サナ
世界遺産@Jun/'06 Sanaa, Yemen
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カフェの前、路上でお茶を楽しむイエメンの男達
腰に巻いた飾りベルトと立派な腹刺し(?)が特徴
[世界遺産 Old city of Sana'a 文化遺産 1986年登録] サヌア(?an‘?’、サナアとも)(アラビア語: ?????)は、アラビア半島南西にあるイエメンの首都である。サヌアは最も高い所で標高3,760mもの高原にあり、モンスーンの影響を受け、雨量も多い。市内には粘土で作った煉瓦造りの建物があり、アラブ文化が色濃く残っている。イスラムの都市であり、市内にはムスリム大学やモスクが数多く見受けられる。人口1,303,000人(2000年)。 旧市街地は世界遺産に登録されている。 (Wikipediaより)
標高2225m、イエメンの首都サナに到着した。 標高が高いせいであまり気温は高くない。 24度程度なので過ごし易い。 ヨルダンのアンマンに似ている。 今が雨季らしい。 雨季と言っても日本の雨季とは雲泥の差で、日本の関東の冬程も雨は降らない。 歴史的にはシバの女王で知られる土地だが、今回は2日間と言う超短期日程の訪問なので、残念ながら名所旧跡を訪れる暇はない。
地理的にはさほど遠くない土地であるが、関空、ドバイと2回の乗り継ぎで随分と遠くに感じる。 羽田を20:40に発ち、関空でJALとEmiratesの共同運航便に乗り継ぐ。 関空発は夜中の23:15。 夜行便なので、お気に入りの窓側の席で外を眺める楽しみは今回はお預けである。 どう言う訳かこの便は殆ど満席である。 現地では時差ぼけも調整できないまま、いきなり仕事で直ぐ又次の仕事場に移動しなければならない。 機内では良く寝むれないが無理やりうたた寝に努める。 なんとつまらない。
ドバイでは、乗り継ぎの飛行機便の都合で7時間の時間待ちである。 荷物を一旦出すことにしたので、外に出なくてはならない。 外に出てしまうと、チェック・イン カウンターには出発の2時間前にしか入れない。 丁度フランクフルト空港の第2ターミナルのようなマックがあるフード・コーナーが階上にある。 此処で3時間余りの時間を過ごす。 売店でテレフォンカードを20デラハム(700円)で購入、日本の家に電話してみる。
ようやく、サナ行きのカウンターが開く時間になった。 ドバイの空港は、チェック・イン カウンターへ入るゲートは5ヶ所あって、出発便により、ゲートが指定される。 しかもゲートは出発時間の2時間程度前にならないと開かないのである。 7時間も乗り継ぎ時間がある場合で一旦外に出てしまうと、至極不便なのだ。 荷物は出さずにスルーでトランジットにして置けば良かった等と思うのは、後の祭りである。
パスポート・コントロールを過ぎ出発ロビーに入ったが、エコノミーの航空券なので空港ラウンジは使用できない。 諦めていたら、ダイナース・ラウンジが目にとまった。 ダイナースの会員であることを思い出す。 成田のダイナース・ラウンジより立派なラウンジが用意されていた。 流石に外国ではダイナース会員になれる人種は違うと言うことを、初めて実感した。 インターネット接続も無料である。 メールをチェック、髭をそり、さっぱりした気分でサナ行きのフライトに乗り込んだ。
サナには直行便と思いきや、降り立ったのは、海に面したアデン空港だった。 そんなアナウンスは搭乗時に全く無かった。 そう言えばアデンの空港には遠い昔の思い出がある。 ザンビア滞在中、母が亡くなり、当時4歳の息子を連れ家族で帰国の途中、ナイロビからボンベイ行きのエアー・インデイア便がアデン経由だったのである。 ナイロビでエンジン・トラブルで半日待った後のフライトで、アデン空港に着陸した際、乗客が一斉に拍手したのを何故か鮮明に覚えている。
アデンからサナへは1時間足らずの飛行である。 東京ー大阪間より短い。 眼下には乾燥した赤茶けた大地が連なる。 そう言えば、飛行中テレビの画面に他の飛行便では観たことの無い表示が現れる。 飛行機を上から見た図に大きな矢印が入る。 所謂、メッカの方向を示す矢印である。 飛行中も敬虔なイスラム教徒は時間になるとお祈りを欠かさない。 その為の方向案内があるのは、流石中東のフライトならではだ。
