+クッキーの効能+ ++TOP

 

 
 
 朝のSHRが終わって、担任が出て行ったあとに。
 残されていた名簿は、昼休みまで教卓の上にあって。
 気づいた人が運ぶこと。
 ナオは目の中に映ったそれに、ありがたくもご指名をたまわった。

「失礼します」

 職員室にはいっぱい人がいた。
 この学校の方針でいうと、生徒に開かれた職員室を目指しているそうだ。
 休み時間なら、生徒は特に用事がなくても好きに出入りをしていいそうだ。
 だから本当は、今から失礼をします、なんて宣言はいらない。
 でもここはやっぱり敵地だから、ナオにとっては宣戦布告に近い。

 ちらり。
 映った、狭い机の上ではモノの洪水が起きていた。
 あの資料室と一緒で、いったいどれだけモノがなくちゃ安心できないんだって。
 他の先生にはもう呆れられてる。
 教頭先生には毎日叱られてる。
 そのたびに、先生はきっちり反省して、片づけをするんだけどすぐ、一週間ぐらいしたら元に戻ってしまうのだそうだ。

「なんでだろう……」
 腕を組んで首をかしげるのは先生だけで。

 知ってる。
 先生は捨てられない病、だ。
 もらったモノとか、表彰状もノートの端っこをやぶいたメモも、同じように大事にする。
 モノに価値を見つけるのがうまくて。
 それが自分にとってどれくらい大切なものかはかる目盛りが細かいから。
 捨てられない。
 大事なモノをいっぱい持ってる人だ。

 甘ったるいにおいがする。
 くんくんと鼻をきかせると、職員室の隅っこに出所があった。
 女子生徒が何人かと、若い、と振り分けられる先生たちが、お茶飲み場で談笑していた。
 しっかりとそこに仲間入りしていた先生は、かわいいラッピングのクッキーを渡されて、世界で一番幸せそうな顔をしている。
 もう両手いっぱいに溢れていて、机の上もいっぱいに溢れていて、どうするんだろう。
 窓際の席で、教頭先生が渋いお茶を飲んだときの顔をしていた。

 ナオはきょろきょろと、担任を探した。
 なかなか見つけられない。いつも見慣れているちょっとてっぺんのさみしい頭。 
 自分の目は限定仕様なのか。悟ってげんなりしたけれど、どうやら本当に不在みたい。 

「町田?」

 危い、のに。約束をしたのに。
 軽々と、線を飛び越えて。次々と記録を更新して。
 なんでもない顔で、先生はナオを見つけた。
 職員室の真ん中で途方にくれていた生徒に、先生は親切に声をかけただけだった。
 大事で大切な生徒に。

 だからナオは、担任に渡しそびれている名簿をちょっと持ち上げてみせた。
 ああ、と納得したように先生は頷く。

「志垣先生、今ちょっと外に出てるから」

 だからその志垣担任の代わりに、と先生の指が名簿の端っこにかかった。
 ひっかかった。
 それは、ナオが反対側の指を、離さなかったからで。

 先生のちょっとびっくりした顔で、ナオもつられてびっくりした。
 ごめんなさい、って謝ろうとして、指を離そうとした。
 その前に一瞬だけ、名簿が、二人の空いた隙間を隠した。

 最初、影がかかって暗いな、と思って、あれ、と思って。
 反応するの、忘れた。

 ここ、どこ?

 瞬きでこぼれたナオの疑問に、目の前の人はなんでもないように答える。

「職員室」

 ナオは呆然と、持って行かれた名簿を見つめた。

 もしかして先生は、世界のすべてが自分の味方だ、とか思ってるんだろうか。
 教頭先生も、ほかの先生も、生徒も。みんな。
 人類の歴史上、そういうことってありえるのかな。
 ねえ先生?
 ナオは顔を上げた。上げる瞬間まで、プロフェッショナルの意見を聞いてみよう、と思っていた。

 先生は、一人の生徒を見下ろして、ただ笑う。
 大事で大切なモノを。
 名簿なんかでは、隠し切れない笑顔で。

「失礼、しました」

 ナオはぺこりと頭を下げて、くるりと回れ右をした。
 映った、窓際の教頭先生の顔が渋い、ような気がする。気のしすぎなような気もする。
 ここは先生たちの場所だから、敵地で、最初からナオの分が悪くて。

(あ)

 ナオは、職員室のドアを閉じたところで思い出した。
 制服の下にこっそり忍ばせておいたクッキー。
 家庭科の時間に作って。余って。
 ナオはぺろりと唇を舐めた。甘い味がする。

 先生にはちょっと反省が必要だった。
 やっぱり教頭先生あたりに叱ってもらわないと。

 これは、自分でなんとかしよう。うんと大事にしてあげよう。
 世界で一番の、とびきり幸せモノにしてあげる。 

 

 

 

 

 

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