バンクーバー逃避行
@Sep/'01 Vancouver Canada


Cascade山脈R20


2001年9月11日、NYで同時多発テロが発生した。 当時私は、たまたまアメリカに居た。 と言っても、NYからは遠く離れた西海岸のワシントン州にある小さな田舎Brewsterだが。 仕事はテロの影響をもろ受けてしまった。 崩壊したWTCビルから100m程離れた場所にある交換機を通して、ロンドンとの専用回線を使いシステムテストを行っていたのである。 事件後、商用電源は完全に止まった。 6時間後、交換機に備わっていた非常用バッテリーが遂に切れてしまった。 これで万事休すだ。 我々の仕事は全く進めることが出来なくなってしまったのである。 オーストラリア人のテスト要員は、早々に仕事を切り上げ、カナダ、バンクーバーから順次帰国の途に着いている。 私は一応全体取りまとめ柄、全員の安全な引き上げを見届けてからの帰国、 或いは現在の事務所が在るオーストラリアへのメルボルン戻りとなることとなった。 あの出来事はにわかには信じられなかったが、イスラム国の一部民衆が、小踊りに事件を喜んだと言う報道も、イスラムの国々に長く生活した経験から、イスラム諸国の人々の心の底に渦巻く反米感情もわからないでもない。 かと言って勿論テロを肯定するつもりは微塵もないが。 只、神になりきれない不完全生物、人間が造った現代社会の歪みを、まざまざと見せつけられる思いであった。



朝焼けの国道2号線: 仕事場に近い宿舎、アップル・イン・モーテル
別名アップルステーツとも呼ばれるワシントン州、
コロンビア川沿いは一面リンゴ畑が続く
そんな農園で成り立つ街のモーテルだ




仕事を中断せざるを得なくなった我々システム・テスト・チームは、それぞれの帰国ルートで米国を離れた。 私は同僚の日本人技術者 ”T”氏をカナダから出国させるべく、レンタカーで彼をバンクーバー迄送って行った。 バンクーバーへの道は、2通り考えられる。 シアトルに出て、海沿いのR5号を北上するか、或いは Brewster から国道97号を北上し、山中のカナダとの国境を超えカナダ領内を国境沿いに走るかである。 太平洋岸沿いがメインロードであるが、Security チェックが厳しく時間が掛かるだろうとの予想のもとに内陸路を選んだ。 97号はカナダに入っても97号のままである。 国境通過は思った通り、渋滞は全く無く、チェックは普段より念入りだったが、難無く通過した。 国境には小さいながら免税店と両替屋がある。 カフェ等で使う小銭用に僅かの米ドルをカナダドルに換えた。 US-カナダの国境を超え、Osoyoos の街に入る。 国道沿いの Subway(ファーストフード店)で軽食コーヒーブレーク。 店内に貼られた壁紙はニューヨークの摩天楼であった。 今は無残にも瓦礫のやまとなり、今なお多くの不明者を数える WTC のシルエットも見られる。 ドリンクはセルフサービスだ。  フランス語と英語で書かれた器具の説明書きに従って、カプチーノを入れる。 早速カナダドルの活躍である。


事件後も何事も無かったのごとく、とうとうと東から西へ流れるコロンビア川




ここから、更に97号を暫く北上し、谷間に横たわる静かな Osoyo湖の西岸を走る。  湖の半ば位まできた地点で、Vancouver のサインが出てくる。 Vancouber 迄約 400km とある。  ここから、R3に乗り換え、東方向に進路を変える。

1時間くらい走ると、切り立った山が両脇そびえる、スイスのような風景の場所に出る。  私がパンプキン村と呼ぶ土地だ。 今日も、おびただしい数のかぼちゃが、道沿いに所狭しと並んでいる。



カナダBritish Colombia州オカノガン川上流に佇むオカノガン湖とペンチクトンの街



パンプキン村を出、比較的ゆったりとした山間のワインデイングを、一路バンクーバーに向けて走る。 途中雨模様になった。 カナダ西部、British Cplombia州は特に植生分布が豊かで美しい。 突然前が開けてきた。 山岳部の終わりである。 少し大きな街に出た。 Hopeだ。 ここで昼にしよう。 少し大きいと言っても田舎町である。 ひなびたレストランが1、2軒あるのみ。 この程度の街が丁度良い。 気取る必要もなく、極日常的に振舞えるのが嬉しい。 軽い昼食と思ったが、カナダもアメリカ同様ポーションの量が多い。 生野菜のサラダ付きサンドイッチを頂いた。  ここからは、Fraser川に沿って、平野部を横切るハイウエー1号線を一路西へ向かう。



