シリア再訪
世界遺産@Nov/'04 Damascus, Syria


マルシェ広場角のシュワルマ屋のおやじ: シュワルマと大ジョッキーのグレープフルーツジュースが70円


[世界遺産: Ancient City of Damscus, 文化遺産、1979年登録] エジプト、メソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要衝の地として、 紀元前3000年ごろから形成された都市。中東でも最古の都市の1つである。バラダ川の南側にあるダマスカス旧市街(Old Damascus)は、城壁に囲まれた歴史のある地域である。この城壁は、1世紀頃、ローマが最初に建設したと言われている。 2004年現在残っているものは、13世紀から14世紀にかけて、十字軍やモンゴル帝国の侵略を防ぐために、アラブ人が建築したものである。 城壁には、7つの門が残っている。旧市街地は、狭い入り組んだ道になっているが、東西に走る真っ直ぐな道(Straight Street)は、 新約聖書にも登場している。旧市街にあるスーク(市場)・ハメデイーアは現在でも世界一の規模と喧騒を誇る。 世界最古のモスクといわれる、ウマイヤド・モスクも旧市街地にある。 エジプトとメソポタミアを結ぶ交通の要衝であり、紀元前3000年ごろから都市が形成しはじめたと考えられている。 アレキサンダー大王の東征以後は、ギリシャ、ローマ帝国の支配下に置かれる。 635年、アラブ人が侵入。661年から750年まで、ウマイヤ朝の首都として栄える。1946年、シリアの首都となる。(Wikipediaより)



イード休暇、イスラムのラマダン(断食月)が明けのお祭り、丁度日本のお正月のような時期である。 今年(2004年)のヨルダンのラマダンは10月15日に始まり11月13日に終わった。 イード休暇は通常3日間と決まっている。 そんな訳で11月14日から16日間の3日間公休となった。 その公休を利用して隣国シリア旅行に出かけた。 今回は仲間6名の御一行で、主な目的はシリアで活躍中の同期の仲間にお会いすること、そしてショッピング。 シリアの物価はめっぽう安いのである。 しかもエスニックな品物が古いスーク(アラブ風市場)にごっそりある。 自然と購買意識が沸いてくると言うものである。 ショッピングは我々外国で長く住んでいる者に取って一つの大切なストレス解消方でもあるのだ。 因みにラマダンの開始日と終わる日は同じイスラムの国でも、国に依って変わる。 例えば、今回の終わりの日は当国、ヨルダンでは11月13日であったが、サウジアラビアや湾岸諸国は1日早い11月12日に終わっている。 開始日と終了日は、その国で月を観察している回教の偉い聖職者が肉眼で月の状態を見て決めるのである。 従って始まりも終わりも、その日にならなければ判らない。 この科学万能の世の中で、実に曖昧で神秘的であり、人間味のある社会規範の強さに驚きと敬意を感じる。



旧市街のハメデイアスーク: 今日はラマダン明けの休みで閉まっている店が多いが人出は凄い


アンマン - ダマスカス間の交通手段はタクシーを使うことにした。 バス便もあるが時間の自由が効き、座席もゆったりできると思うのがタクシー選択の理由だ。 値段はバスなら片道一人5DJ、専用タクシーだと片道一人約10JDである。 6月に利用したタクシー会社に電話して予約をした。 14日の朝9時にスエヒーヤのマクドナルドの前に来て貰う約束をした。 電話だけで大丈夫だろうか。 少し心配であったが、当日マックの前で6人揃って待っていると、少し遅れたが見覚えのあるシボレーの大型クルーザーが米国車独特のエンジン音をさせてやってきた。 やれやれ一安心である。 



マルシェ広場:正面が泊まったホテル、オマール・アル・カヤーム



シボレーのクルーザーは途中ザルカで一回給油ストップし、順調に国境にやって来た。 流石に米国車である。 居住性は抜群に良い。 国境ではイミグレーションで公用パスポートを見せると出国税が免除される。 これは一種の役得だろうか。 因みにシリアへの入国ビザの取得も公用パスポート保持者は無料なのである。 こんな処で公用パスポートが威力を発揮するとは一寸した発見である。 シリア入国もすんなり行き、シボレーのクルーザーは再びハイウエーをダマスカスへ向けてひた走る。 途中運転手に言われたのだが、このクルーザーはダマスカス街中には行けないので、ダマスカスの郊外でシリアのマイクロバスに乗り換えて我々のホテル迄送ってくれるとのことである。 ダマスカス郊外のタクシー中継点(単なる道路脇)でかなりくたびれたマイクロバスに乗り継ぐ。 



