第23回ホノノルル・マラソン
@Dec/'95 Hawaii, USA


レース翌日: 完走を祝しダイヤモンドヘッドを背景に記念撮影


いつもは、新宿からリムジン・バスで、成田空港に向かうが、今日は横浜から京浜急行線に乗る。 自費で行く初めての海外旅行。 最も経済的なルートを取る為である。 同じ職場で同伴してくれるA氏とは、空港で落ち合うことにしている。 実は、2年前、スペインの出張から帰ってからランニングを初めている。 年に2回程市民マラソン(日本では、交通事情から、殆どのレースがハーフマラソン)に参加している。 ストレス解消にバイクを始めたが、バイクだけでは、日頃の極端な運動不足は解消されないのだ。 土曜日に走ることにした。 本当は週に3回以上の運動が必要と言われるが、そんな時間もなく他の日はできるだけ生活に運動を取り入れる事にした。 駅の行き帰りは歩く、階段はエスカレータを使わない等。 工夫をすれば普段の生活にも運動要素は方々に見つけることができる。 ランニングは、最初のころは5KMも一気に走れなかったが、ゆっくりではあるがだんだんと距離が伸びてきた。 最近では1回の走行距離は20KMが目安である。 2時間以上掛けて走る。 マラソンのトップランナーの半分以下の速度だ。


到着日: ホテルチェックイン迄の時間を利用してミニ観光、ヌアヌパリにて



この習慣を続ける為に市民マラソン大会に参加して居る訳だが、その内、海外のレースにも出たくなり、今回のホノルル・マラソン参加を決めたのである。 暮れの忙しい時期、約1週間の休暇を迷わず取った。 数年前迄の私にはできなかったことだ。 近年の社会の変化と、何よりも私自身の変化で、今は何の罪悪感もない。 荷物はランニングシューズと少しの着替えだけ。 スペイン出張中に手に入れた気に入りの皮製リュックに全部収まってしまう。 荷物が身軽だと気分も軽い。 必ず多くの託送品や書類にパソコン一式、長期の生活必需品に衣服と盛り沢山の荷物を抱える出張時とは、天と地の差である。 途中、佐倉の駅で乗り換えの為15分程の待ち合わせ。 なにも急ぐ理由はなく、ぼんやりと行き交う人を眺めながら過ごす。 実はこんな無駄な時間ががたまらなく好きだ。



ヌアヌパリ: この峠の南北ではフェーン現象で気候が全く違う



いつもとは違うルートで、空港に向かった為、かなりの余裕を持って家を出た。 おかげで空港にはだいぶ早く着いてしまった。 12月に入ると思い浮かぶのが海外の親しい友人達へのクリスマス・カードだ。 毎年、暮れは特に忙しくなり、カードの発送は遅れがちである。 今年もまだ書いていない。 こんな事もあろうと、リュックの中に買ったばかりのカードを10枚ばかり忍ばせておいた。 A氏との待ち合わせ時間迄、駐機場が見下ろせるロビーの片隅でせっせとカードを書いた。 以外にはかどった。 殆どを書き終え、集合時間近くになったので待ち合わせ場所(今回参加した、Hマラソン・ツアーの集合場所)へ行った。 既に参加者の大部分は集合しており、添乗員から細々した指示を受けている。 半分位はリピーターと思われる。 馴れた感じであまり添乗員の話を聞いていない。 A氏もその内やってきた。



未だ夜も明けぬ暗い内にレースはスタートする



常日頃、日本人の画一性、団体行動には批判的態度を取っている私である。 しかし今回はその最たる典型である団体の海外旅行の一員なのだ。 しかし、マラソンを走りに行くと言う目的の為、自身のルールを破った、そんな画一行動に私の日頃の嫌悪感は毛ほども無い。 勝手なものである。 ジャンボ50機分の、大団体旅行であるのに。 初めての海外旅行のような、初々しさと心の高揚さえ感じる。



既に10kmは過ぎているが、ランナーの団子状態は続く



搭乗したJAL080便は、言うまでもなく全員がホノルル・マラソン参加者である。 機長の挨拶も、そんなランナーに対してのものであった。 ホノルルには、早朝06:00着。 その日のホノルル着一番機だ。 広い空港は貸し切り状態、空いていて超気持ち良い。 初めてのハワイ。 さすがに普段から日本人が多い証が随所に見受けられる。 イミグレーション係員はれっきとした米国人であるが、日本語で対応してくれる。 パスポートは開けもしない、「ホノルルマラソン デスカ?、ドウゾ。」


