4月28日(土)
 AM0:00。「この先は楽しいことしか起こらない」と心に思い、クラッチミート。自宅を出発する。ロシアンラリー’2001の開催である。私として、6回目の「ロシアンラリー」である。
 
 昨年のロシアンラリー’2000では、最終日のラスト50kmというところの砂浜で、クラッチトラブルによりリタイア。バイクの方は一応日本に持ち帰ったが、長年の酷使がたたり、そのまま廃車にしてしまった。その屈辱を晴らすべく、選んだ今年の相棒は、やはり「HONDA XR250 Baja」。「二代目XR Baja」である。
バイクの装備としては、おおむね以下の通りである。
   ・ハンドル交換(Renthal
   ・ハンドルガード装着(Acerbis
   ・スキッドプレート装着(Cycle-AM
   ・マルチスクリーン装着(Rough&Road Rally790、ゼッケン貼り付け用)
 いつものように国道409号線を北上し、国道246号線を東進。環状8号線を北上して関越自動車道に入る。練馬I.C.に着いたのはAM0:45。ここのところ練馬I.C.に着くのはいつもこの時間である。
 
 その後は関越自動車道をひたすら北上する。例年、このロシアンラリーのプレステージでは常に何かのトラブルが発生する。今年は何が起こるのかな?と密かに期待していたが、特に何も起こらない。関越トンネルを抜けると気候が大きく変動するので、ここで何かあるかと思ったが、それでも何も起こらない。強いて言えばちょっと寒いくらいかなと言うところ。いたって順調なプレステージであった。
 
 順調に走り抜け、AM5:00前に北陸自動車道の黒埼P.A.に到着する。ここでロシアンラリー仲間である、下司さん,中西さん,前田さんと出会い、旧交を温める。そしてそろそろ出発するかと言う頃、AM6:00くらいになって、ロシアンラリー全回出場の松村さんが登場する。出発体勢であったが、またその場で話し込む。
 
 AM7:00頃になって、勝田石油に給油に立ち寄り、その向かいのコンビニで朝食の買い物をする。そこで昨年,一昨年と出場した、徳井さんがやってくる。見送りに来てくれたのだが、道がわからなくなったとのこと。皆でそこから集合地点である港に向かう。
 
 本来ならAM7:00から受付開始のはずなのだが、なかなか始まらない。AM8:00になって、やっと設営が完了し、受付が開始される。早くも“ロシア時間”の始まりであった。
 受付を終了し、ゼッケン番号をもらう。今年の私の番号は『2』番。本当なら21世紀初めてのロシアンラリーであるため『1』番を狙っていたが、そうはいかなかった。しかし1番手スタートではあるはず。
 
 AM9:00頃、友人である望月夫妻の訪問を受ける。今年もまた先行して荷物を送付しており、それを港まで届けていただいたのである。友人とは有り難い物である。
 受付,車検を終了し、昼食兼買い出しを終えた後、PM1:00より港にて開会式が行われる。今年は自己紹介などもこの場で行われる。エントラントとしてはリピータが多く、見知った顔が多いが、スタッフ側にそれが少ないことが今年の特徴という気がした。ちなみに今大会の参加台数は、2輪が35台,4輪が18台とやや少な目。
 
 開会式終了後、いよいよ乗船となる。今年の船室は102号室。同室者の顔ぶれが凄かった。全回出場の松村さん、7回目出場の下司さん、3回目出場の中西さん、そして6回目出場になる私の4名である。濃いリピーターの集まりとなった。そのせいなのか、窓が開かず、そのため空気がよどみ、暑い部屋である。また、碇の上げ下げの音がガラガラと聞こえる。なので通称“お仕置き部屋”と名付ける。
 
 徹夜で走ってきた疲れもあり、荷物の片づけもそこそこに寝入ってしまう。目が覚めた頃には船は既に新潟港を離れていた。またロシアへ向かうのだという実感が沸く。
 
                     
                         翌日(4月29日へ)