国立歴史博物館 



オマール・アル・カイヤームと我々の投宿先のホテル名を英語のしゃべれないシリア側の運転手に告げる。 マイクロバスは直ぐ街の中心部迄来た。 狭い路地を入り、何やら怪しげな東南アジア風の装飾を施した、木々に覆われた門を潜りホテルらしきドアーのあるレストランのような建物の前の狭い場所に止まった。 我々のホテルはここだと運転手は言う。 どうも違う気がする。 オマール・アル・カイヤームの看板は無い。 カヤムと言う看板がアラビア語で読み取れるが。 運転手に通じない英語とアラビア語で確認する。 私達の泊まるホテルはマルシェ広場に在る筈である。 マルシェ広場と言うキーワードが運転手に判ったらしい。 運転手は点頭し、再び車に乗れとジェスチャーで示す。 そこから然程遠くない場所がマルシェ広場で、我々の投宿するホテルであるオマール・アル・カイヤームも直に判った。 マルシェ広場に面したコーナーにある、すこぶる便利の良い場所である。




歴史博物館庭



オマール・アル・カイヤーム、何処かで以前聞いたことがある語感である。 予約する時点では気が付かなかったが、ここに来て思い出した。 イランの高名な詩人の名前だ。 酒と女を題材にした彼の詩集を、1977年にイランに10ヶ月出張した際、帰国時に客先から頂いたのである。 現在のイランはイスラム国で原則お酒は飲めないが、その昔ペルシャとして栄えていた頃、酒と女は当時の一般的な風俗であったのであろう。 早速ホテルにチェックインした。 一部屋60ドルとのことであった。 場所と建物を見る限りその価値は在りそうである。 部屋に案内される。 部屋を見て少しがっかり。 設備は古く老朽化が進んでいる、しかも狭い。 まー、ラマダン開け休暇の時期である、この値段で我慢せざるを得まい。 実は予約時点で多くのホテルで満室御礼と言われたのである。 この時期5部屋取れただけでも良しとすべきか。




歴史博物館庭



チェックインを済ませ、荷物を部屋に運んだ後、先ずは当地で活動する同期の仲間に連絡である。 電話連絡が付いた。 挨拶もそこそこに早速今晩と明日の夕食会の約束をした。 そして直ぐ街に繰り出したのである。 成るほど、このホテルはダマスカスの正に中心部にあるマルシェ広場の一角にあるのだ。 マルシェ広場、フランス語のマーケットから来た地名であろう。 そう言えば、シリアでは今だに微かなフランス語の匂いがそこかしこに漂っているのである。 隣国レバノンではフランス語が国語であるが、その影響があるのだろうか。 マルシェ広場は名の通り、その広場から旧市街に掛けての一帯が市場になっている。 生きた様々な食材や、衣料品、雑貨が庶民のレベルで居並ぶ下町を装う一角である。 マルシェ広場には噴水もあり水が流れる川もある。 またここには死刑囚のさらし首が刑執行の翌日には置かれると言う話しを聞いたがそれは本当なのだろうか。




歴史博物館展示


既に昼の時間はとっくに過ぎているが未だ昼食を取って居なかった。 早速マルシェ広場の角にあるシュワルマ(羊又は鶏の焼肉を薄く削ぎ薄いパンで包んだアラブ風サンドイッチ)を屋に入った、と言うか店先の粗末な椅子に座った。 テールル等無い、粗末な椅子が5脚在るだけだ。 シュワルマ1本とグレープフルーツの生ジュースが50シリアポンド(約100円)。 ジュースの量の多いこと。 大ジョッキー程のグラスに並々と注いでくれる。 これは旨い。 腹が満たされれば幸せな気分に成るのは人間の自然な姿だ。 100円で幸せに成れるのである。 これは安い。




歴史博物館庭



今日がラマダン明けの休み初日である。 日本ではさしずめ元旦と言う日であろう。 閉まっている店も多い。 未だ夕食の約束の時間迄は随分時間がある。 少し散歩をしよう。 先ずアガサ・クリスチーンの小説に出てくるオリエント急行が発着したヒジャージ駅へ歩く。 5分と掛からない。 内部の木製の装飾が非常に緻密な細工でその造形美を誇る。 かってのプラット・フォームは現在リノーベンション中である。  一大ショッピング・モールになる完成モデルが脇に置いてあった。




ヒジャージ駅夜景


そして旧市街にある世界的に有名なハメデイア・スーク(市場)へ向かう。 このスークはドーム状の高い天井で覆われているのが特徴だ。 比較的真直ぐ伸びるかなり広い通りの両側に専門店がびっしりと並んでいるのである。 ここは年中人で埋め尽くされる。 閉まっている店が多いが人は相変わらず多い。 スークの奥の出口はオスマン・トルコ時代のイスラム建築の粋が見られるウマイヤード・モスク前広場になっている。 モスクへ出かける人々で混雑しているのだろうか。 スークの大通りから直角に伸びる狭い路地にも無数の店舗がひしめく(今日は閉まっている店が多いが)のである。 こう言う、一見まとまりのない雑然とした場所は飽きることが無い。 期待と驚きに満ちた空間なのである。 何度迷いこんでも面白いと思うのは私だけだろうか。 