アメリカとカナダの国境付近: 針葉樹林が続く




ほどなく都会の街中に入った。 バンクーバーに入ったらしい。 東洋系の看板が目に付く。 ベトナム、中国系の移民(多くの難民も含まれるだろう。)の多さが知れる。 ガソリンスタンドで燃料を補給し、空港への道を確認する。 ガススタンドのお兄さんが空港への道順を快く教えてくれた。 空港には教えられた通り比較的迷わず到着した。 予約してあった空港ホテル ”Fairmont Airport Hotel” は正に空港のチェックインカウンターの上に乗っかったホテルだ。 世界各地に空港ホテルはあるが、ここ程チェックインカウンターに近いホテルを知らない。

T氏のホテルチェックインを確認し、再び米国 Brewster へ戻った。 戻りは同じ道を走るのは気が進まない。 西海岸沿いに5号をくだり、シアトルから2号で内陸に入るルートを取った。 99号を南下。 1時間程でカナダ・USボーダーに着く。 普段は12レーンの検問が一斉に開き、殆どノーチェックで通過していたボーダーである。 今回の同時多発テロで一変してしまった。 ゲートは1門のみオープン。 しかも物々しい警備のもと車両はトランク、車内、床下、エンジンルームを入念にチェックされる。 当然長い列。 約1時間後、やっと私の番がやってきた。 5人の警官に取り囲まれ、手馴れた要領で車内外をくまなくチェックされ、国境を通過。 USに入ると5号線になる。 それにしても、米国人のリベンジへの執念、愛国心は少し異常とも思える程だ。 事務所、家庭、商店、車、殆どに星条旗が掲げられている。 天災では無く、極僅かなテロリストのお陰で阪神淡路大震災に匹敵する人命が一瞬にして失ったのである。 その気持ちも察しがつくが。

関係者全てが帰国の途についてから、自分の脱出の手配に掛かった。 先ずレンタカーを、シアトル乗り捨てに換えるべく、今運転している車を借りた Wenachee の空港にある Hertz の事務所に予め電話で用件を述べた上で、コロンビア川沿いの97号線を南に下った。 この地ともしばしの別れと思うと、この荒涼とした景色がいとおしくなる。 今度は何時来れるだろう。 空港の Hertz 事務所ではいつもの受け付け嬢が別の車を準備して待って居てくれた。 早速、車を換えシアトルに向かう。 2号線から Libenworth の手前で5号線に乗り換えた。 5号線は Cascade山脈越の2号線に比べ、比較的低地をくぐり抜けて行く感じである。 シアトルでは更に車を乗りかえることになっている。 バンクーバー乗り捨て、詰まり国際乗り捨てレンタカーだ。 何処の Hertz に行けば良いか、聞いて居なかったことに気付く。 少し迷ったが、SEATAC空港の Hertz 事務所に行くことにした。 この時期、空港のレンタカー駐車場は、混んでいるかと心配であったが、幸いすんなり入れた。 早速 Hertz で車の交換を願い出る。 黒の Volvo 70、内装も黒の総革張り。 運転席に座ってみた。 良い、実に良い感じ。 やはり高級車は違う。 今度、買う車は、少なくとも革張りにしよう。 贅沢では無く、良いものを愛する気持ちを大切にする為に。 US-カナダの国境では少しの混雑は有ったが、先日 ”T”氏を送った後、カナダからUSに戻った時の事を思うと、 随分楽に通過した感じ。



Seattleの海岸通りで


以前と同じ ”Fairmount Airport Hotel”にチェックイン。 翌日の Departure の確認をする為、チェックインカウンターのロビーへ降りてみた。 バンクーバーのチェックインカウンターは大きく2分されており、 半分はUS向けのフライトに使われており後の半分をその他の国々向けに使われている。 そのUS向けのカウンターは見事に人が居ない。 其の他の国々向けのカウンターも厳しい規制で人出はまばら。 これでは航空産業の打撃は甚大であろうと、人事ながら同情の念が沸く。 乗り込んだ成田行き JAL のビジネスクラスの席も空席が目だち、我々お客にはゆったりでき幸運であったが。 こんなことが再び起こることがないことを祈りながら、消えない複雑な興奮を胸に抱きながら帰国の途についた。



911テロの影響で、仕事ができなくなり、チラン湖畔の宿舎でくつろぐ筆者






25/Sep/'01 林蔵@Brewster USA (Updated on 27/Jan/'08)#036

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