| こんなに綺麗なカモなのに余り人気がないのはとても不思議な気がする。 |
| 青首と呼ばれるオスの美しい頭から首部分羽色は光線によって、青や紫色等さまざまに見える。 |
| 私が被写体として好むカモの2位である(1位はカルガモ)。結構警戒心の低い個体が多いので、 |
| イメージ通りに撮れる場合が多くて最高の野鳥モデルである。 |
| 私が一番気に入っている写真は京都の深泥池の冬の早朝、池にもやがたちこめた中にマガモ |
| のオスが佇むカットである。まるで墨絵のような写真が撮れて、今でも自信作の一つなのだ。 |
| それに比べてメスの地味さ加減は可哀想な気がする。羽色はカモのなかでもピカイチの地味さ |
| 加減であり、くちばしもオレンジ一色なら良いのに余計な模様が入っており美しいとは言い難い。 |
| だから時々オスが浮気して、マルガモなるものが出来るのではないだろうか。 |
| (マガモとカルガモの雑種のことである。) |
| そんなメスの写真でもとても気に入ったものがある。朝焼けで池面が輝く中をメスが浮いている |
| だけの写真であるが、とても美鳥に写っておりこれならマガモのメスに見てもらっても満足しても |
| らえるのではないだろうかと考えている。 |
| このマガモの話題になると、「食べたらおいしいで!」とばかり言う人がいる。この方は一流の鳥 |
| 見人であるが、昔にシギ・チやツグミ等を食べたといった話ばかりする。この人の場合は鳥味人 |
| トビについで身近に思える猛禽類である。全体的に白く見えるフォルムはとても美しい。それに |
| 食べるのが魚というのも猛禽類の中では変っている。ホバリングをしながら海水を見つめる姿 |
| は艶やかである。さらに水中へ突っ込む姿は戦闘機のようでとてもかっこいい。但し、魚を捕ら |
| える頻度は個体差が非常に大きい。特に若鳥の場合はほとんどが失敗のように観察される。 |
| 関西で一番観察しやすいのは大阪南港野鳥園ではないだろうか。特に西池を中心に魚を狙う |
| 姿が良く見られる。最高で8羽近くが集まった時もある。ダイビングして、魚の捕獲に成功した |
| 後の魚の食べ方もほとんどが同じである。片方の足で押えつつくちばしで頭から順々と引きち |
| ぎりながら食べている。特に南港野鳥園にはミサゴが餌を食べれるような杭がいくつもあるの |
| で、その採餌シーンをじっくりとご覧になれる場合がある。またミサゴは淀川にもよく現れる。 |
| 淡水の魚でも関係なく食事可能なようである。但し、魚を捕まえた後にカラスやセグロカモメ等 |
| に魚を狙って追い掛け回されるシーンをよく見かける。みんな生きる為に必死なのであろう。 |
| 最後に面白かったシーンについてご紹介しよう。死んだ大きな魚が水中に浮んでいたのをミサ |
| ゴが急降下して持ち上げようとしたのだが全く無理のようであった。そのミサゴは余程欲しかった |
| のか何度も何度もその行為を繰り返した。見ているこちらも一生懸命頑張れと応援していた。 |
| 観察当初はこの鳥は西日本に多いと聞いていたから、贔屓にしていた。そして東日本に多いと聞く |
| カシラダカを邪険に扱っていた。理由はない。 |
| ミヤマホオジロはホオジロ類の中では際立って美しい容姿をしているのではないかと思う。黄色い |
| 冠羽が逆立った時の美しさはカワセミを遥かにしのいでいると一人納得している。 |
| 初めて会ったのが、神戸の森林植物園であった。園内にゴロゴロいた。今では信じられない情景 |
| ではあるが、「また、ミヤマか」と独り言が自然と出ていたくらいである。 |
| ただ、多いからといって写真となると別の話になる。とにかくブッシュがお気に入りでおまけに極端 |
| な神経質とくるから、撮影にはとても苦労する野鳥である。 |
| それでも雪の降った朝に森林植物園で撮影したミヤマの写真は、我が12年の撮影人生の中でも |
| ベスト5に入る出来である。もちろん今回の写真集にも使用しているので、是非御覧になって頂き |
| たい。2月下旬でコブシの花のつぼみの上に雪が残っている、その樹にたたずんでいるミヤマを |
