ウム・カイス
@Feb/'06 Um Quais, Jordan


ウム・カイス遺跡から見るチベリアス湖とゴラン高原: 此処は古の昔から最重要戦略地点の一つ
(手前の谷底にはヤルムーク川が流れる)



ローマ帝国がシリア属州の統治の為に建設した10の都市、つまりデカポリスの一つである。 デカポリスの多くは現在のヨルダン領内に存在する。 今回は其の内、ペラとウム・カイスを訪れた。 全ての道はローマに通ずで、このデカポリスもマイル・ストーンが立てられた一律規定の軍用兼産業観光道路でローマと結ばれている。 今は春。 ヨルダンの短い春に咲き競う野花を見るピクニックを兼ねて出かけた。 大型観光バス1台借り切りの大勢である。 


 
海抜0m標識
バスはこれから更に400m下り、地底の世界、ヨルダン渓谷へ向かう



集合は7時55分、事務所前だ。 アパートを7時10分に出た。 今日も徒歩で行こう。 40分もあれば着ける筈である。 天候まあまり芳しくない。 途中で雨になった。 土砂降りではない。 そぼぬれるままに早足で歩いた。 それでも、事務所前に到着したのは、7時55分を少し廻っていた。 雨であるので、皆既に国営JETT社の大型観光バスに乗り込んでいる。 バスに近ずくと、ドアーが自動的に開いた。 ステップを登ると、馴染みの面々の顔が見える。 元気に朝の挨拶を交わし、空いている後部座席に身を沈めた。 雨模様ではあったが、早足で歩いてきたので、身体は汗ばんでいる。 負荷を掛けた身体の動きを止めると、どっと汗が吹き出る。 暑い。 



国営バス会社JETT社のバス



雨模様の中、バスは事務所前を出発した。 空港道路を南に走り、死海へ下る道にコースを取る。 今回のバスツアーにはガイドが付いている。 11月の連続爆弾テロ以来、外国人の団体ツアーにはガイドが義務付けられたそうだ。 ガイドは国営バス会社ベテランのアブ・ローミ氏だ。 歳のころは50歳くらいだろうか。 ゆっくりした綺麗な英語でガイドしてくれる。 ヨルダンの歴史や文化、風土を織り交ぜての説明はありがたい。 ヨルダン渓谷は冬でも暖かく、夏は猛烈に暑い。 それなのにナツメヤシが取れないのは何故か、之までずっと疑問だった。 彼の説明でやっと疑問が解けた。 ナツメヤシは塩分を含んだ土地が苦手だと言うことである。 ヨルダン渓谷の土地は塩分が多く、ナツメヤシを始め普通の植物が育たないのだそうだ。 

ヨルダン渓谷に下る途中に海抜0mの標識がある。 これは、34年前にもあったものだ。 今回の滞在では初めて見る。 死海の海抜表示が-398mになっている。 これは34年前の表記そのままだ。 今は様々な原因で水位はー401mに下がっている。 


 
ローマ帝国のシリア属州統治の為に建設された10の拠点、デカポリス
の一つ、Pella遺跡: 泉の湧き出る谷間に建設されている
(丘の上にある国営休憩所の駐車場から見下ろす)
 


ヨルダン渓谷(渓谷とは言え、20-30kmの幅を持つ広い谷である。)の底に到達。 ここから広い谷間を一路北に向けて走る。 ヨルダン渓谷は塩分が多いとは言え、様々な果樹や野菜等で一面緑が覆う豊かな土地である。 対岸、ウエスト・バンクは2km先に見えるが、イスラエルに占領されたままだ。 その占領地パレスチナで最近行われた選挙で、イスラエルや米国がテロ集団とレッテルを貼ったハマスが圧勝した。 パレスチナ評議会(国会に相当する)ではハマスが実権を握ることになる。 イスラエルや米国の態度が硬化するのが大よその見方だが、そうあって欲しくないと切に思う。 

途中、カラマと言う小さな街を通過する。 この街は1957年のイスラエル軍がヨルダン川を越え東岸に攻め込んで来た際、街ぐるみで抗戦し、イスラエル軍を西岸に押し戻した歴史を持つ街だ。 今でも、戦勝記念日には、ヨルダン国中でその記念を祝うそうだ。

