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 見事なカサの忘れっぷり。

 こんな日に定刻どおりバスが着くはずなくて、もう最初に期待から除外していた。
 でもそれでもなんでもいいから早く来てっと、矛盾承知でかじかむ手を組んだ。
 秋が深まり始めた矢先の雨は、夏と冬の合間の制服に斑点模様をつけて広がって、一緒に体温まで奪っていく。

 わざわざ誰にも言ったことないけれど、実は雨に濡れるのが嫌いだ。
 しかも、それを人に見られるのなんて最高に嫌いだ。
 世界中の不幸を背負ってるように見られるのが。
 それでもちっちゃなプライドあって、精一杯強がっているんだなって思われるのが悔しかった。
 なんでもいいから早く来てっと、もう一度強く祈って、空を仰いだ。
 髪の毛の先に溜まっていた水滴が頬に流れて、涙のあとみたいになった。

 そうしたら急に雨が止んだ。

 バス停の前の車道を走る車は、アスファルトにできた水溜り、蹴散らすように走っていく。
 タイヤの筋からかろうじて逃れていた水溜りの一つに、とめどなく円が浮かんでは消えていくの、見えた。
 雨、まだやんでない。

 でも制服のそでのところ、猛スピードで増え続けていた斑点模様、少しずつ薄まってきている。
 そういえば。今空だと思ったところには、たくさんの水滴が宙に浮いていておかしなことになっていた。
 不自然に左に傾きすぎた銀色の棒の先に、濃紺色の背広の肩があった。
 仕事ができそうなゴツゴツとした手を見る。そこから外枠のラインをたどって、左肩、首を通過してそのまま右肩へたどりつく。
 色の系統も分からないくらい濃く染まって広がって。

(……そっちの肩、濡れてますよ)
 じゃない。
 そのひねくれた思考をなんとかしろと思った。

 隣に立っている背広姿の男性。どういう種類の仕事する人なのか。
 二人で分けて住み合うにはけして向かない、安い値段相応の小さなビニールのカサ。
 そこから勝手に推理をしたら、とりあえず仕事場には彼女いないってことなんじゃないかと確認がとれて。
 だってこの男性の、この傾けられた優しさの中に入るの、申し訳ない気がして。
 向こう側で濡れてる肩、誰かのものかもしれないと思ったら。
(ああだから)
 だから私は最大級のお礼と謝罪をしなくちゃいけないんだ。

 そうしたらこちらの事情なんかお構いなしで、5分遅れのバスが到着して。
 ぷしゅーとドアを開いて乗客を招き入れる準備、万端にした。
 バス停に列を作っていた5人の乗客がみな、前の人から順番に車内へ吸い込まれていく。
 私は最後尾だった。
 カサがたたまれて、ステップに足がかかる。高そうな革靴に泥が跳ねていて。
 最後の最後まで優しかった背中に思わず手を伸ばした。

「……え?」
 背広姿の男性は驚いて振り返った。
 自分の上着の裾を掴む女子高校生を見て、目を丸くする。
 バスの屋根で倍に大きくなった雨粒が、二人の間を裂いていた。
 たくさん鼻の頭にぶつかったけれど、躊躇しないで。
「すみませんありがとうございましたっ。迷惑ついでに質問させてください、彼女いますか?」
「……は?」
 真剣です、と目に力を込める。
 いない、ですけど。と、いまいち意味を理解しないで、勢いに負かされた感じで答えが返って来る。
 間髪をいれずに押しまくれっと女の本能が言った。
「あなたがかなり私好みなんですけどもっ。お茶一杯おごらせてくれませんか。どうですか」

 制服のしみが急速に増えて広がっていくの、感じていた。
 雨に濡れるのが嫌いだ。
 実は人に見られるのなんて最高に嫌いだけど、大丈夫だった。
 今、幸せに手をかけているから。
 ちっちゃなプライドなんか捨てられる。

 ブーと不機嫌な音をバスが発した。
 ただでさえ、雨のせいで遅れがでているのに。
 溜め息もつけてそえて、マイクから業務的な声が割り込む。

「お客さん乗りますか、乗りませんか。男ならはっきりしなさい」

 

 

 

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