監視カメラと人権

Surveillance camera and the Human rights

ー内心の静穏の権利その2

日本大学法学部教授 甲斐素直

『日本法学』72巻1号1頁〜32頁(2006年)

[はじめに]

一 見られたくないときに見られない権利の法的性格

(一) プライバシーの一環とする見解について

 1 私法上のプライバシー権

 2 情報プライバシー権

 3 社会評価からの自由権

 4 その他のプライバシー権に関する見解

(二) 文字通りの「肖像権」とする見解について

(三) 表現の自由の消極形態とする見解について

二 公的空間における監視カメラ設置権

(一) 判例の見解=犯罪捜査権

(二) 防犯カメラの設置権

 1 地方自治体が設置した場合

 2 地元団体が設置した場合

(三) 監視カメラ設置権の具体的内容について

三 私的空間における監視カメラ設置権

(一) 私的空間の概念

(二) 私的空間監守権の基礎

(三) 監守権の限界とその確保

[終わりに]

 

[はじめに]

 日本大学法学部で刊行する『法学紀要』第46号に、「内心の静穏の権利」と題する論文を発表した*。その内容を簡単に説明すれば、従来、「聞きたくないものを聞かない権利」「見たくないものを見ない権利」は、静穏のプライバシーの名で知られ、プライバシー権の一環として説明されることが多かったが、21条の表現の自由の消極的行使形態(これを「内心の静穏の権利」と呼ぶ)として理解する方が妥当であるということであった(以下、これに言及する時は「前稿」という。)。

 上記概念に近接した問題として「聞かれたくない時に聞かれない権利」「見られたくない時に見られない権利」というものが考えられることを、前稿の「はじめに」で指摘しておいた。前者が盗聴の問題であり、後者が監視カメラの問題である。これらについても、従来は自己情報プライバシー権としての理解など、プライバシー権の一環として理解されるのが通例であったといえるであろう。しかし、この場合にも、内心の静穏の権利の一環として、21条の消極的行使形態と統一的に理解するのが妥当と考える。本稿では、盗聴問題は将来の課題とし、表題に示したとおり、もっぱら監視カメラの問題について検討したい。

 監視カメラの設置形態は、大きく二つに分けることができる。道路、公園等の公的空間を監視対象とするものと、個人が監守する建造物、特に店舗やエレベータなどの私的空間を監視対象とするものである。従来、監視カメラについては、いわゆる肖像権など、監視される者の人権侵害の方向から検討されてきた結果、監視対象が公的空間か、私的空間かによる区別はあまり行われてこなかったように思われる。しかし、カメラにより監視対象となる者には、それをどのように法的に根拠づけるかについては説が分かれているが、結論的に監視されない権利が人権の一種として認められるということ自体には争いがない。したがって、それにも拘わらず監視カメラの設置を認めることは、その人権を何らかの論理により、部分的にであれ、否定できる場合にのみ可能となる。そして、私は、その論理は、そこが公的空間なのか、それとも私的空間なのかにより異なるべきであると考える。以下、順次論じたい。

 

一 見られたくないときに見られない権利の法的性格

 見られたくないときに見られない権利の存在について、判例が明言した事件としては、京都府学連事件最高裁判決が非常に有名である(以下「府学連判決」という)。念のため、府学連判決のポイントの部分を引用すれば、次のとおりである。

「憲法13条は、『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』と規定しているのであつて、これは、国民の私生活上の自由が、警察権等の国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる。そして、個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。」*2

 この府学連判決は、写真撮影されない権利を肖像権と呼ぶかどうかについては躊躇いを示している*3。しかし、少なくとも警察に代表される国家権力によってみだりに容貌等を撮影されない権利というものが、憲法のレベルで考えられるということは、これにより判例的に確立したと言える。以後、多数の判決がこの判例に依拠する形で論じているからである。以下、この、憲法上の「みだりに容貌等を撮影されない権利」を、本稿では便宜上、「肖像権」と呼ぶこととする。

 問題は、府学連判決の限りでは、この肖像権なる権利の内包・外延がはっきりしない点にある。学説的な考え方としては、大別すれば、次の三つがある。

 第一は、13条に基づくプライバシーの権利の一環として理解することである。

 第二は、13条に基づくと解する点では同じだが、文字通り『肖像権』という名の、プライバシーとは異なる権利が存在すると考えることである。

 第三は、憲法21条の表現の自由の消極的行為形態の一つとして理解することである。

 以下、各説の特徴を概観してみよう。

 

(一) プライバシーの一環とする見解について

 府学連判決は、「個人の私生活上の自由の一つ」として、肖像権を認めているから、その点を重視すれば、肖像権をプライバシーの一環として捉えているように見える。ところで、ここでプライバシーと呼んでいるのはどのような権利なのだろうか。

 プライバシー権は、無名基本権の典型であるだけに、様々な定義が存在している。大別すれば、次の三つになる。

 

 1 私法上のプライバシー権

 「宴のあと」事件判決が示した「私生活をみだりに公開されない」という権利として、私法上考えられるもので、もっぱら私人間で問題となる権利である。これについては、表現の自由との衝突等の場面で、人権性を認められるという限りで、憲法上の問題となる。そのため、憲法の領域に特化した権利としての、すなわち、国家と国民の関係で問題となる公法上の権利としてのプライバシーを、これに依拠して論ずる者はいない。しかし、このことは、この概念そのものが、憲法上、否定されているのではないことに注意する必要がある。私人間における私法上の争いである場合には、「石に泳ぐ魚」事件その他の事件に見られるように、この説にしたがって判例は常に事件を処理するのである*4

 しかし、私的空間はともかく、公的空間の行動を監視するカメラについて、このプライバシー概念の侵害があると構成するのは、通常は困難であろう。ただし、学説の中には、公的空間における監視カメラについて、この種プライバシー権侵害の成立を認めるものもある*5

 

 2 情報プライバシー権

 佐藤幸治は人格的利益説を代表する論者として、プライバシー権を「個人が道徳的自律の存在として、自ら善であると判断する目的を追求し、自己の存在にかかわる情報を開示する範囲を選択できる権利」*6と定義する。定義そのものの中に、「道徳的自律」という言葉が入っていることに明らかなとおり、人格的自律説を前提としない場合には採用不可能な説である。すなわち、純粋の一般的行為自由説では、情報プライバシーという概念をそのまま採ることは不可能である*7

