手が凍えるように冷たい。 手袋を持ってきて正解である。 横浜で京急羽田行きに乗り換える。 羽田には十分余裕の時間に着いた。 羽田のカフェで軽い朝食を取る。 グローバル・カウンターでチェックインを済ませ、地上勤務員に9番ゲートの方向を聞きゲートへ向かう。 窓の外には真っ白に雪化粧した富士の雄姿が澄んだ冬空にくっきりと浮かんでいる。 JAL1305便は9時定刻に羽田を飛び立った。 席はあらかじめ予約しておいたお好みの窓側である。 羽田から関空行きの飛行機からは天気に恵まれれば本州の地理を眼下に楽しむことができる。 この眺めが私の大変お気に入りの一つなのである。 今日も天候はまずまず、お気に入りの景色が眼下に広がる。 紀伊の山々は大晦日の雪で白く化粧している部分が多く、山の木々は氷に包まれ樹氷となり朝の太陽にきらきら光る。 関空に降り立った。 ここからは一番早く行ける高速船で淡路島に渡ることにした。 高速船の時刻表を見る。 次の便は11時50分だ。 未だ1時間20分もある。 さー、ここでちょっとした問題が発生。 カフェが無いのである。 れっきとした我が国第2の国際空港である。 カフェが無いとはにわかには信じられない。 何処かにある筈だ。 空港内をうろうろするが見つからない。 空港ビルと並列してJR及び南海電車の駅舎ビルがある。 其処に在るのだろうか。 淡い希望を持って足を向けてみたがやはり無い。 更にその向こうにホテル・ビルが並列している。 そこにはカフェがあるだろう。 足を伸ばしてみたがカフェは無い。 どう言うことだ。 レストランはそこかしこに在るのにカフェがどうしてないのだろう。 文化の違いがこうも歴然と現れるものかと驚き呆れるのである。 これが世界に誇る24時間稼動の国際空港だろうか。 結局空港ロビーの一角に発見した、唯一の簡易カフェでカフェ・オレを注文した。 高速船は静かな大阪湾を西へ横断する。 右手には明石海峡を跨ぐ世界最長のサスペンション橋 ”明石海峡大橋” が2本の橋脚を高々と海面に突き立てている。 小一時間で高速船は淡路島の玄関口洲本港に到着した。 洲本の街は静かだ。 三熊山の天守閣も、今はめっきり少なくなった数少ない松林の中にその白い姿を見せている。 バス・センターに行ったがどうも様子が変だ。 職員らしき者が出てきてここはもうバス停ではないと言う。 バス停は港の近くにある高速バスの停留所に移ったらしい。 ところでどちら方面に行かれますか、と聞いてくれた。 花縦線に乗ると言うと、その日は休日で便数が少ないよ、次の便を調べてみるから、と言って事務所に消えた。 暫く待つとその職員らしき者が申し訳なさそうに、次の便は3時間後だとのこと。 3時間は待てまい。 田舎の実家に電話を入れた。 義妹が電話口に出て、迎えにきてくれると言う。 ありがたい。 暫く大手スーパーの駐車場の前で待つ。 義妹は新調した車で迎えに来た。 実家迄の途中、昨年10月の台風大雨の爪跡が随所に見かけられる。 道が完全に無くなっている箇所がある。 見事にV字型に道が完全に抉り取られている。 水の力、自然の力を改めて思い知らされる。 末弟が室戸で釣り上げた大漁の見事な天然ぶり: 市場価格は1尾?万円だろうか 実家に着くと、神戸に居る弟が既に来ていた。 今は実家の主人である末弟はその日の兄弟姉妹が集まる宴の為、室戸へ大物を釣りに出掛けて未だ戻っていないと言う。 聞くと、当日は実に都合良く大漁だったと電話連絡が入っているらしい。 何でも3人でブリを29本吊り上げたらしい。 天然ブリとは凄い。 しかも末弟が竿頭(最高漁獲者)になったと言う。 一人で11本のブリを吊り上げたそうだ。 29本のブリはとても重く車に積むのも大変なので、余り釣れなかった見知らぬ釣仲間に浜で1本1000円で分けてやったそうだ。 ブリ1本1000円は幾ら浜値とは言え如何にも安い。 その夜は多くの兄弟姉妹の家族が集まり末弟の釣った魚で大宴会となった。 それにしても我が姉妹の姦しいこと、彼女達は幾つになっても、箸が転がってもおかしいと言う娘時代の感覚なのであろうか。 我ながら可笑しくも楽しくもある。 こうして何時もニコニコと多くの兄弟姉妹の集まりを快く受け入れてくれる末弟夫婦には感謝の念でいっぱいだ。 何時も気兼ねなく帰れる場所があるのはまことにありがたいことであるに違いない。 実家での3日の滞在を終え相模原へ帰る。 神戸の弟も同日帰ると言うので、彼の車でJR三宮駅迄送ってもらうことにした。 田舎へ移動した2日は島内の ATM は閉まっており3日間無銭で過ごさざるをえなかった。 三宮駅で早速取引銀行のATMを探し当て、帰りの路銀を手に入れたのである。 JR大阪駅で当日夜のバス便を尋ねる。 横浜行きは全て満席だが、新宿行きは未だかなり席が残っていると言う。 23時20分発の新宿行きのチケットを買う。 バスの出発迄、暫く時間があるので御堂筋を散歩することにした。 大きなバッグを駅のコイン・ロッカーに預けて歩き始める。 御堂筋には以前何度か来たことがあるのだが、どうも方向が分からない。 歳のせいだろうか。 何度か通りすがりの人に聞き、やっと御堂筋に出ることができた。 大阪を代表する大通りである。 大木の銀杏並木が似合う通りは南北に真っ直ぐに伸びる。 時間つぶしの散歩には打ってつけのコースなのだ。 パソコンの入ったバッグを肩に掛け相変わらず早足で歩く。 時間つぶしではあるが、運動の為でもある。 今は正月休み、体がそうとうなまっている。 そんな体に多少鞭も打たなくてはなるまい。 銀杏並木に葉陰は無い。 ネオンに縁取られたビルの谷間を歩く。 早足で歩くと冬の寒さもだんだん感じられなくなる。 広い歩道、一方通行の御堂筋に走る車はクラクションを鳴らすでなく至って静かに流れる。 アンマンとは違って極めて平坦な大阪の街、片道約4km、折り返しで8kmの夜の散策である。 多少なまった筋肉はほぐれたであろうか。 散策後地下コンコースのカフェでバスの時間迄時間調整をする。 23:20の新宿行きJR高速バスは定刻に大阪駅を出発、座席は2階席だった。 3列の全席独立の座席になっている。 飛行機や新幹線の座席よりプライバシーは保ててゆったり出来るのがバス便を選択する理由の一つでもある。 バスがゆっくりと高速に入り定速運転し入った頃、適度に暖房の入った室内で何時とはなく夢の中の人となる。 家族@相模原 林蔵 @Sagamihara Japan 3/Jan/'05 (Updated on 9/Jul/'08)#187 |
{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る] |