+水の中+

 

 そこに水があって。
 バケツに一杯、児童公園の砂場で。
 誰かの忘れ物に雨水たまってて。

 夕時で、カラスは鳴かないのに他に人の姿はなかった。

 さみしいな。

 家に帰ってドアノブを回してもカギがかかっている。
 公園の隅のベンチで蚊うっとうしいな、って思いながら制服のまんまで。
 いつまでこうしてよう。って思ってた。
 頭痛がひどくなるくらい深刻な悩みも抱えてないし、友達に自慢できるような出来事も起こってないし、寝る間も惜しんではまってることなんてないし。……
 なんだか、からっぽ。さみしいな。

「お一人ですか」

 いきなり、なんで見れば分かることを聞くんだ?こいつ。
 溜息をつきながら、声の主を探った。
 とりあえず、見極めなければいけない。おかしい人ではないか。
 一、言動はバツ。おかしい。
 ニ、外見は……まあまあ。どっかの確かすっごいお金持ちのなんかって学校の制服で。
 かわいい感じの顔。体つきはガッシリ系だけど。スポーツやってそう。

「薄暗いのに若い娘一人じゃ危ないですよ」

 うん。そうだよね。今時危ない。なにもしなくたって殺されちまうかもしれない。
 悪人じゃなくたって、美人じゃなくたって、立派な成人じゃなくたって。
 ある意味での平等だね。

「家、帰らないんですか?」

 だから、カギかかってるんだってば。
 夕ご飯、レトルトとかお惣菜になっちゃいそうだから、吉野家で牛丼とか小金持ち気分で。家のレパートリー飽きてきたから。

「何、してるんですか?」

 一人で、家にも帰らずに、児童公園で、何してるんですか?

 改めて、知らぬ間に隣に座った怪しい学生を見た。
 例えばこのタイミングで。
 ブスッて刺されてもおかしくないよね。そうしたら明日の朝刊には載るのかな。
 外見いくらまともに見えたって、中心分からないもんね。
「……あんたは?」
 試しに聞き返してみた。答えに興味はなかったけど。
「オレ?オレは探してるんです」
 探し物?
 なにを?ってこっちが聞き返す前に、ないしょです。と返された。

 あ、そう。

 じゃあ、殺す相手を探しに来たとか?
 誰か。例えば、私を。

 その前に一個だけ、聞いておきたいことあるんだけど。
「名前、知ってる?」
「?あなたのですか?」
「そう、私の」

 名前も知らない私を殺すの?

「花子さん。とか」
 ずる、と危うくベンチから滑り落ちそうになった。
「あ違いましたか?一番可能性高そうなのから言ってみたんですけど」
 ……一番可能性薄い、の間違いじゃあないか?

「ええと、じゃあ。…… きょうこ、あきこ、まきこ、さやこ、しずこ、ななこ、ゆうこ、う〜ん……」
 ありゃ、はずれですか?と学生は肩を落とす。あんまり残念そうには見えない。

「じゃあ、いずみ」

 泉?
 誰それ?じゃあ、ってどっからのじゃあ、なんだろう。

「……泉って水の名前だよね」
「そう。きれいだよね」
 すっかり暗くなってしまった空を見つめて、いとおしそうに、名を呼ぶ。

(うん)
 水、きれいね。雨も好き。
 だから泉も好きよ。あんたも?
「まさこ、なみこ、みやこ、……」
 まだ女の名前を連ねている。
「やめなよ、泉は特別なんでしょう?他の女の名前なんて呼んじゃダメだよ」

 びっくりしてこちらを見ている。
 勘違いする奴がいるよ、きっと。あんたはカッコよく見えるから。

「大丈夫。泉は心が広いから」
 満面の笑みで自慢されても、そう。としか答えてあげられない。よかったね、幸せで。
 それくらい繋げて言えばよかったのかもしれない。言えればよかった。
「泉はきれいだよ。……うん。好きだな」
 よかったね。幸せもんだね。その幸せもんのあんたがなにをお探しで。

「怜さんもきれいだよね」
 にぃと得意げにあんた笑った。
「……名前、知ってたの?」
「うん。知ってた。ごめんね」
 謝られても別に怒ってないけど。名前なんてどうでもいいことだけど。。
 問題は中心だからね。

「殺すの?」
 はあ?と苦笑して首をかしげられる。
(なんだ、違うの?)

「怜さん……殺されたいの?」

 怖い顔、だった。急に今までのイメージががらりと変わっていた。怒ってる、顔だった。
 自殺願望なんてとんでもない。
 死ぬほど悩んだこともない。今の生活に不満もない。
 なんもない。からっぽなだけ。でもそれって幸福でしょう?

「さみしいね」

 怪しい学生は言う。もう怒ってる感じはなかった。
「さみしいよね、みんな。夜道ですれ違うたびに殺されることを想像するんだ、さみしいよね」
 だって。
 だってそれは時代、だもの。しょうがない。
「でも、さみしいよね」
 なにを言ってるんだろう、この人。さみしいって。あんたには泉がいるのに。
 きれいな癒しの泉が。

「テレパシーなんてないんだもん。しょうがないよ。人間、なんだもん」
「人間って温かくて、どうしようもない。ってオレは思ってるんですけど」

 夢だよ、それ。大昔の夢。それってあんたの願望でしょ。

「私はしょうがないって思うよ」
「……あきらめるの?」

 どうしたいの?家に帰りたくないの?一人になりたいの?なりたくないの?

 そんなこと言われても。

「私、3キロやせるの失敗したんだ。シュークリーム作ったのに思ったように膨らまなかったし。授業珍しく予習してっても答えられなかった。……全部、たいした悩みじゃないよね。カッコ悪いよね。彼氏いたってさ。好きとか嫌いとか言えないよ。恥ずかしいし、重たいじゃない」

 怪しい学生は立ち上がって、怜の前に立った。背も、ずっと高いんだこの人。

「どうしたい。なんてないの。理由なんてないの。ここにいるのに。……理由があるなら私知りたい」
 どうしたいのか。なにがしたいのか。なんでここにいるのか。

「じゃあ、なにが食べたいですか、今」
 優しい声で聞かれた。
「…………牛丼」
「どんな?」
 だから。
 吉野家の、安い、うまい、やつだって。つゆだぐで。味噌汁と卵も付けて。
 ちょっと小金持ち風で。
「おいいしいやつ。甘ったるくて、母さんが作ったみたいな……」
「じゃあ、帰りましょう?」

 それってずばりで正しい。そうだね。母さんの料理って最高なんだよ。
 悩みなんてない。それって幸福だよね。
 でもね。でも。
 水の中だと呼吸できないみたいに、幸福の中だと私うまく、やれないみたい。
 なにがしたい。あーしたいし。こーしたいし。
 牛丼食べたいな。母さんの作ったやつ。

「贅沢もんかな。私」
「人間、貪欲な方が生きてる感じがしてオレは好きですけど」
 好き。って簡単に言っちゃう。特別な言葉じゃないんだね。泉のための。
 泉って、無償で無欲じゃない?違う?きれいだよね。
 贅沢もんだ、あんた。
 探してるって、言った。

「見つけたいんじゃないんです。探したいんです」

 ……なるほどね。贅沢だ。

「帰るよ、ありがと」
 怪しい学生になんでかお礼なんか言ったりして。
 いえいえ。と彼は笑っていた。

 夏も終わりだった。とっぷりは日は暮れてしまった。
 もうすぐ母が帰ってくる。その前に帰らなくちゃ。
 カギを開けて待っていなくちゃ。牛丼おねだりしなくちゃ。

 あったかい家へ帰ろう。

 

 

 

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