 情報プライバシー権説は、その権利の適用範囲の拡散を、「自己の存在にかかわる情報」と概念づけることにより、基本的に防止しようとしている。しかし、それでも漠然とした概念であるところから、自己情報をさらに、プライバシー固有情報とプライバシー外延情報に区分し、そのどちらに属するかに依り、保護の度合いを変えるという手法を通じて、自己情報プライバシーのインフレ化を防ぐことになる。

 通常、容貌等の写真はプライバシー固有情報には属さない(卒業アルバムなどを考えれば明らかであろう)。そこで、周辺情報に対して、どの限度で保護が与えられるか、という形で論じられることになる。

 

 3 社会評価からの自由権

 一般的行為自由説を代表する論者である阪本昌成は、社会的評価をプライバシー権の中核とする。上記の情報プライバシー権説が、情報の流出自体をプライバシーの侵害として問題にするのに対して、阪本は、それ自体はプライバシーの侵害にはならないとする。プライバシー侵害が発生するのは、流出した個人データが社会的にマイナス評価の対象になり、当該個人が従来得ていた社会的評価が低下することに、プライバシー侵害を認められるとするのである。この結果、プライバシーとは、「他者による評価の対象となることのない生活状況または人間関係が確保されている状態に対する正当な要求または主張」と定義されることになる。より簡単に言えば、「社会の評価からの自由な領域の確保」といっても良い*8 「自己の存在にかかわる情報」というような歯止め手段を持たない一般的行為自由説が、社会的評価の低下という実害を歯止めとして活用することにより、プライバシー概念の空洞化を防いでいると理解することができるであろう。

 この説をとる場合には、監視カメラのように、一般に公表することを予定しない撮影行為については、プライバシー侵害を考える余地はないから、監視カメラの設置それ自体は、プライバシー権の侵害と構成されることはないであろう。

 4 その他のプライバシー権に関する見解

 いうまでもなく、以上は代表的な学説の対立を瞥見したに過ぎない。個々の学者ベースでいれば、さらに多様な概念が存在する。代表的な異説を2例挙げる。

 棟居快行は、対行政権の場面では基本的には第2説を支持しつつ、対マスメディアの場面では、「人間が自由に形成しうるところの社会関係の多様性に応じて、多様な自己イメージを使い分ける自由」と定義する*9これは、第3説に基づくプライバシー概念の一部受け入れといえる。

 また、芦部信喜は、プライバシー権を「個人の人格的生存にかかわる重要な私的事項(たとえば容ぼう、前科などの事故に関する情報)は各自が自律的に決定できる自由」と定義する*10。この説の場合には、プライバシー権を、自己情報コントロール権よりも一段広い自己決定権として捉えていることになる。

 

(二) 文字通りの「肖像権」とする見解について

 一般的行為自由説を採用する場合には、上述のとおり、肖像権をプライバシー権の一環として捉えられない以上、それを保護するためには、プライバシーとは別の無名基本権と考える必要がある。その典型例を、阪本昌成に見ることができる。阪本は、一般的行為自由説の主張者として、「『幸福追求権』は『一般的行為の自由権』の別称である」*11とするから、肖像権というものを特別の人権として把握する必要がない。そうした立場から、肖像権については、通説の場合にはプライバシーとは別の人格権を構成するはずだと批判し、本判決に言及している*12同じように、一般的行為自由説に立つ戸波江二も、府学連事件判決を13条から導かれる新しい人権の一種として紹介している*13。そして、プライバシーに関する説明では言及していないから、やはりこのような考え方をとっていると見られる。

 本判決に関する判例評釈では、光藤景皎をあげることができよう*14判決が「少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない」としている点を捉えて、「憲法13条を国家権力の行使に対するものと一応限定して考えているようで、ただちに、私人対私人の関係に適用することはできないであろう」と述べているからである。宴のあと事件に代表される私法上のプライバシー権説は、私人対私人の関係においてもっぱら問題になる権利であること、自己情報コントロール権説も、私人間適用を予定していることを考えると、ここに示された光籐の見解は、判例がプライバシーの権利と一線を画した『肖像権』というものを想定していると読むことができるはずである*15

 

(三) 表現の自由の消極形態とする見解について

 棟居快行は、監視カメラを表現の自由の侵害に当たるとする。なぜなら、

「公道、公園のような公共の場所は、地域住民のコミュニケーションの場としての機能を果たしている。そのような、いわゆる『パブリックフォーラム』の継続的監視は、公共の場での表現行為を萎縮させ、多数の市民の表現の自由を奪うものである」*16

 棟居快行自身は明言していないが、このようにパブリックフォーラムにおける表現の自由を奪われない権利の一環として肖像権を説明する場合、肖像権自体は、憲法21条の消極形態としての撮影されない権利として把握されていることになるはずであろう。

 このように、自己の意思に反して見られない権利というものを、21条で考えることができるというと、違和感を持つ人もあるであろう。しかし、212項はその明文で、通信の秘密(自己の意思に反して聞かれない権利)を保障していることを考えれば、自己の意思に反して見られない権利というものを、21条の枠組みの中で考えることは、十分に可能であることが理解されよう。私自身は、この自己の意思に反して聞かれない権利や見られない権利という概念等の上位概念として、前稿で論じたとおり、内心の平穏の権利という概念を認めるべきであると考えている。

 このように肖像権を21条に基づく権利と構成することの長所は、前稿で述べたのと同じ点、すなわち、肖像権が公的空間で侵害されるほど、保護の度合いが強まる点に求められるであろう。それに対し、プライバシー権で説明する場合には、それは基本的に私的度合いが強まるほどに、強い保護の対象となるのである。固有情報の方が、外延情報よりも強い保護を与えられる点にそれが端的に表れている。したがって、府学連判決で問題となったデモ行進時における「写真を撮られない権利」は、21条説にもとづいて萎縮効果から説明する方が、情報プライバシー権と説明するよりも、説得力があると考える。

 

二 公的空間における監視カメラ設置権

 前節に述べたように、肖像権を基礎づける説は様々に考えることができる。どの説をとるにせよ、監視カメラの設置は、それに対する侵害といえる。したがって、監視カメラの設置を基礎づけるだけの権能を設置者が保有し、監視カメラが存在することによって発生する法益が、その個別的状況の下で、肖像権を保護することにより得られる利益を上回る場合にのみ、設置が許されることになるというべきである。その設置を基礎づける権能は、カメラの監視対象となるのが、道路や公園等の公的空間であるか、私人の監守する建物の内部等の私的空間であるかによって異なると考える。本節では、公的空間の場合について論じる。

 