| 縦位置で撮影した。はっきり言って自惚れではあるが、この作品以上のミヤマホオジロの写真を |
| プロアマ問わず、私は今まで見たことがない。(言ったもん勝ちである、ハハハ。) |
| 残念ながら、ミヤマホオジロは関西では確実に撮影機会が激減した野鳥である。森林植物園にも |
| めったに入らなくなってしまった。 |
| ミユビシギは関西ではそんなに見れる野鳥ではない。大阪南港野鳥園で1,2羽程度を遠くから |
| 見れるだけである。そんな私が仕事で東京に行った時にたくさんの群れに会うことができた。千葉 |
| 県の一宮川河口である。あちらでは久我山を拠点に活動していたが、とにかくその場所までは |
| 遠かった。そして河口までの交通手段がなかったのでタクシーで出向いた。(贅沢は敵と思って |
| いる私ではあったが。)時期は7月だったと思う。河口の真ん中で100羽近くのミユビシギが他の |
| メダイチドリやキアシシギ等と一緒に休んでいた。彼らを大きく撮影する為にはこちらから寄って |
| いかなければならない。その時LLビーンの靴を履いた私は後のことを考えずに川に入った。 |
| ズボッ!あ、足が動かない。川の表面はヘドロ化していたのである。とにかくカメラを持って立ち |
| 往生していた。悪戦苦闘しながら何とか15メートル近くまで出向いて、記録写真を撮影することが |
| 出来たのである。本当はこのシギは浜が良く似合うんですが、悲しいかなこの時期はサーフィンを |
| 楽しむ人間とバッティングしてしまう。当時も多くのサーファー達が波を楽しんでいた。私の弟も |
| 今の時期(6,7月)は街中はヒヨドリよりもスズメやムクドリがとても目に付く。珍しくもなく普通の野鳥 |
| で、おまけに地味ときている。(くちばしと足はオレンジ色なのでヒヨドリには勝ってはいるのだろうが |
| ともかく目立たない。)野鳥に全く興味のない私の家族はムクドリとカワラヒワの区別が判らないので |
| ある。野鳥に一身を捧げて来ている私にとって無理解な家族というのも困ったものである。最近散歩 |
| をしていると非常に多くのムクドリが川辺でたむろしているのが見受けられるのだが、どうしても人間 |
| には懐こうとはしないのですぐに飛ばれてしまう。そう言えばムクドリのまともな写真が1枚もない。 |
| いつでも撮影出来ると思ってしまうので集中する事が出来ないのであろうか。個人的に地味系の鳥 |
| 好きな私にとっては大きな宿題でもある。しかしどのようなシチュエーションで撮影すればムクドリを |
| 絵画的に写しこめるのかが想像すらできない。 |
| ムクドリと初めて会ったのは大阪南港野鳥園の緑道だった記憶がかすかにある。フィールドスコープ |
| にカメラアタッチメントをつけて撮影した中にネガのムクドリの平凡な写真が残っている。それでも |
| 当時は超初心者だったのでとても嬉しかったのを思い出す。私は愛着を込めて彼らを「ムクちゃん」と |
| いつも呼ぶことにしている。そう言えば近所でもムクドリが子育てしているのを毎年見ることができる。 |
| 地味で大好きな彼らをこちらが生きている間に撮影したいものである。「ムクちゃん」頼むよ! |
| 最近、やたらにメジロが我が家近くを飛び回っている。隣家のビワの木やピラカンサ目当てにやって |
| 来るのである。今の日本にとっては普通の野鳥である。しかし、昔は鳥かごに入れられた中で悲しく |
| 鳴いていたのを思い出す。残念ながら今でも密かに飼い、さえずりを競わせる人間が多いと聞く。 |
| 京都のさる役所のお偉方が堂々とメジロやコマドリを買っていて、野鳥の会より非難された話も聞い |
| ている。春の時期は本当に素晴らしいさえずりである。とにかく人を惑わす魅力的な声であることは |
| 間違いない。これからの時期は梅や桃、アンズ、寒緋桜、桜と季節が変わっていくにつれてメジロは |
| 我々カメラマンの絶好の被写体である。その前まではサザンカ、ツバキと撮影にはこと欠かない。 |
| 然しながら動きが速いので、なかなか思い通りに撮影することは難しい。撮影歴十数年の私でも |
| メジロ一匹に右往左往されてしまう。そういっている間に絶好の季節がまた終ってしまう。それとこの |