道沿いは農園が延々と続き様々な作物が栽培されている。 この豊かな土地でも水は灌漑しなければならない。 現在のヨルダン川はイスラエルとの国境となっているので、ヨルダン川からは水は引けない。 水は遥か上流のヤルムーク川から水路を建設して引いている。 ヤルムーク川とてシリア、ヨルダン、イスラエルが関係する国際河川である。 勝手に取水は出来ない。 国際協定に基ずき、各国は取水点で決められた水量を取水している。 



荒野に緑滴る一時期: 遠景の木は植樹したオリーブの木


10時前にペラ遺跡に到着した。 お花は満開とは言えないが、緑滴る丘陵には既に幾つかの種類の花が咲き誇っている。 毛虫も一斉に這い出す。 この時期を逃すと飢え死だ。 毛虫も必死である。 せっせと若葉をついばむ。 こうして見ると苦手の毛虫もかわいい。 実に美しい彩で緑の葉を染める。 レスト・ハウスでペラ遺跡を眼下に観ながらテイーを頂く(1JD:160円)。 厨房の裏では、魚の袋から未だ活きている魚がどっとコンクリートの床に開けられる。 コックが手際よく次々にさばく。 気がつくと、当りに沢山の猫が、隙あらばと、狙いを定めて睨みを効かせている。 12時迄思い思いに散策を楽しみ、バスはウム・カイスへ向けて、更にヨルダン渓谷を北へ向けて走り出した。 



名も知れぬ、背丈程ある大型植物の花
遠景はヨルダン渓谷、そしてウエスト・バンク



暫く走ると、道は狭い渓谷に入る。 ヤルムーク河が刻んだヤルムーク渓谷だ。此処は、北にシリア・ゴラン高原(今はイスラエルの管理下)、南にヨルダン高原が横たわり、ゴラン高原の西にはヨルダン渓谷の貴重な淡水源チベリアス湖が豊かな水を湛える、古の昔から重要戦略拠点である。 道路はヤルムーク河畔を北上する。 河は現在の国境線になっている。 川向こうはイスラエルである。 西岸へ通じていたヤルムーク河を跨ぐ鉄道橋は壊れたままだ。 ヨルダン川東岸の農地を潤すヤルムーク川のヨルダン取水点が眼下に見えた。 取水量は国際条約に基ずき厳しく管理されている。 道路は海抜0mを越え、ぐんぐん高度を上げる。 途中、アーモンドの木が満開の花を付けていた。 



 
ペラからウム・カイスに向かう途中の崖に咲いていた野生アーモンドの花
桜の花によく似ている



谷を登り切った処にローマのデカ・ポリスの一つであったウム・カイスの遺跡がある。 此処からは、ゴラン高原とチベリアス湖が視界を遮るものは何もなく眼前に広がる。 ペラ遺跡を出て、1時間ばかり経っている。 時刻は1時半。 先ずはお弁当である。 国際紛争の重要地点等そっちのけで、思い思いに持参のお弁当をひろげピクニック気分に浸るのが先決である。 今日も同僚のYさんの奥さんが私の分のお弁当を作ってきてくれた。 なんとあり難い事か。 私の準備したのはゆで卵だけである。 これでは何が何でもフェアーとは言えず、何とも申し訳ない。 お天気は持ち直し、日も差している。 絶好のピクニック日和となり、気分も晴れてくる。 
 



ウム・カイス遺跡内に生えている大きななつめ椰子の木
遠景は、ヨルダン渓谷、ウエスト・バンク


既に3回目であるが、食後はやはり遺跡の中を歩き回る。 ここの遺跡には黒い玄武岩のような石が使われているのが特徴だ。 ヤルムーク河畔から谷を登る際、河岸の断崖に黒いブロック石の層があったが、その石が使われているのであろう。 


 
ウム・カイス遺跡内の門飾り


遺跡の最も高い部分に観光客用のレストランがある。 テラス席からも、室内テーブルの席からも、眼前のゴラン高原、チベリアス湖の眺めは最高だ。 仏人観光客の一行は外のテラス席に、別の外国人観光客は室内テーブルで夫々昼食を取っていた。 僕は室内席に入るドアーの脇、外の小さいテーブルに陣取った。 景観は若干損なわれる。 春の陽だまりで、暫し物思いに耽り、紅茶を1杯頂いた。 

 
  

 
 遺跡内にあるレストランでお茶を頂く(1JD:160円)
数人の仏人観光客一行がゴラン高原を眼前に昼食を取っていた 









17/Feb/'06 林蔵 @Umm Qais Jordan (Updated on 15/Aug/'08)#216

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