(一) 判例の見解=犯罪捜査権

 肖像権という人権の侵害を行政権が適法に行うためには、その侵害を合憲化する根拠となる権限が必要である。それについて、先に言及した府学連判決は、肖像権の限界と関連する形で次のように述べている。

「個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけでなく、公共の福祉のため必要のある場合には相当の制限を受けることは同条の規定に照らして明らかである。そして、犯罪を捜査することは、公共の福祉のため警察に与えられた国家作用の一つであり、警察にはこれを遂行すべき責務があるのであるから(警察法21項参照)、警察官が犯罪捜査の必要上写真を撮影する際、その対象の中に犯人のみならず第三者である個人の容ぼう等が含まれても、これが許容される場合がありうるものといわなければならない。」

 要するに、この場合には、犯罪捜査権という国法上の権能にもとづいて、京都府警は、肖像権を侵害することが可能だとしているのである*17

 監視カメラそのものに関する最高裁判決としては、自動速度監視装置により速度違反車両の運転者および同乗者の容ぼうを写真撮影することの合憲性を争った事件がある。この場合にも、府学連判決を先例とする形で同じように述べている。

「速度違反車両の自動撮影を行う本件自動速度監視装置による運転者の容ぼうの写真撮影は、現に犯罪が行われている場合になされ、犯罪の性質、態様からいつて緊急に証拠保全をする必要性があり、その方法も一般的に許容される限度を超えない相当なものであるから、憲法13条に違反せず、また、右写真撮影の際、運転者の近くにいるため除外できない状況にある同乗者の容ぼうを撮影することになつても、憲法13条、21条に違反しない」*18

 このように、犯罪捜査権にもとづいて、一定の限度で肖像権侵害がなし得ることは、判例として確立しているといえる。

 

(二) 防犯カメラの設置権

 個別・具体的な犯罪捜査の手段ではなく、一般的な防犯目的で監視カメラを設置する場合には、しかし、単純にこれらの判例に準拠して論ずることはできない。わが国で現在設置されている監視カメラの多くは、防犯目的であることを考えると、このように、防犯カメラ設置の根拠となる権利・権能は何かということを考えなければならない。設置主体が地方自治体である場合と、私的団体である場合とで異なってくると考える。

 

 1 地方自治体が設置した場合

 考え方の順序として、まず、都道府県レベルの組織が設置した場合から考えたい。

 現行警察法の下において、都道府県は、第一次的警察権を有している*19したがって、当該都道府県内に所在する地域の犯罪の予防に努める責務=権能は、都道府県(警察)に属している。この都道府県の有する地域防犯権が、この段階における一応の答となる。すなわち、都道府県は、犯罪が多発する地域における犯罪の予防手段として、警察官のパトロールを強化する責務=権能を有している。さらに一歩進めて、そうした地域の中心に、警邏の拠点となる交番その他の施設を設けるか否かの裁量権を有していると認められる。

 しかし、公務員の増員が厳しい状況の下で、週休二日制の導入以来、警察官の人員不足は厳しい状況にあり、既設の交番でさえも、警邏中は無人になっている場合が多い。そこで、人間の警察官に代えて、監視カメラを設置し、それを通じて警察官が監視し、必要に応じて出動する体制にするという裁量権の存在を考えることができる。都道府県は、このような防犯目的の警察権(以下、「防犯権」と略称する)を根拠として、防犯カメラ設置権能を有していると考えることができる。

 こうした見解に対しては、犯罪捜査のためですら令状なくしては、原則として許されない撮影行為が、単なる防犯行政のために可能になるわけがない、と批判する余地がある。しかし、刑事警察では令状なしでは許されない個人に対する強制行動が、交通警察や保安警察等の行政警察では、令状なしで警察活動することが許される、というのは確立した実務であり、判例である*20

 もちろんこれらの判例には批判も強い。したがって、そうした批判を採用する場合には都道府県が設置する監視カメラについても、違憲として否定するという結論が導かれるであろう。これに対して、そうした判決を、何らかの条件を付するにせよ許容する場合は、写真撮影というものは、直接的に強制力を行使するのではないから、適切な要件が存在する場合には、法律の明文の根拠がない場合にも、防犯のために、監視カメラを設置し、録画する権能が都道府県にあるとすることも可能と考えられる。

 市町村や特別区の場合にも、これに準じて考えられる。昭和29年に現行警察法が制定される前の警察法では、自治体警察とは市町村警察の意味であったことは、よく知られているとおりである。現行憲法秩序の下で、市町村等の基盤的自治体に、地域警察権を考えることが可能な端的な証拠である。現行法制においても、たとえば保健所の飲食店に対する立ち入り検査権など、市町村レベルの有する行政警察権は多数存在する。要するに、地域の安全確保の権能は、今日においても、地方自治法22項にいう「地域における事務」に属すると考えて良い。したがって、都道府県の防犯カメラ設置権について述べたことは、市町村にも妥当すると考えられる*21

 2 地元団体が設置した場合

 これに対して、町内会等の私的団体が、公的空間の監視用にカメラを設置した場合には非常に問題である。近代市民国家においては、自力救済の禁止原則の下、私警察作用が原則として禁止されるからである。国家に最大限個人の自由を尊重することを要求する自由国家理念が、別名、夜警国家と呼ばれることに端的に表れているとおり、警察活動は近代国家のもっとも中心的な活動であり、本来私人に譲ることができないところである。したがって、民間人が自警団を設立して、地域の警察活動に当たることは、原則的に違憲・違法であって、禁じられているところというべきである。そのように私人が直接防犯活動を行うことが禁じられている状況下で、すなわち防犯パトロール自体の合憲性が疑わしい状況下で、防犯パトロールに換えて防犯カメラを設置することを許容することは、原則として許されないと言うべきであろう。

 しかし、いくつかの例外を考える余地がないわけではない。

 第一に、資金等を民間に仰いでいるのであって、実際の管理運用を警察が行っている場合には、許容されると言うべきであろう*22

 第二に、警察力に依存することのできない緊急の必要性がある場合に、私警察活動が禁止されるものではないことは、例えば、私人による現行犯逮捕が予定されている(刑事訴訟法213条)ことに明らかである。したがって、私人が防犯カメラを公共空間に設置することも、同条の想定する緊急状況が存在するような場合であって、かつ例外を必要最小限度にとどめられる場合には、許容されると言うべきである。抽象的にいえば、

 ア 警察では十分な防犯活動が不可能な特別の事情があり、

 イ 自警活動による以外に適切な対応方法がない、

というような条件が必要であろう。

 