空港の入国ドライブウエーに出ると、各旅行会社の現地受け入れ部隊がそれぞれの、のぼりや旗をもって、手配してあるバスへツアー客を案内している。 その人達は一様に東洋系の顔をし流暢な日本語を喋るが、ハワイの住民らしい。



折り返し地点付近: 一旦休憩、ポシェットからカメラを取り出しり出し他のランナーに撮ってもらう


ホテルのチェックインは15時なので、それまで観光バスでショートコースの観光が日程に組み込まれている。 黄色のラビットバス、大型だが我々約30名のHマラソンツアー御一行専用だ。 空港から、パール・ハーバーを右手に見ながら、ヌアヌパリ(風の強い事で有名な峠),ワイキキとダイアモンド・ヘッドを見下ろすパンチボール(軍人墓地、シャトル事故で無くなった鬼塚さんもここに永置されている。)から、ダイヤモンドヘッドを回って、ワイキキへ向かう。 売れっ子のテレビ・タレントのような出で立ちをした若い女性の旅行代理店現地担当者が一緒に乗り込んでおり、バスガイドよろしく名所の案内をしてくれる。

12時でショート・ツアーは終わり、今回のツアーの連絡場所となるホテル・ワイキキコマーのロビーで、歓迎レセプション・パーティーと称する現地説明会が始まる。 用意されたサンドイッチとフルーツ・ジュースの昼食をぱくつきながら、これからの予定 、明日の本番の段取り、注意事項等の説明を受ける。 これが終わってやっとチェック・インだ。

宿泊所はいくつかのホテルに分かれており、我々の泊まるのは OUTRIGGER WAIKIKI SURF。 海岸沿いの大通りカラカウア通りから、山手に1本入ったクヒオ通りにある。 名前は立派だが、2流のホテルだ。 今回は走るのが目的だから、文句は言わない。 相棒のA氏と同じ部屋割である。



ゴール手前: 多くのランナーは最後は格好良くゴールする、私もそうだ



早速、ランニング・スタイルに着替えて軽くワイキキビーチを足慣らしに一巡りする。 気温は28度位だが、陽が当たると相当暑い。 明日の出発地点を確認して、ホテルへ帰る。 次は夕食。 街はすっかりクリスマスの飾りが揃い、夜には趣向を凝らしたイルミネーションがライトアップされる。 街の通りも、高層アパートの家々のベランダもそれぞれ、美しく飾り立てられていて、一段とお祭り気分を盛り上げているかのようだ。

ワイキキはとにかく日本人が多い。 今回は、マラソンだけで3万人近い日本人がこのワイキキに来ている。 しかしホテルの収容人数、日本人客を目当ての商店の数から言って、今回が特に多いとは思えない。 一歩歩けば、日本語の看板に出会ってしまう。  何故か、つい日本食の店に入ってしまった。 外国で戴く日本食は高くてまずいと相場は決まっているし、全くその通りと実感もしている。 だから私は海外ではなるべくその土地の平均的な食べ物を頂くことにしている。 走る前には、穀類を摂取したほうが良いとのアドバイスに、親子丼に寿司を半人前頂いた。 並の味で、値段は並よりやや高め。 本番の明日は2時起きのスケジュールだ。 さあ、寝よう。

2時、モーニング・コールで起こされる。 A氏にロビーで、おにぎりのとバナナの朝食を受け取ってきてもらう。 それにしても早い朝食。 3時、ホテル前に待っているバスに乗り込み出発地点へ向かう。 ほんの数百メートルの距離だ、歩いてもたいした事ないが、これもスケジュールに組み込まれている行動である。 しかも、出発地点のアラモアナ・シォッピング゛・センターの前のアラモアナ公園は、昨日の午後とは、うって変わって道路は何処もかしこも大渋滞。 3万5千人を越すランナー、報道陣、運営関係者で、早朝のアラモアナ公園はごった返している。 数百mの距離を約30分かかり、バスは出発地点付近に着いた。 まだスタート迄2時間ある。 5時半スタートである。 それまで出発会場でぶらぶらすることになる。