| 野鳥の難しいところは目の部分の撮影である。アップ気味にして、目にキャッチアイが入ると結構 |
| 怖い顔に写ってしまう。メジロを美しく撮れないのが私の大きな不満であるが、チャンスはそれこそ |
| 何百回も与えてくれる。下手の横好きのアマチュアカメラマン(=私)にフィルムを消費させる小悪魔 |
| 的なところがあるから困ってしまう。今年は何度撮影に出向けるか判らないが、やった!といった写真 |
| をいつか捉えてやろうと意気込んではいる。本当に見事なウグイス色(グリーン)の野鳥である。 |
| よく見てみると、何と私の愛すべきNO.1の野鳥がこの図鑑に掲載されていないではないか。 |
| 自分が許せない程に腹が立つ。それだけ私のモズへの愛情はただならないものがあるのだ。 |
| 今回の写真集でも2枚入っていたことからも判って頂けるであろう。次回があったとしても間違い |
| なくまた2枚は入るだろう。私の住む大阪の鳥だからという訳ではなくて、あの愛敬のある丸みを |
| 帯びたボディと「キチキチキチ」という秋を知らせる声、時に猛禽類を漂わせる強さを持った表情。 |
| そうした多くの顔を持つ不思議なところがたまらなく魅力的である。 |
| また、モズの魅力は鳴き真似にある。今まで何回騙されたことだろうか。完全に騙されたのは |
| シジュウカラ、アリスイ、カワラヒワであった。その鳥がいると思って周りを一生懸命探すのだが、 |
| そ知らぬ顔をしたモズしかいないのである。いないと諦めた後ろからまた鳴き声が。見つけたと |
| 思って振り向くと、ニヤッと笑ったように見えるモズが気持ちよく鳴いていた。まんまと騙されたなと |
| こちらを蔑む・・・・ことはないだろうが、こちらとしてはまんまと騙されたのだから気持ちがいい筈が |
| ないのである。他にはオオルリやキビタキの鳴き真似も聞いたことがある。正に百の舌を持つ鳥 |
| の名に相応しい実力者である。 |
| モズは私の愛情が判るのか、撮影機会を多く作ってくれる。また、モズは北海道や沖縄等わざわざ |
| 遠くに行かなくても、いい写真がどこでも撮れるのが素晴らしい野鳥である。 |
| この鳥は山中に響くほどのやかまし屋であり、また私が一番共に暮らしてみたい野鳥である。 |
| ヤマガラは声が特別大きいわけではない。「BB〜!」という声が印象的ではあるが。 |
| やかましいのは木の実をくちばしで割る時に響かせる音である。これが半端な音ではないのである。 |
| ある時など山中をこだまするくらいの大きな音を出して、びっくりさせられたことがある。そんな大仰 |
| なと思われるかもしれないが、一聞は百インターネットにしかずであります。 |
| とても局地的な野鳥で、東アジアが主な所在地である。カラ類のなかでは世界の他種と比較しても、 |
| 私は一番可愛いなと思っている。あの顔のクリーム色部分を突付いてみたい衝動にかられる。 |
| 昔、テレビでヤマガラに小さい社からおみくじをひかせる芸を何度か見たことがある。その芸の後に |
| 木の実をもらっていたので、単純にこの行動をとることで餌をゲットできる結果をヤマガラに覚え込み |
| させたのであろう。だからといってシジュウカラやエナガ、メジロに出来るかというとなかなか難しい |
| 芸当なのである。ヤマガラは他鳥より少しだけ賢明ではないだろうかと感じる。それは人間との巧み |
| な距離のあけかたを見ればわかる。餌付けで人間の手のひらから餌をとる奴もいれば、人間には |
| 決して近づこうとしない奴もいる。これは生きる為に人間という動物をどう扱えばよいのかをヤマガラ |
| は心得ているのであろう。人間は実はヤマガラにしっかりと観察され、手玉にとられているのである。 |
| 二度オスと会っているが、いずれも能勢での出会いであった。 |
| 一度目は妙見宮から奥まったブナのある森である。ここには植物の気に入った種類があるので撮影の |
| 為に入っていたのだが、突然「ドドドドドド!」というでっかい音が森のなかで響き渡った。 |
| 何だろうと目線を上げると、そこには懸命にほろ打ちを繰返すヤマドリのオスが雄雄しく立ち尽くしてい |
