Saee Park @Sep/'07 Tehran, Iran Saee公園の東斜面の一部にある野外無料ジムコーナー: 早朝から体を動かす人々で多くの器具は忙しい 此処はテヘランの街中だろうか 確かに感じる。 この森に一歩踏み入れると、冷気を。 テヘラン、午前6時。 ようやく東の空に太陽が顔を出す。 9月も半ばを過ぎ真夏の暑さはないと言えども、一日中Tシャツ一枚で過ごせるこの頃である。 南北にながいながい緩やかな坂を為すテヘランの目抜き通りバリヤス通りと、カリード・エスランボリ通りに挟まれた谷地全体が広大な緑に覆われている。 Saee公園だ。 東斜面は松林、西斜面はプラタナスの林を主体とする様々な樹齢40-50年の樹木で覆われている。
イランの首都テヘランにやってきた。 遠くアレキサンダー大王の時代から、ペルシャとして強大な帝国を築いた国である。 アレキサンダーがことごとく破壊し尽くしたと言う、アケメネス朝ダリウスⅢ世の都、豪華絢爛のペレスポリスの遺跡は、今尚訪れる人々を魅了する。 その遺跡には、当事世界中からの貢物が運ばれる様子を彫った石画が、今尚見られる。 そこには、ガンダーラ(現在のパキスタン)からの使者の姿もみることができるそうだ。 ガンダーラは東洋仏教が成熟した土地、そんな土地からも遣者が送られたアケメネス朝の都を、是非この目で見たいものである。 今回の滞在は短く、しかもテヘランに留まる日程である。 残念ながら広い国土に散らばる人類の遺産をみることはできない。
ドバイ経由でテヘランに到着した。 夕方の到着で、空港から予約してあったホテルへ向かうテヘランの街は眩しいばかりに輝いていた。 世界を代表する大都市のひとつであることを実感する。 ホテルはテヘランの目抜き通り、テヘランを東西に分けて走る長いバリヤス通りのほぼ中ほどに位置する。 こじんまりしたプチホテル風だ。 それでも4っ星のマークがある。 小さいながらも地下にはレストランと会議室にジムも備わっている。 とても便利の良い場所にある。 だが、ダウンタウンには遠い。 ダウンタウンのグランバザール等に特に興味のある筆者には、逆に不便かもしれない。
今はイスラムの断食月、ラマダンが既に始まっている。 日の出から日の入り迄、飲食を含む全ての欲望を絶たなければならない。 非モスリムの我々は、この戒律に従う必要はないが、断食をしている人達に無用な刺激を与えない為にも、多少の礼儀はわきまえなければならない。 勿論、飲食店は日の出から日のいり迄、全て閉まっている。 幸い、投宿しているホテルは朝食も普段通り(10時迄)サーブしてくれるだけでなく、昼時も食事をサーブしれくれるので大変助かる。
翌日、何時もの時間6時に起床、運動着姿でホテルの外に出た。 ホテルの前のバリヤス通りは数kmに渡り長い緩やかな下り坂になっている。 テヘランは、北に峰峰を連ねるアルボルズ山脈やエルブール山脈の南麓に広がる坂の街である。 バリヤス通りを上ってみた。 200mも歩くと右側に広大な緑地が谷になって広がる。 丁度一つ東側の通りカリード・エスランボリ通りに囲まれた谷地全体が公園になっている様子だ。
更に翌日、公園の中に入ってみた。 谷の稜線には幾筋もの散歩道が施されていて、多くの老若男女がジョギングやウオークを楽しんでいる。 少し変わっているのは女性の服装だろうか。 歩いている女性もジョッギングをしている女性も、一様に膝までの身にぴったりのハーフコートのようなのを羽織っている。 これは街を歩く姿と寸分違わない。 色は黒が圧倒的、中にはベージュやブルーのも見かける。 頭部は一様にスカーフを浅く被っている。 今はラマダンの時期、彼ら彼女達は朝の運動の後、水を飲まないのだろうか? とても気になる。 水分を取らないでは、日の入りの時間迄とても我慢ができないのではなかろうか? その疑問は暫くすると何となく解けたような気がする。 事務所に行くと、殆どのスタッフが、就業中、お茶を飲んでいるではないか。 昨年の4月迄滞在したヨルダンとは何と違うことだろう。 女性のスカーフの被り方も随分違う。 ヨルダンでは被らない女性もいたが、被っている女性は例外なく髪の毛1本出さずにぴったりと被っていたと覚えている。 ところが、ここでは例外なくスカーフを被っているが、その被り方が大変ルーズに見える。 髪の毛1本どころか、前髪を殆ど出して被っている女性が殆どだ。 街の飲食店は昼間は閉まっているのは、ヨルダンと同じだ。 違いと言えば、派手な電飾は、アパートや家々、そして商店にも一切ない。
ホテル住まいでは食事は外食に頼らざるを得ない。 夕食は、断食の終わる6時半にホテルを出て、レストランを物色する。 そう遠くには行けないので、ホテルのル前のバリアス通りのレストランと言うことになる。 29年前、当国にいた頃、チェロキャバブ(ご飯に羊肉のミンチを焼いたものをバターと共に乗せる料理、それに生玉葱を半分と焼きトマトが付く)を良く食していたのを思い出し、チェロキャバブのメニューがあるレストランを探して歩いた。 バリヤス通りを30分程度ゆっくりと登った処に半地下のレストランでチェロキャバブを出してくれると言う。 小さなレストランである。 テーブルが4卓ばかり、少し乱雑に並んでいる。 土地のカップルが2組既に食事を楽しんでいた。 レジで ”中国人、それとも韓国人?” と何語かわからない(多分の土地の言葉ファルシー)言葉で聞かれた。 ”日本人(ジャポン)” だと答えると、愛想を良くしてくれる。 多分、日本人の客等来たことがないに違いない。 単に珍しがられたのだろうか。 それとも、一時期、日本に多く居た当国人の誰かから、日本のことを聞いていたのだろうか。 そう言えば、果物屋でやはり、同じ質問を多分ファルシー(ペルシャ語)で受けた。 そして同じように日本人(ジャポン)と答えた。 その後に、彼は空かさず言った、「アメリカは好きか嫌いか?」、即座にに答えてやった、「嫌いだ」と。 すると、途端に表情を柔らげ、握手を求めてきた。 片言の日本語(?)で「ナガサキ、ヒロシマ」と言ってきた。 恐らく、「アメリカは長崎やヒロシマに原爆を落として、多くの日本人を殺した、酷い国だよな。」とでも言いたかったのだろうか。
夕食の帰り、夜公園の傍を通った。 広い公園内は、照明が明るく点されていて、やはり大勢の市民で溢れている。 筆者もつられて公園内に入った。 公園の底、北端には小さな遊園地とレストランも設置され、夜はは多くに客で賑わっている。 噴水は7色に変化し、夜の照明に照らされた公園の歩道は実にロマンチックである。 昼間は分からなかったローラースケート場もある。 どう言う訳かローラースケートをしているのは、若い女性ばかり。 やはり、朝のジョギング等と同じ膝までのハーフコートのような姿は夜も変わらない。 歩道に適度におかれたベンチでは若いカップルが他愛もないい話題に花を咲かす。 何処の国にも見られる光景にこの国の柔らかさを感じる。
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