完走後、完走T-シャツをもらう



5時に、車椅子の組が先にスタートする。 車椅子のトップ・ランナーは、健常者のトップ・ランナーより遥かに早い。 コースは一旦、パール・ハーバー方向に向かうが、途中で折り返し、再び出発地点を通ってダイヤモンドヘッドへ向かう。 従って車椅子のトップランナーは、猛烈な勢いで15分後には出発地点を駆け抜けることになる。 相当なスピードで駆け抜けるので、ぶつかると大変危険である。 ボランティアーの誘導員がしきりに注意を促している。

車椅子組がスタートして、いよいよ我々の番だ。 ホノルル市の青年団長が進行役を努めている。 母国語の英語と流暢な日本語でスピーカーから、間断無く歓迎の言葉、説明や注意が流れる。 気温27度、湿度75%、途中に設けてある17箇所のエイド・ステーションでは、必ず立ち寄り水分を取ること等々。

スタート5分前、花火は上がり一段と雰囲気が盛り上がる。 3万5000人を越すランナー達は、自分の持っているタイムに照らし合わせ、自己申告で予想完走時間を書いたプラカードの後ろに並ぶ。 私は6時間のプラカードの後ろに並んだ。

5時30分、まだ夜の明け切らない早朝、号令と共に一斉にスタート(?)した。 スタートした筈だが、一向に列は前に進まない。  5分ばかりして、やっと前に進み始めた。 すごくゆっくりしたペースだ。 街路樹で、いつものように夜を過ごしていた野鳥達が 時ならぬ異常に気付き,興奮で騒ぎ立てている。 30分位で一旦スタート地点を通過する。 東の空がしらみ、夜はようやく明けようとしている。



ワイキキビーチの夕日


カラカウア通りの海岸に面したホテル街を通る。 各国の応援団がお国柄たっぷりの応援でレースを盛り立てる。 民族衣装に民謡で、ランナー達をエンターテインしてくれる。  ゴール地点になるカピオラニ公園を左巻きに迂回して、ダイアモンド・ヘッドの海側を走る。 朝日が海に反射し眩しい。 車椅子組のトップランナー達が、既に反対側から猛烈な勢いで帰ってきている。

高級別荘が居並ぶカハラ地区を駆け抜け、高速道路に入る。 高速道路と言ってもここはアメリカ、無料で両脇には民家、別荘や茂った街路樹がある。 10KMに及ぶ殆ど真っ直ぐな道だ。 途中で右足の脹ら脛がつってしまった。 道ばたで休んでマッサージをしていると、だいぶ楽になった。 再び走り始める。 約1マイル毎に給水所兼エイド・ステーションがある。 全てボランティアー達で支えられている。 自転車でコース内を安全巡回しているボランティアーもいる。 もう、20KM地点当たりだろうか。 ここまで来ても、前も後ろも見渡す限り広い高速道路はびっしりランナーで埋め尽くされている。 改めて3万5千人の数の凄さを感じる。

折り返し点の、KAI地区に辿り着く。 又、右足がつる気配がしたので、少し休むことにした。 この辺りは、クルーザー付きの別荘地になっている。 同じレース中のランナーに、ウェスト・ポーチに入れてあったカメラを取り出し、写真を撮ってもらう。 20マイル(32KM)を越えた当たりから、さすがに走るのが嫌になってきた。 帰りのコースのほうが、沿道の応援がよけい目に入る。 しきりに応援の声をかけてくれる、Good Job ! You made it ! 等々。 庭の芝生用スプリンクラーを走る選手の為道路に向けてある家。 ホースで水を掛けてくれる住民。



レースの翌日、自転車を借りて、前日走ったコースを再び走ってみた


20マイルから25マイル迄は半分位歩いてしまった。 車椅子組の最後尾を追い越していく。 彼らはトップ・グループとは、次元がちがう姿だ。 疲れ果てて、道ばたにうずくまりながら、それでも前に行こうと必死で、ウィールを握りしめている。 我々健常者は恥ずかしい気持ちになる。 ダイアモンド・ヘッドが25マイル地点、後ゴール迄、約1マイル。 ここからは、ゴール地点のカピオラニ公園迄は一気に駆け下る。