(三) 監視カメラ設置権の具体的内容について

 議論がこの段階に到達すると、実は、これまでに論じた様々な学説の差違は、あまり意味をもたなくなる。つまり、どの説の場合にも、その具体的内容としては、OECD8原則の遵守が求められるという結論になるからである*23それを受けて、個人情報保護に向けた様々なわが国における立法は、いずれも、このOECD8原則の具体化という形をとることになるのである*24ただ、憲法解釈論である限りは、そのベースになった説から、この8原則が演繹的に導かれなければならないのである*25

 これは決してわが国だけの問題ではない。たとえば、イギリスは、現在、世界でもっとも監視カメラが多数設置されている国として有名である*26そのイギリスで監視カメラの適正運営のために制定された1998年データ保護法は、監視カメラシステムの統括者など個人データ(個人情報)のユーザーが守るべき「データ保護8基本原則」を明らかにしている*27これを見ると、やはり基本的にOECD8原則を受けたものであることが判る*28

 肖像権を21条の消極的行使形態として理解する場合には、これらの規定の解釈運用に当たり、国の機関に対して厳しく、民間に対して緩やかに解釈するという方向性として把握することが可能である。

 ここまでは、監視権が存在すれば、それにもとづいて監視カメラ設置権を肯定できる、という前提で論じてきた。それに対して、監視権が存在することから、直ちに監視カメラ設置権を肯定することはできないという批判が存在する。

 その代表的な例として、棟居快行の、これまでもたびたび引用した論文を見てみよう。この論文は、大阪あいりん地区(旧釜が崎地区)という特定の地域に設置された監視カメラに関する訴訟で、原告側意見書として提出されたものをベースとしたものである*29

 その中で、警察の設置する監視カメラについて、それは警察官が現場をパトロールするのと同じではない、と批判している。

「肉眼による確認と記録の容易なカメラとでは、目的外利用の危険度が全く異なるうえに、警察官に対しては市民の側からその活動内容や権限の範囲を問い質することによるチェックが不可能でないのに対し、監視カメラの場合には、誰がどのような目的・権限の下で監視を続けているのかが不明である点で大きく異なる。」*30

 後半にある目的に関しては、さらに次のように批判している。

「監視カメラがいかなる目的に用いられるかは、実のところ不明である。ビデオ録画が実際上は容易であることから、粗暴犯の取締のみならず、警察内部で他の公安警察目的に転用され、特定思想団体のメンバーであることの割り出しなどに用いられる危険性がある。」*31

 これは、実のところ、このあいりん地区の監視カメラにおいて、上述したOECD8原則のうち、第3の目的明確化原則が守られていないという非難に他ならない。換言すれば、OECD8原則が厳格に遵守されている限り、監視権の存在と監視カメラ設置権はイコールになると考えることが許されよう。

 

三 私的空間における監視カメラ設置権

 私人が基本的に支配権を有する空間における監視カメラの設置権に関しては、前述のとおり、公的空間における監視カメラの設置とは、基本的に異なる判断を行うべきである。

 

(一) 私的空間の概念

 ここに私的空間とは、個人の住宅(入り口のドアホンに併設されている監視カメラ)はもちろん、商店、デパート、スーパーマーケット、小売市場、ホテルなど、私人の監守する建物の内部等が典型的なものである。さらに、官公庁が監守する空間であっても、その庁舎となっている建物の内部等、一般権力関係に服しない空間は、前述の公的空間における監視権の基礎が警察権にある以上、私的空間に属すると考えるべきである*32

 検討するべき領域として、商店街がある。公道に面した商店街の場合には、上述した公的空間と考えるべきである。これに対し、仮に、その商店街が商調法にいう小売市場の形態をなしている場合に、その商店街によって囲繞された空間が私的空間であることは疑う余地がない。それに準ずる空間、すなわち、私道に面し、アーケードなどで明確に他と識別しうる閉鎖性ある空間で、一般車両の進入を禁止している商店街のような場合には、一つの建物に収用されていない小売市場と同視して、商店の店内はもちろん、路上も私的空間と考えるべきであろう。

 これに対し、パブリックフォーラムとしての性格を有する空間は、例えそれが私有の建築物の内部空間であったとしても、公的空間と考えるべきである。両者を区別する基準を、憲法21条に求めているためである。

 

(二) 私的空間監守権の基礎

 ある建物の管理者が、防犯の必要上、管理対象である建物内の階段、廊下、トイレ、エレベータ等を監視できるカメラを設置するという行為は、近時、きわめて一般的になっている。これを肖像権との関係上、どの程度に許されるのか、という問題は、きわめて意見の分かれるところである。

 こうした私的空間内においては、監視カメラ設置の根拠となるのは、そうした私的空間の占有権者が有する施設管理権と考えるべきであろう。あるいは、ドイツにおける用語にいう家屋権(Hausrecht)と呼ばれる権利である。

 先に論じた公的空間の場合、被侵害利益を、情報プライバシー権と捉えるか、それとは別の肖像権と捉えるか、あるいは21条を根拠として論ずるかということは、結論に本質的な差違をもたらさない。それに対して、私的空間の場合には、顕著な差違が生ずる。

 すなわち、13条を根拠として論じる限り、情報プライバシー権ないし肖像権としての把握は、権利の侵害が行われたのが、公的空間なのか、私的空間なのか、ということは本質的に差違を示さないからである。このことから、そうした私人の設置する監視カメラについても一般的に否定する見解が存在する*33

 しかし、私はこういう建物管理の手段としての監視カメラは許されても良いのではないか、と考える。国内の凶悪犯罪は増加し続け、繁華街等の公的空間ばかりでなく、私的空間における凶悪犯罪が増加する今日、限られた費用で、最大の安全性を確保する手段を、各建物管理者が講じる ことは、その当然の権利と考えるからである。特に、大規模な建物内部、とりわけ通常の巡回などの人的対応では監視を行き届かせることの困難な階段、廊下、トイレ、エレベータ等の死角を、監視カメラを利用して監守することは、建物の管理責任者として認める必要性はきわめて大きい。こうした現実を、一片の理論を基に逆戻りさせることは不可能であり、今日の学説に求められているのは、それをいかに的確にコントロールする理論を提供するかにあると信ずる。

 そして、このように、私的空間における監守権を建物管理権者に広く承認しようという発想を採った場合、原則的に先に述べたように、見られたくないときに見られない権利として、21条の表現の自由の消極形態としての「内心の平穏の権利」というものを考えることは、大いに意味があると考える。

