Pella 遺跡: 谷底の泉が湧き出る傍に建つ神殿跡 デカポリスの一つである。 地中海一円を支配下に置いた古代ローマ帝国がアラブ属州支配の為に建設した街だ。 紀元1-2世紀のものであるらしい。 しかしこの地はもっと時代が遡る紀元前900年頃の遺跡も同時に眠っていると言う。 オーストラリアの発掘チームが黙々と発掘作業をおこなっていた。 更に時代は下って、東ローマ帝国、又の名をビザンチン帝国と呼ばれる時代もこの街は栄えたのである。 その証拠に繊細なデザインを持つ様々なビザンチングラスの製品が出土するからだ。 レスト・ハウスの主人が、個人が所有してはいけない筈のどうも本物らしいビザンチングラスの製品を大事そうにテイッシュ・ペーパーの包みを解き披露してくれた。 あわよくば高く売りつけようと目論む魂胆は見え見えである。
ペラ遺跡を見下ろす絶好の高台にレスト・ハウスがある。 遠目の外観は立派に見えるが、内部は至って殺風景である。 玄関を入ると、飾り気の無い壁に観光用壁画が描かれているのが一際アクセントになっている。 レストランは遺跡を見下ろす高台の淵にテラス風にアレンジされ、百万ドルの借景を存分に楽しめる仕掛けになている。 ここのおやじは英語が達者で盛んに訪問者に無料案内をかって出る。 結構外国人観光客が来るらしく、我々が居た間にも、イタリア人の団体客、ドイツ人、フランス人等が訪れていた。 泉の湧き出る谷底に広がる遺跡の説明を一通り聞き、急jな丘の斜面を下った。 土地の子供が何処からとなく湧き出てくる。 彼らの内、年長の者がやおらポケットから怪しげなコインを数枚取り出す。 子供ながらに直ぐには商売を始めない。 世間話で注意を喚起する。 じわじわ本題に入ってくる。 これは中国の万里の長城で逢った物売りの少女と手口はそっくりだ。 僅かの英語でたくみに話しかけてくるのである。 少年、「名前は何て言うの」。 私、「モハムッド」。 少年、(ウぬ、と言った顔をする。
日本人特有の名等、彼は知る由もない。 信じてしまう。) どうも仲間の一人も同じ答えをしたらしい。 少年の中の一人が、「彼もモハムッドと言ったが、兄弟か」と聞いてくる。 私、「そうだ」 と答えた。 結局コインは少年から買わなかった。 彼らは子供ながらに相場を知っており、極端に安く値踏みをすると、商談は破談するのである。
谷底では子供や婦人達が一面に生い茂った草を選り分け採集していた。 山羊や羊の飼料用に採集しているらしい。 羊や山羊は放牧もするが、ミルクを取ったりするのに良い草でも有るのだろうか。 どこの国の少女も同じである。 赤いポピーの花を手一杯に採りカメラに向かってポーズを取ってくれた。 花を手にした土地の少女
緑滴る春景色: 短い春には様々な花が咲き誇る 丘の上から下る途中に民家が数軒ある。 すれ違った見ず知らずの土地の者が、「今夜内で飯を食って泊まってゆかないか」と言う。 余りの唐突な申し出で戸惑い、取り合えず、「明日は仕事でアンマンに戻らなければならないので、 御気持ちは有り難いが、結構です」 と断った。 すると、「飯だけはどうだ」 と畳み込んでくる。 「アンマンに暗くなる前に帰らなければ、ならないので、お気持ちはありがとう」 と丁重にお断りした。 そしたら、「珈琲はどうだ」 とあくまでもてなしたいらしい。 ここまで言われて断る理由は無い。 快く同意した。 緑の絨毯を敷き詰めたようなゆるい勾配の丘陵を目の前にして、テラスでの珈琲である。 実に優雅な気分に浸りながら濃いアラッビク珈琲の味と楽しい会話を楽しんだのである。 主人は土地の学校の英語の先生であった。 家族の誰も英語ができず、その先生だけが会話の頼りである。 何処の馬の骨ともしれぬ外国からの訪問者を、気軽に家に招待する彼らの心の広さに唯甘えるのであった。 国花: ブラックアイリス 野生のシクラメンが咲き誇る 林蔵@Pella Jordan 16/Feb/'05 (Updated on 16/Jul/'08)#193 |
{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る] |