アンマンマラソン
@Sep/'04 Amman Jordan


アンマンマラソンのゼッケン

9月24日(金曜日)、目覚ましを5時半にセットする。  集合はキングフセイン公園に6時半である。始めての場所は余裕を持って行かないと何が起こるかわからない。  近くのDays INNホテルの前でタクシーを拾う。  この小さなホテルにはデイスコがあり、デイスコは朝迄営業しているので、 何時行ってもタクシーが拾えるので大変便利である。  運転手に行き先を告げるが一向にわかった様子がない。  仕方なくリュックから大きなアンマンの地図を取り出し広げて場所を示すが、まだわかった様子がない。  こちらの人はあまり地図が読めない、と言うか私の持って居る地図は英語表示でアラビア語表記ではない。  突然大きな地図を広げられてもどっちがどの方向なのか、にわかには判らなくて当然であろう。  決め手はAirport Roadだった。 空港道路沿いと言えば一発に判った。  もう地図は不要だから地図をしまえと言う。

会場には既に多くの関係車両が集まっている。  キングフセイン公園はスポーツ公園で緑の芝が敷かれたサッカー場もある。  ノースゲートをくぐると、協会でゼッケンを受け取った時のハナさんが事務所 (と言っても小さな机が1卓あるだけだが)の中央に座っていた。  周囲は軍関係と警察関係の人と車がやたらと多い。  選手が軍や警察の警備の間をくぐって受付に行っている感じ。  受け付け(登録)は事務所の横でOfficialトレーナーを着た若い女性係員3名でゼッケンの バーコード読み取りを行っている。  ゼッケンを持ったまま彼女達の前に行ったら、”ゼッケン付けて”と笑顔できつく言われた。  ゼッケンをT-シャツの胸に付けて再び並ぶ。 ピッと無事番号が読み取られる。

レースはフル、 ハーフ、 10kmの3部に分かれている。  10kmの部はハーフの11km地点からスタートする。  10kmの部の選手は登録を済ませた後バスでスタート地点へ移動する。  ハーフの部のスタートは7時30分。 スタート点に並んだ人数は100人にも満たない。  何れも走りそうな人達ばかりだ。  私のように遊びで走るものは居ない。 これは厳しいレースになりそう。  最近日本でもレースに出る者は常に走っている常連が多く占めるようになってきた。  参加者には外国人もちらほら見る。  日本人は私を含めて2人。(この時点では彼が日本人だとわからなかった。)  他の一人は国連関係でヨルダンに滞在されている方だ。 

制限時間は2時間半、10;00迄である。  時間内に走れるだろうか。 少し不安でもある。 スタートした。 最後尾に付いた。 案の定である。  前との差がどんどん広がって行く。  遂に16km地点で時間オーバーとなり軍の救急車に強制的に乗せられた。  若い兵士は無愛想だが、親切な面もある。  途中、制限時間ぎりぎりで走っているランナーの後ろに付いてゆっくり走るが、 給水場でペットボトルを貰って無言で私に手渡してくれたのである。

ゴール会場で救急車から下ろされる。  会場では、スタート地点で話した東洋系の青年が居た。 “やー”と挨拶をし、 “レースはどうだった?”とスタート時と同じように英語で聞かれた。  英語で面目ない事態を説明した。 “ところでどちらから?”とやはり英語で聞かれる。  そこで初めて両者は日本人同士であることを知る。  直ぐに言葉を日本語に切り替え、タクシーを拾って途中まで一緒に帰ったのである。

走る能力は確実に落ちている。今度はもっとペースを落として走ろう。  因みに軍の救急車に収容されたのは私意外には1人だけであった。  コースはエアーポート道路をエアーポートに向け11km走り、 左に折れてここから殆ど下りでダウンタウンの市役所前の広場がゴールだ。

後記:  小型カメラはウエストポッシェに入れて行ったのだがバッテリーが入っていなかった。  従って会場の様子やレース途中等の写真は一切ない。



24/Sep/'04 林蔵@Amman Jordan (Updated on 25/Jul/'07)#182

{林蔵地球を歩く}[頁の始めに戻る]