Riyadh
@Oct/'02 Riyadh, Saudi Arabia

Old
Riyadh 廃墟の遺跡から旧市外を望む
ガルフ・エアー161便、バーレンを 13:30 に飛び立った。 サウジアラビアの首都 Riyadh までは 1時間足らずのフライトである。 簡単だが、暖かいサンドイッチとドリンクが配られる。 同時にサウジの入国カードも配られる。 カードの初めに大きな字で、麻薬持込は死刑と印刷されている。 サウジは色んな意味で厳しい国である。 アルコール類は全く駄目、僕にとっては反面ありがたいが。

ホテル前の植え込みと芝生は丁寧に手入れされている
リヤドの新国際空港に降り立つ前に見る下界は、見渡す限り赤茶けた大地だ。 空港ビルは、砂漠の太陽熱を逃がす為に、複雑な形のシェードを被っている。 今(10月末)は過ごしやすい季節らしいが、タラップから空港ビルまでのアクセスウィングの暑いこと。 空港ビルに入りほっとする。 樹木の殆ど無い国土で、樹木は殊更意味を成すのか、空港のロビーや広場には、生きた樹木が床にぽっかり開いた穴から姿を現す。 大理石をふんだんに使った建物、豊かな資金源を思わせる。 イミグレは4,5列しか開いていない。 観光客が団体で押しかける土地柄でもなく、国際会議等が開催され政府要人、付添人、記者団等がどっと押し寄せない限り、普段はビジネス客と現地富裕層の旅行者では、空港はむしろ静かなかで落ち着いた感じが漂う。 サウジ人と外国人の区別は掲示されていないが、どうも区別があるらしい。 セキュリテイ(警官)要員が余り多くない人波を選り分けている。 外国人列は、5,6人前に居るだけで、すんなりパスした。 不思議なのはイミグレを通った後にもう一度パスポート・チェックがある。 あれ何なのだろう。 バゲージ・クレーム・エリアでベルトの周りで大勢が自分の荷物を待つ。 婦人の姿も何人か見かけるが、一様に顔を完全に隠した黒いベールに身を包んでいる。 戒律の厳しいサウジに来た実感をそんなところにも受ける。 荷物を引き取り外に出る。 現地事務所のアブドラ氏(運転手)が、私の名を書いたプラカードを持って待っていてくれた。 実は心配していたのである。 サウジのホテル、出迎えの有無も連絡を受けないまま、隣国バーレンから来てしまったのである。

Riyadh事務所玄関
広大な半地下式の駐車場へ行くと、クライスラーのフル・サイズ・セダンが停めてある。 居住性が抜群に良い米車に深々と身を沈め、50km先のリヤド市内へ向う。 運転手のアブドラ氏はパキスタン人だ。 25年位前に、この国にやってきたらしい。 先ずはホテルに直行。 空港からのハイウエーの両脇は緑豊かな樹木が続く、大変高価な樹木に違いない。 樹木を育てるには、高価な水を与え続けなければならないのだから。 ホテルはリヤドの中心部にある Al
Khozama ホテル。 水がガソリンより高い国でプールがある高級ホテル(4星)である。 玄関の車寄せの周辺はビロードのような芝生で一面覆われている。 部屋の広さは、バーレンのヒルトンに比べると半分くらいだが、特に窮屈感を感じるほどではない。 部屋にはウエルカム・フルーツの盛り合わせがテーブルに置いてある。 TVは米国3大ネットにCNN、英国BBCとNHKが見られる。 インターネットはプロキシ・サーバーを使用しているので、PCにその設定を施さなければならないが、私のPCはそれがなされていなくWEBサイトにアクセスできない。 従ってメール削除のWEBサイトにアクセスできず、大きな添付ファイルのあるメールも全て受信しなければならない。 バーレンに比べ、スピードが倍の24kbpsなので少しは助かるが。