サナは古い街である、 乾燥した土地で建材にはあまり恵まれていないのか
土壁の建物が多い、 この高い城壁も厚い土壁で建造されている
ターマックから空港ビルへのアクセスはバス移動である。 既に6月だが、中東にしては涼しい。 やはり2200メートルの高度のせいであろうか。 バゲージ・クレームでスーツケースを回収し、カスタムズを出ると、現地エージェントの息子だと言う若い好青年が出迎えに来ていた。 車はトヨタのレクサス、ここでは大変な高級車である。 エージェントのマリック氏は運送業等手広く商売を行っているらしい。 当日は国内の別の場所で仕事だったらしく、息子の携帯電話を通じて出迎えに行けない旨詫びてきた。
宿舎のヒルトンは街の東側山手にある。 空港から車で30分程度の道のりだ。 高い塀で囲まれたホテルの敷地内だけが緑の楽園を呈す。 ゲートから玄関の車寄せ迄は2重の頑丈な鉄製バーと自動小銃を持った警備兵士で厳重に守られている。 ヨルダンで昨年高級ホテル4軒が同時爆弾テロで大きな被害を受けたあおりだろうか。
どの建物にも美しい窓の装飾が施されている
ラグ屋通りの一角
サナの建物の特徴は、外壁、窓の周りの装飾にある。 どの建物も美しい装飾模様で見事に飾り立てられている。 翌日、早速仕事場であるイエメン・テレコムの衛星地球局を訪れる。 時代の趨勢で今や国際通信の主役は光ケーブルに取って変わられ、衛星通信はテレビと特殊通信へ追いやられた感じであるが、ここイエメンでは、今尚立派に国際通信を担っていた。 エアー・コンの効いた局内には通信機器が整然と並び、24時間、365日途絶えることなく国際通信路を支えている。 忘れかけていた通信機器サプライヤーとしての使命と誇りを呼び戻された。
モスクと建物の窓の装飾が良くマッチして美しい景観を醸し出す街並
衛星通信局の勤務時間は7時から2時である。 我々も一旦2時に宿舎のホテルに戻り、当日の夜9時に改めて出直すことにした。 今回のメインの仕事は回線断を伴うので、回線使用率の最も少ない時間帯を見計らい、関係国に予め回線断になることを通知した上で夜間に作業が行われる。
2時に帰り、夜の9時に出直すのである。 その間、暗くなる前の時間をみて街を散歩してみた。 当ても無くホテルを出る。 市場に行くのが最もその土地を知るには適している。 市場は人の集まるところだ。 生活の様が集約されているのである。 市場(スーク)は大きなモスクの近くにある筈だ。 モスクの尖塔(ミナレット)を目印に街を歩く。 どうやら、其れらしき場所に来たようだ。 おびただしい人と物が入り乱れる場所。 活気に満ち溢れている場所。 人々は生気に溢れている。 こんな風景に溶け込むのがなんとも楽しいのである。
活気に溢れるスーク(市場)街
干し葡萄屋の前にきた。 誠実そうな少年が店番をしている。 英語は喋らないが、商品の干し葡萄を一つまみ我々に差し出してくれる。 味見をしろと言うのである。 一粒口に入れてみた。 旨い。 幾らだと聞くと、2-3合程入りそうな木製の枡を手にして、種類の違う山毎に値段を片言の英語で答えてくれる。 巨峰みたいなのが1枡500イエメン・リアル(約350円)、白葡萄が400イエメン・リアル(約280円)、赤葡萄が300イエメン・リアル(約210円)だという。 白葡萄を1枡400イエメン・リアルで買った。 本当は値段交渉をするべきだが、ここは言い値で買うことにした。 其の分、写真を撮らせて頂いた。
干し葡萄売りの少年
種類により値段が違う、巨峰:1枡500AR(350円)、白葡萄:1枡400YR(280円)、赤葡萄:1枡300YR(210円)
シェラトン・サナは古いが格式のあるホテルだ。 山手の谷間に位置しており、車寄せのあるロビー階は6階になっている。 裏手が急斜面になっていて、1階部分が谷間になり、ガーデン、プール、ジム、レストランがある。 インターネットはブロード・バンドが部屋とロビー階で無線、有線で利用できる。 1時間1200イエメン・リアル(約850円)、若干割高であるが、このサービスはありがたい。
宿舎のシェラトン・サナ
古いが立派なホテル、急斜面に建設されており6階が車寄せロビー
シェラトンの庭は広大で人口の緑が豊に茂りプールが備わる、外とは別世界が広がる
5/Jun/'06 林蔵 @Sanaa Yemen, (Updated on 13/Sep/'08)#223