ウマイヤードモスク内部: 今回は靴を履いたまま中に入っても良かった



夕食は当地の同期の方が、ダマスカスでは味のしっかりした中華レストラン“金竜”を手配してくれた。 “金竜”はこれまた我々のホテルから、直ぐ近くの一等地にある4星ホテル ”セミラミス” の最上階にある高級レストランである。 久しぶりに仲間と顔を合わせ、歓談を楽しみながらの食事は旨い。 ヨルダンで活動中の同期のT氏一家も別行動であるが、同時期ダマスカス入りしている。 電話がホテルに掛かってきた。 翌日は一緒に行動をしようと言うことである。 願ってもないお誘いである。 実はT氏はダマスカスに以前長く居たことがあり、ダマスは我が庭のようなものなのである。 隅々迄勝手知ったるT氏の同行は千人力を得たが如く勇気付けられる。

翌朝、ホテル前でT氏と合流。 前回も行ったが、何度行っても興味の尽きない国立歴史博物館へ全員で行った。 T氏は考古学にも造詣が深く、展示物の説明を絶妙なタイミングで行ってくれるので、これは10倍博物館を楽しんだ気分になる。 シリアには世界の考古学者の目が疎く、お宝級の遺物がごろごろして居るらしい。 考えて見れば聖書の時代からの現物遺跡が残る国である。 興味が尽きないのは当然であろう。 アルファベットの元になったウガリット文字は、今回T氏の説明のお陰でしっかりと拝むことができた。 その他、世界最古のユダヤ教協会シナゴーグ等、お宝はごまんと在る。




真直ぐな道スーク: この道をキリスト教最大の思想家伝道師となるパウロが歩いた



そして次は旧市街にあるもう一つのスーク、“真直な道スーク” へ行く。 ここはキリスト教最大の思想家伝道者であるパウロがキリスト教に改宗した場所でもある。 キリキア地方(今のトルコ南部)のユダヤ人テント職人だったパウロが商路の旅で、ダマスカスへの途中キリスト復活を幻の中に見て失明。 この“真直な道”を歩いていた時、キリストの使徒の一人であるアナニアと言う者がパウロの為に祈ると、目から鱗のようなものが取れて再び目が見えるようになったと言う。  “目から鱗” と言うことわざはこの史実から来た言葉らしい。 “真直な道スーク” は入り口から約半分はモスリム地域、後半分の部分はキリスト教地域になっている。 キリスト教地区には現在、聖アナニア協会が建っており、キリスト教徒の大事な聖地の一つになっている。 キリスト教徒の巡礼地或いは観光地になっているのである。 おっと、歴史博物館で随分時間を取ってしまったので、またしても昼食の時間を逃してしまった。 この日の夕食は、ダマスカスを一望に見下ろすカシオン山での食事を、昨夜とは別の同期の者と一緒にする予定になっているのである。 遅い昼食でお中を大きくする訳にはいかない。 やはりシュワルマにしよう。 そんな場合に打って付のシュワルマ屋をT氏は勿論熟知しているのである。 ウマイヤードモスクの傍にある超人気のシュワルマ屋に落ち着いた。 やはりテーブル等無い、椅子が通りに面して並べてあるだけ。 そこに座り、手に持ったシュワルマをほうばる。 人がぞろぞろ歩く通りで食べるので衛生上は余りよくないかも知れぬが、郷に入れば郷に従えである。




旧市街、ウマイヤードモスク裏手にある超人気のシュワルマ屋


夕方、ホテルから歩いて待ち合わせ場所であるチャム・パレス・ホテルに向かう。 此方で活動している同期と落ち合い、タクシーでカシオン山山頂へ向かう。 カシオン山に登ると帰りのタクシーが無い。 タクシーはレストランの外で待って貰わなくてはならないのだ。 山頂の直ぐ下にレストラン街が道沿いに細長く延びている。 ここからの眺めが実に素晴らしい。 ダマスカスの街が一望できるのである。 特に夜景は天上の気分を味わえる。 1000のミナレットが輝く4000年の歴史を誇る古い街を見下ろしながらの食事はこの上ない贅沢の一つに違いない。 13人の多人数である。 この仲間の多さも極上の贅沢である。 日本から遠く離れた歴史深い街で大勢の日本人と一緒に100万ドルの夜景を肴におしゃべりと食事程粋なことも少なかろう。