プリンスのパレスは緑濃い広い敷地内に豪華な建物
旅の荷を解いた後、現地事務所に行く。 大きい2階建ての民家を借り切ったものだ。 部屋は各階に4部屋あり、トイレは各階に2ヶ所ある。 相当な豪邸の部類に入るだろう。 指紋システムの現調と保守のため、関係者が2名半常駐で滞在しているとのことであった。 同じような境遇で働く仲間を見る思いであった。 ここはビザが6ヶ月で切れるので、6ヶ月毎に隣の国、バーレンに1泊で出かけるそうだ。 一人はスリランカ人だが、殆ど完璧な日本語を話す。 2日目の夜は、彼らと夕食を供にした。 行き付けの日本料理店 “東京レストラン”、お勧めの幕の内弁当を頼んだ。 これが、お得メニューらしい。 先ず、付け出しに酢のものが出る。 暫くすると、大きな弁当箱に、これでもかと言うほどの量の幕の内が出てきた。 おつくり、てんぷら、煮物、サラダと大盛りである。 更におしんこ、キムチに味噌汁も付く。 食後にアイスクリームのデザートまで付き、フルコースである。 これで50リアル(1600円)程度なのである。 どうも、日本人は小食に慣れているようだ。 大概の外国で食事の量の多さに驚く。 この食事の多さは、現地事務所の職員と、パキスタン・レストランに行った時にも見せ付けられた。 バイキング形式の料理だった。 メインのバイキングを3回取るのである。 更に4回目はデザート。 彼らの胃袋はいったいどうなっているのだろう。

Al Khozama Hotel Entrance 東京レストランの幕の内定食
女性の黒ずくめコスチュームは徹底している。 サウジの婦人の顔は見えない。 外国人の女性も黒ずくめのコスチュームを被らなければならない、但し顔は出しても良いが。 男性のコスチュームは白い薄手のガウンに赤い頭巾、その上に黒い輪を頭に巻いている人が多い。 ホテルのロビーにも7、8割がそのようなコスチュームである。 モスクの周りを取り囲むようにある、やや高級ブテイックには、多くの生地屋があり、白の生地が圧倒的に多い。
ここサウジでは、インドやパキスタン人の方が多く働いていて、 レーバーから、エンジニアー、マネージャーに至る迄幅広い職業層をカバーしている。 弊社現地事務所の職員数は7人で、そのうち5人がインド・パキスタン人、残りの2名がサウジ人である。 所長はインド人。 今回の商談の担当は、パキスタン人のタリク氏である。 ここでも階級社会の様相をまざまざと見せ付けられる。 運転手は運転だけ。 お茶汲みはお茶だけ。 商談事務をやるのは商談事務だけなのである。 事務所には、クライスラーのフル・サイズ・セダンと、三菱のパジェロがある。 いずれも車を磨く係りがいて、常時ピカピカである。

砂漠で車遊びをするサウジの若者たち
3日目の仕事が終わった後、運転手がゴールド・マーケットに連れて行ってくれると言う。 丁度お祈りタイムになった。 全ての店のシャッターが下りる。 しかたがない、駐車場で暫く待つことにした。 ミナレットのてっぺんに取り付けられた大きなスピーカーから、お祈りの時間を告げるアザーンの声が町中から響き渡る。 時間が全く止まったかのようだ。 20分くらいでお祈りタイムは終わり、店のシャッターが一斉に上がる。 市場は何事も無かったかのように、再び喧騒を取り戻す。 お祈りタイムは1日に5回あり、このように店が一斉に閉まる営業時間内に3回ある。 1日に3回、街はゴースト・タウン化するのである。 ダウン・タウンの新開地、近代的な建物にゴールド・ショップが犇き合う。 建物内、全部ゴールド・ショップだ。 中東の金は、赤みがかっており買う気にはなれない。 隣には、アラビア風市場(スーク)がある。 こちらは懐かしい雰囲気が漂う。 極めて混沌としているのが、むしろ馴染み深く感じる。 店の境界さえわからない混沌とした状態が面白い。 更にその隣は、サウジで3番目(メッカ、ジェッダに次ぐ)に大きなモスクが広がる。 そこにも行ってみた。
モスクの広大な中庭の中央部は公開死刑の場だそうだ。 最近は少なくなったそうだが、今でも時折公開処刑の実行があると言う。