 すなわち、公的空間に対する公的機関による監守と、私的機関による私的空間における監守とでは差違を設けて考えることは、21条説をとって初めて可能になる。21条は、警察等の公権力による公的空間の監守の場合には、憲法の直接適用によって厳しく規制する。これに対し、21条は原則的に私人間には直接適用されないとする間接適用説に立つ場合には、民法90条違反と評価される著しい侵害段階になってはじめて監視カメラの使用が禁止される。すなわち、21条と私人間効力の理論を利用することで、公的空間と私的空間を区別する二重の基準を導入して解決することが可能となり、それが実際にも穏当な結論を導きうるのではないか、と考える。

 

(三) 監守権の限界とその確保

 このように原則的に承認するということは、どのように監視カメラを設置するのも自由ということを意味するものではない。当然に、防犯目的を達成するのに必要にして、かつ、被写体の権利の侵害を最小限度にとどめるような節度ある監守が要求されるのは当然のことである。

 この点で、非常に参考になるのが、ドイツにおける法制である。同国では、2002年に連邦データ保護法(Bundesdatenschutzgesetz)が改正された*34新たに挿入された同法6b条は一般に立ち入り可能な場所(offentlich zuganglicher Raume)に対するビデオカメラによる監視(Videouberwachung)を認める条項を挿入した*35

 その12号には、家屋権(Hausrecht)の保障に役立つ場合ということが挙げられている。すなわち、家屋の入口などに対するビデオによる監視の許容がここに明確にいわれていることである。このことに明らかなように、同法にいう「一般に立ち入り可能な場所」という概念は、本稿にいう私的空間の意味である。同条を根拠に、道路や公園などの公的空間の監視を行うことはできないと解釈されている。

 同法では、監視(Beobachtung)されているという事実が、関係者に認識可能でなければならないとした。また、監視という概念と、それによって得られたデータの処理・利用(Verarbeitung oder Nutzung)という概念を区別し、それが許容されるか否かは、監視の可否とは別に判断しなければならないものとしている。さらに、データの他の目的への転用は国家ないし公的な安全に対する危険を回避し、犯罪の防止に役立つ場合に限って認められるとしている。そして、データはもはや必要がなくなった場合には直ちに消去されなければならない。

 ドイツでは、単にこのように、どこまで私的空間での監視権が認められるかについて、明確に実定法が定められているだけでなく、その実効性を確保する具体的な機関としてデータ保護オムブズマン(Beauftragter fur den Datenschutz)と呼ばれる独立機関が設けられ、関係者間の利害の調整活動を行っている。データ保護オムブズマンは、連邦及び各州に設けられいるが、その活動は非常に活発である。データ保護活動の具体的内容は、毎年度に年次報告(Datenschutzbericht)が出されている*36それを見ると、様々な私的空間におけるビデオ監視における具体的な限界の設け方の難しさが良く表れている。このような実際を見ても、わが国としても、同様の独立機関による対応を検討するべき段階に到達していると考える。

 もちろん、ここで問題とされているのは、基本的に監視対象者の同意が得られない場合についての管理権の限界である。

 すなわち、監視対象者の同意が得られる場合には、監視カメラの設置が許容される範囲は拡大される。米国では住宅街を高い塀で囲み、数ヶ所のゲートから住民が出入りする「要塞型」の街が80年代後半から増加し、90年代末で全米で2万ヶ所あり、800万人が居住しているという。これに対して、日本では、建築基準法などにより、団地内の道路を公道とすることが事実上義務付けられており、米国のようなスタイルは導入できない。そこで、近時の報道によれば、警備保障会社と組み、ITを活用するして、街ぐるみ要塞化した「タウンセキュリティ」により安全性を高める工夫がされている*。このように、被侵害者の側の権利放棄により、監視カメラの設置範囲は当然に拡大しうることになる。

 

[終わりに]

 以上に見たように、監視カメラに対する規制は、公的空間と私的空間で異なるべきであると考えるが、何れの場合にも、それに対応した適切な立法を行うことが、早急に期待されていると言えるであろう。

 それにも拘わらず、国の対応が鈍い中、一部地方公共団体が先行的に条例を制定する動きが顕著になっている。例えば、杉並区の作成した「杉並区防犯カメラの設置及び利用に関する条例」(平成十六年三月十九日条例第十七号)がある*37残念ながら、その先行的努力は評価するものの、上述した二種類の空間の相違を把握しておらず、両者に共通に対応したものとなっているなど、不十分な内容にとどまっている。

 今後、こうしたわが国内外の先行事例に対する積極的な批判を通じて、わが国としての法的規制が確立されるべきである。また、ドイツに見られたように、そこで発生する紛争を専門に解決する機関の設置も期待される。

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*1 拙稿「内心の静穏の権利」日本大学法学部法学研究所刊『法学紀要』46巻(200531日刊)215頁〜242頁参照。この論文は、このホームページ上にすでにアップロードしてある。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/ronbun/seion-no-kenri.htm

*2 京都府学連事件の最高裁判所大法廷昭和441224日判決については、最高裁判所刑事判例集23121625頁ないしLEX-DB 27681653参照。

*3 京都府学連事件最高裁判決が、写真とられない権利のことを肖像権と呼ぶことに躊躇いを示している理由は、民事上の肖像権概念との混同を恐れたものと思われる。すなわち、民事上、肖像権はパブリシティの権利ともいわれる。たとえば、おニャン子クラブ事件 東京高判平成3926日判決(判例時報14003頁=LEX-DB27811190)は、この種の肖像権について次のように定義した。

「固有の名声、社会的評価、知名度等を獲得した芸能人の氏名・肖像を商品に付した場合には、当該商品の販売促進に効果をもたらすことがあることは、公知のところである。そして、芸能人の氏名・肖像がもつかかる顧客吸引力は、当該芸能人の獲得した名声、社会的評価、知名度等から生ずる独立した経済的な利益ないし価値として把握することが可能であるから、これが当該芸能人に固有のものとして帰属することは当然のことというべきであり、当該芸能人は、かかる顧客吸引力のもつ経済的な利益ないし価値を排他的に支配する財産的権利を有するものと認めるのが相当である。」

 この種の肖像権は、この判決文に明らかなとおり、財産的権利であって、本稿が問題としている精神的自由権に属するものとははっきり異質である。したがって、肖像権という用語を使用する場合、これとの峻別が重要である。

*4 本文では、私法上の紛争については、私法上のプライバシー権とするのが判例であると述べたが、下級審判例の中には、情報プライバシー権的理解を私人間の争いに適用するものもないではない。例えば、「ノンフィクション『逆転』」事件東京高裁平成195日判決は、次のような表現を行っている。

