黒猫と雨のシリーズ/教室に降る雨+ 1+

 

 1

 ぼたぼた、と天井から雨が降ってきた。

 ノートに落ちて、じんわりと波紋が広がった。
 濃い色から薄い色へと。
 赤が黄を巻き込んで、青へと足を伸ばす。

「ぎ、ぎゃー!!!」
 と、叫んだ声は自分のものではなく、佳代子のものだった。
 頭を抱えて泣きそうになった顔も自分のものではなく、佳代子のものだった。
「ちょっとどうしてくれんのよ!!!」
 と、怒り狂った抗議も。
 ぐっしょりと濡れたトレーナーを掴んだ手も。
 自分のものではなく、全部佳代子のものだった。

「スミレのノートは、私、ひいてはクラスみんなのものなのよ!!!」

 そう。
 この机の上で、幾つかの七色の波紋を描くノートだけが、自分のものだった。

 昼休み。
 次の授業は古典。
 担当するのは日吉先生(生徒からひよじいという相性で呼ばれる)
 彼の声がつむぎだす授業は、おそろしい睡眠効果をもたらす。
 けれど、けして居眠りしている生徒を叱らず、そっとしておいてくれるので、生徒からは仏のひよじいと呼ばれている。
 しかし、彼が学期末の最後にノートを提出させて、生徒を評価するような。
 そんな最高に理不尽な先生だと判明したのはつい、最近のことで。

 古典は好きな科目だった。

 原文を写し、その下に現代語訳を書き、読み方の難しい言葉には歴史的仮名遣いを添え、先生の解説でスペースを埋める。
 それを全部好みの色で作っていたら、こんなカラフルなノートになっていた。
 クラスメイトが、自然と様づけをしてくるほどの出来になっていた。
 おもに、スミレ様〜と呼ばれるのは、古典が終了した直後の休み時間から、今のような、次の古典の授業が始まる直前の昼休みまで。 

「ちょっと大野、ちゃんと聞いてんの?!」

 その剣幕に少し、たじろいだ。
 ように見えたのはスミレの勘違いだったかもしれない。
 大野はむっつりとしたいつも通りの表情で。
 本当にいつも通りなので、それが余計に佳代子の癇に障るようだった。

 佳代子がトレーナーの襟元を掴んで盛んに揺するので、大野から水滴が飛び散った。
 冷たい、と四方から注意される前にチャイムが鳴り響いた。
 古典の授業開始5分前を告げる予鈴。
 試合終了。
 我に返ったらしい佳代子は慌てて、ノートのコピー作業に戻った。
 解放された大野は、ぐっしょりと濡れて重たそうなトレーナーをぬぐことができた。
 どうやら外ではまだ、かなりの量の雨が降っているらしい。

 ぴしっと隣の席に座っていたスミレの頬に、冷たい水滴が降ってきた。
 大野が、佳代子曰く、無表情無愛想無風流の三拍子を有する大野が。
 ちらりと、視線を寄越してきたのはそのときだ。

(あれ)

 制服の白いワイシャツ姿になった大野。
 髪から滴る雫を横目で見ながら、スミレは首をかしげた。
 雨がっぱ代わりに着ていった、ロゴ入りパーカーはどうしたんだろう……?

 

 

 

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