カシオン山から見下ろすダマスカスの街: 
夜ともなると街は光の海と化す、千を越す数のモスクがブルーの光でアクセントをつける
さながら夜間飛行の窓から見る景色だ



もうシリアともお別れである。 ホテルの朝食の後、チェックアウト。 タクシーの予約時間は11時半だ。 それまで、又昨日と同じコースを最後のショッピングに出かける。 もー値切り方は皆すっかり板に付いた様子。 テーブル・クロスやアルギーラ(水タバコ用の大きな器具)等をしっかり値切交渉して上手に手に入れた。 これで今回の目的の一つであったショッピングも全うすることができた訳である。 一つ心配はアンマンへの帰りのタクシーである。 本当に11時半にホテル前に来るのだろうか。 一抹の心配をしながらショッピングを終えホテルに戻ると、見知らぬ、余り身なりの良くない男性が “サイーダ・イキダ(ミスター池田)?” と話しかけてきた。 この男が運転手だろうか。 どうもそうらしい。 相当年代物のワン・ボックス・カーがホテルの前に停まっている。 どうもこれで途中の乗り継ぎ地点迄行くのだと言っているらしい。 5人はくたびれたワン・ボックス・カーに荷物を詰め込み乗り込んだ。 ワン・ボックス・カーは市街を抜け郊外へひた走る。 以外にスピードが出る。 何処まで行くのだろうか。 初めての経験なので何処でヨルダンからの大型タクシー(クルーザー)に乗り換えるのか判らない。 運転手は英語が全くできない。 どうもKisweと言う街で乗り換えるらしい。 30分位郊外のハイウエーを走った後、道端のタクシー会社乗り継ぎ事務所に到着した。 そこには見覚えのある一昨日シリアに入った際のシボレーの大型クルーザーが停まっていた。

乗り換え事務所ではアラビック・シャイ(甘いアラブ風お茶)を戴く。 お茶を運んでくるのは、勿論男性使用人である。 大型クルーザーに乗り換える。 運転手もヨルダン人に変わる。 運転手がアラビックで昼飯はどうする?と聞いてくる。 食べる、と答えると、直ぐ近くに土産物売り場を兼ねたドライブ・インに入った。 このようなドライブ・インはここしか無い。 ここを過ぎると国境迄何も無いのである。 季節の果物等ヨルダンに比べて相当安い値段で購入できる。 小さなレストランも併設されているが、この日はラマダン明け休暇でお休みであった。 広い駐車場の片隅にサンドイッチ屋が営業していた。 他の車の運転手や土産物屋の者が軽食を取っていた。 野菜サンドイッチをオヤジに注文した。 店内は狭く5人分のプラステイックの椅子だけがある。 例によってサンドイッチ屋にはテーブルは無い。 先客で居た土地の人達が我々の為に椅子を空けてくれた。 暫く待って野菜サンドイッチとミランダを貰い店内でほうばる。 35シリア・ポンド(70円)の昼食は以外に旨い。 




旧市街の路地にあるトルコ風呂入り口



国境での荷物検査も簡単に済みヨルダン領に入ってからである、問題が発生したのは。 シボレーの大型クルーザーが突然ハイウエーで停まってしまった。 どうしたのだろう、故障だろうか。 ガソリンが無いと運転手が言う。 一瞬わが耳を疑った。 嘘だろう、タクシー会社のプロの運転手である。 ガソリンのチェックをせずに走る訳が無い。 だが本当らしい。 こんなところで嘘をついても始まらないだろう。 運転手はハイウエーを走っている仲間のタクシーを捕まえて、一番近い隣街、10km程先にザルカ迄ガソリンを買いに行った。 運転手がガソリンを持って帰って来るまで我々5人は土漠のど真ん中で立ち往生である。 約2時間後、運転手は小さなポリタンクにガソリンを入れて別のタクシーで戻ってきた。 僅かのガソリンを燃料タンクに入れたが、シボレーの大型クルーザーの8000 ccの巨大なエンジンは始動しない。 皆でクルーザーを押して路肩に斜めに車体を傾けてガソリンが廻り易い姿勢にしてみたが、やはりエンジンは始動する気配が無い。 暫く放置した後、イグニッションキーを廻すと幸運にもシボレーの巨大なエンジンが息を吹き返したのである。 やれやれ、これでアンマンに帰ることが出来そうだ。 ザルカ迄ハザード・ランプを点灯させて経済速度でゆっくり路肩を走り、何とかガソリン・スタンド迄やって来ることができた。 ガソリンを満タンにした後はアンマン迄順調なドライブであった。 まー、之も後で思えば楽しい思い出の一つになることであろう。




帰路、ガス欠でハイウエーの途中で立ち往生






Nov/'04 林蔵 @Damascus Syria (Updated on 7/Jul/'08)#185

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