「個人に関する一定領域の事柄について、社会的評価が及ばないものとし、他人の干渉を許さず、それによって人格の自律性や私生活の平穏を保持するという利益(以下「プライバシー」という。)も、このような人格的法益の一環として私法的保護の対象となるものと考えられるところ、右のような領域に属する事柄についての情報を他人がみだりに公表することは、右利益の侵害に当たるものというべきである。」(判例時報132337頁=LEX-DB27804971参照)。

但し、この引用文中、「社会的評価が及ばない」という表現は、本文で第3説として紹介している社会評価からの自由権説の影響も見られるという実に玉虫色の表現である。

*5 棟居快行は、私法上のプライバシー等も、このような事案で主張しうるとする。棟居『憲法学再論』(信山社)「監視カメラの憲法問題」279頁以下参照

*6 情報プライバシー権に関する定義は、佐藤幸治『憲法【第3版】』青林書院、453頁より引用。

*7 一般的行為自由説では、定義の問題を除外しても情報プライバシー権の概念を承認できないであろう。なぜなら、一般的自由を承認する以上、固有概念と外延概念を区別できない結果として、自己情報の範囲は無限に拡大し、噂話や思い出を語る際にも、他者について言及することが一切不可能になってしまうであろうからである。

 

*8 本文引用の阪本昌成の主張については、阪本『プライヴァシー権論』日本評論社、7頁以下参照。

*9 棟居快行の主張については、棟居『人権論の再構成』信山社、185頁以下参照

 

*10 芦部信喜『憲法【第3版】』岩波書店、118頁参照

*11 阪本昌成のプライバシー権の定義については、阪本『憲法理論U』成文堂、240頁より引用。

*12 阪本注11前掲書246頁以下参照

*13 戸波『憲法【新版】』ぎょうせい、175頁参照

*14 光藤景皎・別冊ジュリスト31150 「犯罪捜査目的の写真撮影と肖像権」参照。

*15 一般的行為自由説と人格的自律説の対立が、この点に関する見解の相違を常に導いていると見ることはできない。例えば、樋口陽一は、戸波江二と同じように、プライバシーに関する議論とは切り離して本判例を説明している(樋口『憲法』創文社、272頁)。逆に、一般的行為自由説をとる長谷部恭男は、肖像権をプライバシーの一環として説明している(『憲法【第3版】』新世社、160頁参照)。

*16 棟居快行『憲法学再論』(信山社)「監視カメラの憲法問題」284頁より引用

*17 本論から少しずれるが、府学連事件判決は、肖像権を憲法上の権利として明確に承認したことから高く評価される傾向があるが、その点を除くと、もっと厳しく批判されるべき判決と考える。その批判は本文引用部分に続く次の議論に対するものである。

「そこで、その許容される限度について考察すると、身体の拘束を受けている被疑者の写真撮影を規定した刑訴法2182項のような場合のほか、次のような場合には、撮影される本人の同意がなく、また裁判官の令状がなくても、警察官による個人の容ぼう等の撮影が許容されるものと解すべきである。すなわち、現に犯罪が行なわれもしくは行なわれたのち間がないと認められる場合であつて、しかも証拠保全の必要性および緊急性があり、かつその撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもつて行なわれるときである。このような場合に行なわれる警察官による写真撮影は、その対象の中に、犯人の容ぼう等のほか、犯人の身辺または被写体とされた物件の近くにいたためこれを除外できない状況にある第三者である個人の容ぼう等を含むことになつても、憲法13条、35条に違反しないものと解すべきである。」

 この論理のどの辺に問題があるのかを端的に説明するには、次の下級審判例を見て貰うのが一番簡明であろう

 本件事件と同じように、警察がデモ行進を写真撮影した事件で、次のような理由から警察の撮影を、大阪地裁は違法としたのである。

「集団示威運動は参加者の思想を公に発表する目的で行われるものであるから、その状況を写真撮影されることは参加者等が事前に認容しているところであつて何等違法と言いえないと考えられるが、本件の如く容貌を目的として撮影される事までは一般に集団示威運動に参加する者が認容しているとは言えないと考えられる。顔写真の撮影は一見任意捜査であるかのように思われるが社会通念上無形の強制力を馳駆して、個人の平穏な生活を侵害するはもとより、憲法上保障された諸権利や個人の尊厳を害する惧れある行為であり(なお刑事訴訟法196条参照)、又一方実定法の上より見ても刑事訴訟法2182項の規定の反面として身柄の拘束をうけていない被疑者の写真撮影は令状を要し同法1971項但書にいう強制の処分に含まれるものと考えられるから、被疑者の承諾なくしてその写真を撮影することは犯罪の種類、性質、捜査方法等よりして真に止むをえないような特別の事情の存する場合を除き違法と言わねばならない。そして本件の場合被疑者たる本件被告人等が写真撮影されることを黙示的にでも承諾していたと言えないことは同人等が前記撮影に抗議している点よりして明らかであり、又写真撮影が真に止むをえないような特別の事情があつたとも認められないので、本件写真撮影は違法と言わねばならない。」(大阪地方裁判所昭和361223日判決=判例時報2875頁=LEX-DB 27682744

 この二つの判決文を読み比べれば、府学連判決が、明らかに捜査の都合ということを過大に評価していることが明らかといえるであろう。

 

*18 自動速度監視装置に関する判例については、最高裁判所昭和61 214日判決=最高裁判所刑事判例集40148頁=LEX-DB27803409参照

*19 警察法上の根拠を次ぎに示しておく。

36  都道府県に、都道府県警察を置く。

 都道府県警察は、当該都道府県の区域につき、第2条の責務に任ずる。

2  警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。

 警察の活動は、厳格に前項の責務の範囲に限られるべきものであつて、その責務の遂行に当つては、不偏不党且つ公平中正を旨とし、いやしくも日本国憲法 の保障する個人の権利及び自由の干渉にわたる等その権限を濫用することがあつてはならない。

*20 例えば、ドライバーが飲酒運転していないか否かを確認する手段として、ネズミ取りを設け、通りかかるすべての自動車に止まるように指示して呼気テストをするのは、その典型的な例と言える。その延長線上の問題として、判例は、銀行強盗が発生し、非常線を張った際に、不審者の鞄を開ける行為は令状なしで許されるとする(最高裁判所昭和53 620日判決=最高裁判所刑事判例集324670頁=LEX-DB27682160)。

