ナバテイア人の夢の果て
(世界遺産)@'71 Petra, Jordan
アル カズネ神殿(宝物殿)
[世界遺産: Petra, 文化遺産、1985年登録] ペトラのある地は、自然の要害であった。また西にガザ、北にダマスカス、紅海にも近く、中東での人や物の行き交う要衝の地でもあった。ナバテア人の首都、砂漠を移動していたキャラバン隊の中継基地であったと伝えられてきた。立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の有力都市として栄えた。ぺトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられる。完全な岩礁地帯であるので、農業には不向きであった。また雨が降ると、鉄砲水となって渓谷内を通過していった。ナバテア人は、ダムを作って鉄砲水を防ぎ、さらに水道管を通して給水システムを作り上げたことが分かっている。 紀元前1200年頃から、エドム人たちがぺトラ付近に居住していたと考えられている。エドム人たちの詳細は不明である。 立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、エドム人達を南へ追いやったナバテア人達が居住しはじめる。ナバテア人はアラビア付近の貿易を独占。それにともないぺトラも古代ナバテア人の有力都市として栄えた。 紀元前64年から紀元前63年ごろ、ナバテア人はローマの将軍、ポンペイウスにより、その支配下におかれる。ローマは、ナバテアの自治は認めたものの、課税を課した。また砂漠から進入してくる異民族の緩衝地帯とした。また、ローマ風の建築物の造営がこのころ始まった。 106年には、ローマ皇帝トラヤヌスによりペトラとナバテア人はローマの州として完全に組込まれる。 1812年、スイス人の探検家、ルートヴィヒ・ブルクハルトが、十字軍以降、最初にヨーロッパへ紹介した。(Wikipediaより)
Nabatian王国の都、砂漠の商隊が一時の憩いを、遊びを得たオアシス。 ギリシャ語で ”赤い石” と言う意味であるそうだ。 かつての古代都市はヨルダンの首都アンマンから南へ200kmあまり下った処に、
赤い岩塊が平らな土漠に突然立ちはだかるようにしてある。 ローマ時代を遥か偲ぶ昔紀元前7世紀、香料、香辛料、宝石、貴金属の流通に僅かの通関税を課し栄華を極めた街。 巨大な岩山は細い谷間の裂け目が幾つもあり、内部は要塞、神殿、及び居住地になっている。 当時は遠くの湧き水アイン・ムーサ(モーゼの泉)から上下水道も引かれ、2万人もの民を抱え、高級な都市機能を備えた一大交易地として栄えていた。 AD106年にローマの属州になってから、商路はずっと北の現在のシリア国内、パルミラに移り、
都はその商業上の要素を失い急速に衰退した。 世界から完全に忘れ去られ、やがて土漠の廃墟となり現代に至る。 1812年スイスの探検家 John Lewisにより、偶然発見される迄、世に知られることは無かった。 1985年ユネスコにより世界遺産に指定される。
ぺトラへの途中、ラクダの群れに遭う
この地がユネスコの世界遺産に指定される14年前、1971年に幸運にもここを訪れる機会を得た。 最初の海外出張でヨルダンに赴任していた時のことだ。 週末(木、金)の休みを利用して仲間数人と出かけた。 滞在先の首都アンマンからタクシーを貸し切ってである。 当時のヨルダンのタクシーは、全てベンツの中古車、しかも相当古いベンツ。 しかし流石にベンツ、しっかり走る。 坂(丘)の多いアンマンを出ると、起伏の少ない、
うねうねとした不毛の土漠が見渡す限り続く。 時折、乾燥した大地にラクダの群れが休んでいる姿が見える。 ドライブは単調だ。 運転手が居眠りをするのではないかと心配しながら、時々運転手の機嫌を伺う。 途中、道端の粗末なキオスクでドリンク休憩。 運転手は熱く濃いアラビック・コーヒー、我々は
あまり冷えていないペプシ(当時、ヨルダンではイスラエルに対抗してコカコーラは売っていない)。
昼前には目的地に着いた。 なるほど赤い岩山だ。 遠景は単なる岩山にしか見えないが、真近にくるとその迷路のような岩に裂け目は圧巻だ。 岩山の裂け目の入り口にはレストランがある。 岩山をくり貫いた壁がそのままのレストラン、椅子やテーブルもいかにも素朴なアラビア風で感じが良い。 鶏と炒めサフラン米に松の実にたっぷりバターをかけた料理(マグルーバ)は、なかなかいけた。
ぺトラにて若き日の筆者
腹を満たした後、いよいよ赤い岩山に偲び込む。 岩山の内部は自然のラビリンス、複雑に入り組んだ迷路が縦横に走る。 今も僅かのジプシー家族がこの岩山の洞窟に住みついており、我々観光客には目もくれずに日常の生活を営んでいる。 見所は、世界遺産に登録された由縁である地上の建造物と違わぬ規模と繊細さに芸術的創作美を会わせ持つ、赤い岸壁をくり貫いて建造された神殿(宝物殿)、アルカズネだ。 その巨大さと滑らかさは、近くで実物を見た者のみぞ感ずることが出来る。 30mを越す1階の石建物だ。 紀元前の時代に、このような巨大で芸術性の高い建造物を建造したことに、改めて人間の凄さを感じる。 砂漠地帯にありながら、あまり日の当たらない条件が幸いし、その保存性は極めて良好な状態に有る。 神殿の壁面は、完成したばかりの輝きを今なお見ることできる。 砂漠とは思えぬ、適度な冷風が岩場の奥深く吹きぬける。 遠い過去に栄華を競ったナバテイア人の見果てぬ夢を、今なお輝く神殿の壁に想う。
ペトラの遠景
林蔵 '71@Petra Jordan (Updated on 4/Apr/'08)#106
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