| るではないか。図鑑ではそういった音をだすという知識があったが、実際に聞いてみるととんでもなく |
| でかい音である。私を無視して数回繰返していたヤマドリはようやくこちらに気付いたのか、ゆっくりと |
| 姿を消した。朝早くもあり、非常に暗かったので写真は撮れなかったがその日一日がとてもウキウキな |
| 気分であった。どこかで剥製にされた哀れな姿は見たことがあったが、やはり生の姿は素晴らしい。 |
| 特にあの尾羽の長さと美しさといったら。 |
| 二度目は尾根沿いに妙見山を上っていた時である。4月でスミレやギンリョウソウなどを目当てに登って |
| いた。上空ではサンショウクイの声が。と、目の前の草むらがガサガサと音をたてた。「スワッ、熊か」と |
| 一瞬緊張したが、現れたのはヤマドリのオスである。私の約1m前を悠然と長い尾羽を揺らしながら、 |
| 横切っていった。カメラは持ってはいたが、残念ながら野草を撮る105mmのマクロレンズであった。 |
| しかし、あのヤマドリの恰幅のよさと悠然とした姿には一種神々しささえ感じてしまう。 |
| 私にとってヨシガモといえば深泥池を思い出す。約十年前まではたくさん入っていてアップで撮影出来る |
| ところまで来ていたのだが、京都市が愚かにも冬に彼らの餌となるヒシという植物を総ざらいしてしまった |
| 為に、一羽も来なくなってしまったのである。京都市の野郎共は同じ十年前に、池淵に綺麗に咲いていた |
| 白いカキツバタの花の群落を、業者に何も指示しなかった為に根こそぎ抜き取らせてしまった前科がある |
| 。私にとって京都市とは今でも私の愛する深泥池をいじめる無能な悪代官というイメージしかない。 |
| ヨシガモはそういうことからかつては身近な野鳥であった。特にオスの美しさたるや1,2位を争うもので |
| ある。それに比べてメスはカモの中でも1.2位を争う地味さである。その対照が明解でとても面白いで |
| はないか。オスのあのナポレオンの帽子に例えられる頭部は当る光の加減によって全く違って見える。 |
| グリーンだけに見えて実は光の加減でパープルに見えることもあり、とても美しい。その姿を見るだけで |
| うっとりしてしまうのに、在りし日の深泥池では顔だけアップで撮影できるほど人間に近寄って来ていた。 |
| それでもヒドリやハシビロガモほどは人間に馴染むことはなく、一定の距離を保っていた。ヨシガモは今 |
| は近くのゴルフ場の池に棲みついていると聞く。本当に腹が立ってしょうがないことである。あれほど私 |
| 達をなごませてくれた彼らを近くで見れないなんて。山田池公園にも数羽が入るが、決して人間の近く |
| に寄ってくることはない。ヨシガモは大好きだが、今は残念ながら親近感は湧くことは出来ない。寂しい。 |
| この野鳥との出会いは早い。南港野鳥園では十年前には夏場に普通に飛んでいたからである。 |
| ただ、撮影に関してはつい最近までなかったのである。私の基本方針は来る鳥は拒まず、去る鳥は |
| 追わず。面倒くさいからわざわざ撮りには行かずである。 |
| 南港野鳥園では鳥まで距離が余り遠くてシャッターを押す気になれず、かといって撮影出来そうな場所 |
| も教えてもらってもわざわざ行く気はない。(教えがいの無い奴である) |
| で、2年前に山田池公園で幼鳥に出会うまでは1枚の写真もなかった。私は撮影種を増やす趣味が |
| 全くないので気にはならないが、それでも初めてシャッターを押す野鳥に出会った時はとても嬉しいのだ。 |
| ヨシゴイの擬態精神は本当に素晴らしいと思う。なぜなら我々に見つかっているのがバレバレでも擬態 |
| は完璧だとヨシゴイは思い込んでいる姿が非常に悠然としているからである。 |
| よく風でヨシが揺れると、一緒に擬態中のヨシゴイも合わせて揺れるというが本当だろうか。それだけは |
| まだ見ていないので是非観察したいものである。 |
| ヨシゴイの写真といえばほとんどが瓢湖の場合が多いが、そんなに個体数も多くて写真も撮りやすいの |
| だろうか。行く気はないがとても気になる。瓢湖に夏行けばヨシゴイだらけだったら楽しいなとは思う。 |