 また、保健所員が飲食店の衛生状態を検査するため、令状なしで立ち入り検査ができる。それと同じように、税務署員による家宅捜査には令状が不要であることとする(川崎民商事件=最高裁判所昭和471122日判決=最高裁判所刑事判例集269554頁=LEX-DB21040750 )。

*21 都道府県や市町村が、公共空間に防犯カメラを設置することは、仮にそれがOECD8原則を厳格に遵守する形で運営されているとしても、常に許容される訳ではない。例えば、東京都杉並区が、その区内に施設を有する宗教団体アレフ(オーム真理教の後身)の監視用にカメラを設置した事件があった。この場合に監視時点においては、アレフは団体規制法に基づく公安調査庁の監視下にあった。団体規制法は公共の安全と私的団体の活動の自由のぎりぎりの接点として一定の監視を公安調査庁に許容しているのであるから、法的に許容されていない監視を、それに重ねて地方公共団体が実施することは、違憲・違法と評価するべきであろう。なお、この事件は、アレフ側が監視カメラの撤去を求めて訴えを提起したのに対して、第1審では杉並区側が勝訴したが、第2審で、裁判所の和解勧告により、杉並区が監視カメラを撤去して終結している。

 

*22 東京の新宿歌舞伎町の防犯カメラは、その代表例ということができよう。

 

*23 OECD8原則とは、1980年にOECDOrganization for Economic Cooperation and Development 経済協力開発機構)が行った「プライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関する理事会勧告」で示されたものである。すなわち

(1)(収集制限の原則)

個人データの収集には制限を設けるべきであり、いかなる個人データも、適法かつ公正な手段によって、かつ適当な場合には、データ主体に知らしめ又は同意を得た上で、収集されるべきである。

(2)(データ内容の原則)

個人データは、その利用目的に沿ったものであるべきであり、かつ利用目的に必要な範囲内で正確、完全であり最新なものに保たれなければならない。

(3)(目的明確化の原則)

 個人データの収集目的は、収集時よりも遅くない時点において明確化されなければならず、その後のデータの利用は、当該収集目的の達成又は当該収集目的に矛盾しないでかつ、目的の変更毎に明確化された他の目的の達成に限定されるべきである。

(4)(利用制限の原則)

個人データは、明確化原則により明確化された目的以外の目的のために開示利用その他の使用に供されるべきではないが、次の場合はこの限りではない。

 (a データ主体の同意がある場合、又は、

 (b 法律の規定による場合

(5)(安全保護の原則)

個人データは、その紛失又は不正なアクセス、破壊、使用、修正、開示等の危険に対し、合理的な安全保護措置により保護されなければならない。

(6)(公開の原則)

個人データに係わる開発、運用及び政策については、一般的な公開の政策が取られなければならない。個人データの存在、性質及びその主要な利用目的とともにデータ管理者の識別、通常の住所をはっきりさせるための手段が容易に利用できなければならない。

(7)(個人参加の原則)

個人は次の権利を有する。

 (a データ管理者が自己に関するデータを有しているか否かについて、データ管理者又はその他の者から確認を得ること

 (b 自己に関するデータを、

  (i)合理的な期間内に、

  (ii)もし必要なら、過度にならない費用で、

  (iii)合理的な方法で、かつ、

  (iv)自己に分かりやすい形で、

  自己に知らしめられること。

 (c 自己に関するデータに対して異議を申し立てること、及びその異議が認められた場合には、そのデータを消去、修正、完全化、補正させること。

(8)(責任の原則)

データ管理者は、上記の諸原則を実施するための措置に従う責任を有する。

*24 個人情報保護法の制定に当たり、それがOECD8原則の国内法化であることを明確にわが国政府が説明しているものとして、首相官邸ホームページにおける次のファイル参照。

http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/hourituan/kentou.html

 又、「OECD8原則と個人情報取扱事業者の義務の対応関係」と題するファイル参照。

http://www.kantei.go.jp/jp/it/privacy/houseika/hourituan/pdfs/03.pdf

 

*25 OECD8原則を、憲法理論の流れとして導いている具体例として、情報プライバシー権の主張を紹介する。

「プライヴァシーの権利が、上述のごときものであるとすれば、公権力がその人の意思に反して接触を強要し、その人の道徳的自律の存在にかかわる情報(仮にこれを『プライヴァシー固有情報』と呼ぶ)を取得し、あるいは利用ないし(対外的に開示することが原則的に禁止される。この種の行為に対しては、憲法212項後段(通信の秘密の保障)・35条(住居侵入・捜索・押収に対する保障)・381項(供述不強要の保障)あるいは19条(思想・良心の自由)や21条(表現の自由)などによっても保護されているところであるが、これらの条項が妥当しない場合に補充的に13条のプライヴァシーの権利(その意味で『一般的プライヴァシー権』)が妥当することになる。〈中略〉

 公権力が、個人の道徳的自律の存在に直接かかわらない外的事項に関する個別的情報(仮にこれを『プライヴァシー外延情報』と呼ぶ)を、正当な政府目的のために、正当な方法を通じて取得・保有・利用しても、直ちにはプライヴァシーの権利の侵害とはいえない。が、かかる外的情報も悪用されまたは集積されるとき、個人の道徳的自律の存在に影響を及ぼすものとして、プライヴァシーの権利の侵害の問題が生ずる。"データ・バンク社会"の問題は、まさにこれである。プライヴァシーの権利は、上述のように、自己に関する情報をコントロールする権利であるから、それは、その人についての情報の@取得収集、A保有およびB利用・伝播、の各段階について問題となる。したがって、この権利の十全な実現のためには、法律により、政府諸機関に対して、個人に関する情報の取得収集、保有および利用・伝播の各段階について規制を加えるとともに、政府機関がどのような個人情報システムを保有するかについて公表することを義務づけ、個人情報の主体に政府諸機関の保有する記録についての具体的アクセス権および訂正・削除要求権を付与する必要がある。」(佐藤幸治・第3453頁以下より引用)

 以下、この具体化として、昭和63年に制定された「行政機関の保有する電子計算機処理に係る個人情報の保護に関する法律」について佐藤幸治は論じている。今日であれば、「個人情報の保護に関する法律(平成15年法律第57号)」がそれになる。