リアドのホテル、小さい窓とサンシェード
帰る日は金曜日になった。 イスラムの国では、大切な休みの日である。 午前中は全ての店は閉まっている。 飛行機の時間は夜の20:40。 たっぷり時間がある。 運転手のアブドラ君が気を利かして、Old Riyadh に行こうと誘ってくれる。 Old Riyadh は、現在のリヤド市外から、約 10kmばかり南西にある。 途中、プリンスの館と言われる緑豊かな広大な敷地が点在する。 多くの配偶者から生まれた多くのプリンスが、王国の豊かな財源を盾にかくも贅沢ができるらしい。 Old Riyadh に近ずくと、この国の国旗のモチーフにも使われている。 また代表的な街路樹でもあるなつめやし(デーツ)の大木が街の低い場所に林をなしている。 この目茶苦茶甘いナッツは砂漠の厳しい自然に打ち勝つ大切なエネルギー源なのだ。 Old Riyadh の一つの丘陵(ジャバル)が古い城壁に囲まれ、朽ちかけた建造物が乱立している。 今は人が住んでいない遺跡と化した旧市外である。 数組の外国人観光客以外に、生きた証が無い。 この広い廃墟に迷い込むと、人の世の移り変わりのはかなさと、人の生に対する執拗な強さを感じる。
時間は未だ、たっぷり残っている。 空港へ行く道の途中、砂漠へ行こうという。 サウジの砂漠を見て見よう。 空港道からそれて、10kmも行くともう見渡す限り不毛の土地、あるのは立派に舗装された道だけ。 市内では見かけない、中、小規模の遊園地が、道路沿いに幾つも見かける。 さらに進むと、道路から少し土漠・砂漠に入った何も無いところに、車を止め、ピクニックしている姿を多く見る。 サウジの人々は市内に立派な家を与えられても、砂漠の生活の方が居心地が良く砂漠に帰ると、何時か聞いたことがある。 あながち嘘でもなさそうだ。
砂漠の生活が良いらしい。 空港に着いた頃、車のウインド・スクリーンにぽつぽつと雨粒が当たる。 本降りになる様子はないが、今年初めての雨らしい。 運転手が感慨深げに呟いていた。
空空港の待合室で、さらに2時間近く、ドバイ行きの飛行機を待つ。 ちらほら人が集まってくる。 今日も東南アジア系の女性が多い。 サウジに入る時も、同じことを感じた。 彼女たちは、サウジの上流階級の家で住み込みで働いているらしい。 問題もあるらしい。 中には人権を無視したような使用人待遇に耐えられなく、契約期間半ばで帰国する人が少なくないとも聞く。 それにしても、この空港は殺風景だ。 Duty
Free Shop も普通の店も無い。 スナックと飲み物スタンドが 2,3ヶ所あるだけなのである。 出発便のアナウンスもない。 時間になると、ゲートが開き、乗客は自主的にゲートに向う。 所々、床に絨緞を敷き詰めた場所がある。 お祈りの場所である。 13番ゲートでエミレーツ航空
EK818便を待っている間に、2回お祈りをしている場面を見た。 彼等の敬虔な神への信仰心は、厳しい自然と社会環境で長い時間を掛けて培われた神聖なものであるに違いなく、豊かな自然に恵まれ外的侵略を受けず八百万の神々を崇めてきた我々には一種近寄りがたさを感じるのは私だけだろうか。

Dubai Airport: Duty Free Shop, 高級ブテイック、トランジットホテルが完備する
30/Oct/'02 林蔵@Riyadh Saudi Arabia (Updated on 26/Apr/'08)#127
|