カーブを左に曲がり、公園に入る。 もうゴールはすぐだ。 やけに広い公園だ。 最後の直線コース、長い。 ロープで仕切られた両脇は出迎えの顔、顔、顔。 もうへとへとだけど、無理に格好良く走ろうとする。 ゴールは、ロープで仕切られた6列位に分かれている。 ここでもボランティアーが、ゴールした一人一人に、ゴールの印を赤マジックでゼッケンに付けてくれる。 別のボランティアーが貝殻のレイを首に掛けてくれる。

タイムは、5時間52分23秒。 
完走者2万6、986人中 1万3、794番。




ハナウマ湾


ここからは、出発前に受けた支持通り、H旅行社ののぼりを頼りに準備されたテントへ向かう。 目当てのテントを見つけ一安心。 A氏は既に戻っており、テントの中央あたりで寝ている。 公園中央当たりのテントで、ゼッケンの切れ端と交換に完走メダルとTシャツをもらう。

再びテントに戻り、カレーと飲み物を頂く。 朝の2時から、昼の1時まで何も食べずに、42kmも走ったのである。 さすがに腹がへった。 カレーはありがたい。 思わず2杯頂いてしまった。 1時半には全員が戻り、ダイアモンド・ヘッドをバックに記念撮影。 この写真が、来年の24回ホノルル・マラソン募集の写真になるらしい。 バスでホテルへ帰り、その日の午後と翌日は自由時間。  シャワーで汗を流し、韓国料理の焼き肉屋で2人の完走パーティー。



ハナウマ湾


翌日、午前9時、大会運営事務所が設定されているアウトリガー・リーフ・ホテルへ行く。 完走者全員の完走証が準備されているのだ。 順位とタイムが印刷された完走証が全員分揃っているのだ。 実に手際が良い。 日本では、数週間後に郵便で送られてくる。 情報社会の成熟度の違いを見せつけられる。 同時に完走者全員の名前とタイムと順位を載せた新聞も既に売り出している。 34ページに渡り全完走者の記録が並ぶ。 それを見ると、最終ランナーは12時間56分11秒でゴールしていることがわかる。 早速この新聞(10ドル)を記念に買った。 ホテルに完走証と新聞を置き、再びワイキキ・ビーチへ出る。 レンタル屋で自転車を借りて、マラソン・コースを再び走る。 一緒に渡された盗難防止用の、チェーン・ロックの太さに驚く。 大型のワイヤー・カッターでもない限り、まず壊されそうにない。 さすがに自転車は早い。 折り返し点から更に先へ進み、Kokoクレーターを左側に回り、海岸に出る。 プレスリーの映画撮影がされたKokoヘッド等を通り、折り返し点に戻る。 あくまで澄み切った紺碧の太平洋、心が洗われる思いだ。

途中カハラで昼食時になり、マクドナルド店に寄る。 バーガー、コカコーラ、ポテトチップ、何れもノーマル・サイズを注文したが、日本では明らかに特大級だ。 老人クラブのボーリング場と同居した店だ。 退役者・ペンショナー(年金生活者)と見受けられる人達が多い。 老人達と言えども、暗いイメージは全くない。 皆派手な服装で、陽気に喋りまくっている。



ワイキキビーチホテル群


ワイキキへ帰った。 自転車を返してビーチへ出た。 思ったほど人がいない。 ビーチの手前の見事な芝生も充分に空きスペースがある。 椰子の木陰に寝そべって時間を過ごす。 何か申し訳ない気分になる。 太平洋に沈む太陽がまたすばらしい。 ハワイはヒーリング効果があると聞いた。 あながち嘘でもなさそうだ。

帰りの日も、朝2時起きだ。 飛行機は10時だと言うのに。 海外経験豊かな我々には、あまり心配していないことが、時として起こるのを 旅行会社は知っているようだ。 リピーターも多いが、海外が初めての人も何人かは必ずグループにはいるのだ。 家族や、職場の人達には、なんだか済まない気もするが、今回のツアーは素晴らしい体験の一つであった。 マラソン自体も素晴らしい体験であったが、ハワイの素晴らしさも又一際であった。 日本人観光客の毒に犯されているのは、ハワイの極一部で、素晴らしい自然と人々は島に満ちあふれていた。 又訪れてみたいと強く思ったのである。 2年後の再参加を目指して、毎土曜日に汗を流して体力維持に努めている市民ランナーも、板に付いてきた。



完走メダル





10/Dec/'95 林蔵@Honolulu Hawaii (Updated on 06/Jun/'09)#256

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