*26 イギリスにおける監視カメラの設置状況については、様々な文献があるが、最新の状況を示すものとして、次のサイトが参考になる。これは、セキュリティ産業新聞社が設けているホームページに掲載されたロンドンタイムズの記者に対する20055月時点でのインタビューという意味で、信頼性が高く、最近の状況を示していると思われるからである。2回に分けて掲載されており、それぞれ次のとおりである。

   http://www.secu354.co.jp/intv/intv05042501.htm

   http://www.secu354.co.jp/intv/intv05051001.htm

 内容を簡単に紹介すると、イギリスにおける監視カメラの設置台数は、全国で450万台を越すという。最新の国勢調査による人口に短期滞在の非居住者を加えて、約15人当たりに1台の勘定となる。また見方を変えて、もしも終日、外を出歩けば、約300台のカメラが自分の姿を捉えることになるという。

 

*27 イギリスにおける1998年データ保護法に盛られている「データ保護8基本原則」の概要は、次のとおりである。

 原則第1 個人データは、公正かつ合法的に取得されかつ処理されるものとする。

 原則第2 個人データは、一つ以上の特定かつ合法的な目的で取得されかつ目的外処理は許されないものとする。

 原則第3 いかなる目的で処理される個人データも、その目的との関連において、適切かつ妥当であり、また、過大であってはならない。

 原則第4 個人データは、正確、かつ必要な場合には最新に保たれなければならない。

 原則第5 個人データは、その目的に必要とする期間を超えて保有されてはならない。

 原則第6 個人データは、法の下で、データ主体の権利を認めた上で処理するものとする。

 原則第7 データの不正もしくは不法な処理、不注意 による紛失またはデータの破損を防ぐために、十分な技術と組織的な対策を講じるものとする。

 原則第8 個人データは、EU等の個人情報保護措置を講じていない諸国に移転してはならない。

 

*28 イギリスの監視カメラに関する制度については、PIJ監視カメラ対策立法プロジェクト・チーム(石村耕治=PIJ代表・白鴎大学教授)による「イギリスの現状ーイギリスでの監視カメラ規制」(CNNニュース3222頁以下)が詳しい(http://www.pij-web.net/参照)

 

*29 あいりん地区監視カメラ訴訟については、大阪地方裁判所平成 6 427日判決=判例時報1515116頁=LEX-DB27826141参照。

 

*30 棟居注16前掲書289頁より引用

 

*31 棟居注16前掲書288頁より引用

 

*32 警察は一般に「公共の安全と秩序を維持するために、一般統治権に基づき、人民に命令し、強制し、その自然の自由を制限する作用」(田中二郎『行政法』下Uより引用。)と定義されるからである。

 

*33 例えば、「監視カメラを拒否する会」(共同代表: 伊藤成彦・北野弘久・田島泰彦、福島至・村井敏邦)では、その様な憲法上の意見の下に、セブンイレブン等の商店の設置する監視カメラについて、異議を申し立てている。(http://www009.upp.so-net.ne.jp/kansi-no/参照)

 

*34 Dritten Gesetzes zur Anderung verwaltungsverfahrensrechtlicher Vorschriften vom 21. August 2002 (BGBl. I S. 3322)733項の定めるところにより、連邦データ保護法の改正は、2002828日より発効した。

 

*35 連邦データ保護法6b条の原文を次に紹介する。

§ 6b Beobachtung offentlich zuganglicher Raume mit optisch-elektronischen Einrichtungen

(1) Die Beobachtung offentlich zuganglicher Raume mit optisch-elektronischen Einrichtungen (Videouberwachung) ist nur zulassig, soweit sie

1.zur Aufgabenerfullung offentlicher Stellen,

2.zur Wahrnehmung des Hausrechts oder

3.zur Wahrnehmung berechtigter Interessen fur konkret festgelegte Zwecke

erforderlich ist und keine Anhaltspunkte bestehen, dass schutzwurdige Interessen der Betroffenen uberwiegen.

(2) Der Umstand der Beobachtung und die verantwortliche Stelle sind durch geeignete Masnahmen erkennbar zu machen.

(3) Die Verarbeitung oder Nutzung von nach Absatz 1 erhobenen Daten ist zulassig, wenn sie zum Erreichen des verfolgten Zwecks erforderlich ist und keine Anhaltspunkte bestehen, dass schutzwurdige Interessen der Betroffenen uberwiegen. Fur einen anderen Zweck durfen sie nur verarbeitet oder genutzt werden, soweit dies zur Abwehr von Gefahren fur die staatliche und offentliche Sicherheit sowie zur Verfolgung von Straftaten erforderlich ist.

(4) Werden durch Videouberwachung erhobene Daten einer bestimmten Person zugeordnet, ist diese uber eine Verarbeitung oder Nutzung entsprechend den §§ 19a und 33 zu benachrichtigen.

(5) Die Daten sind unverzuglich zu loschen, wenn sie zur Erreichung des Zwecks nicht mehr erforderlich sind oder schutzwurdige Interessen der Betroffenen einer weiteren Speicherung entgegenstehen.

 

*36 データ保護オムブズマンによる年次報告の一例として、ノルトライン・ヴェストファーレン(NRW)州のデータ保護オムブズマンによる1999年〜2000年を対象とした「第15次データ保護報告」を紹介する。原文は、次のサイトで見ることができる。

http://www.ldi.nrw.de/15_dsb/gesamt_15dsb.pdf#search='Datenschutzbericht%202001'

 それに対して、この報告中の、ビデオ監視に関する章に関してだけの抜粋ではあるが、非常に判りやすい邦訳が、次の文献に紹介されている。

 石村善治「ドイツにおける監視カメラ規制の現状」CNNニュースNO.392005/2/5発行)14頁以下。

 なお、この文献は、次のサイトで読むことができる。

    http://www.pij-web.net/

 

*37 代表的なものとして、積水ハウスが大阪市岬町で600戸規模の住宅団地を対象に展開している「リフレ岬 望海坂」がある。これは2002年から分譲が始まっているという。ここでは、警備員が24時間常駐 し、各住宅に設置された人の体温を検知する人感センサーで不審者の侵入があれば、警備員に連絡され、駆けつける体制ができている。さらに、タウン内入り口に1ヶ所、公園2ヶ所、合計3ヶ所にWebカメラを設置されており、住民はIDとパスワードを利用することで、防犯カメラの映像をインターネットを通じて見ることで、子供の登下校や公園で安全に遊んでいるかなどを 、どこからでも確認することができるという。(詳細についてはhttp://www.sekisuihouse.co.jp/bunjou/kansai/misaki/home.html参照)

*38 杉並区防犯カメラの設置及び利用に関する条例の原文は、次のサイトで読むことができる。

   http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library10/reiki_honbun/g1161318001.html