++ 日常20TOP

 

 04. 昨日見た夢

 

 神様、懺悔します。

 細い細い手首。
 少し力を込めるだけで簡単に握り潰せそうだな。
 想像はリアルに脳内実行され、彼女の表情が苦痛に歪む。
 細い手首がとめどない欲望を吸収していく。やがて、変な方向に折れ曲がる。

 間違った方向に。

「美原くん」

 くん、と呼ぶ。その声を恋と錯覚したのはいつのことだったか。
 目下のピラフからグリンピースを寄り分ける作業に熱中しすぎて、忘れてしまった。 

「……なに?」
「あ、ごめんね、ご飯中に。ここ、いいかな?」

 と、目の前の空席を示す。
 その指先の、深爪にならない程度に切り込んだ爪が、ピンク色に光った。
 ピアノ講師のアルバイトをしているらしい彼女は、指先の手入れを怠らない。
 派手な飾りが乗らない、健康的な色をした爪。
 視線をもとに戻す。今はグリンピースを第一優先事項に決める。

「いいよ」

 彼女はほっと息をつき、ピンクの色の爪を光らせながら、細い手首を返して、椅子を引く。
 テーブルを隔てて、向かい合う。

 午後の授業が始まるまでにはまだ20分ほどの余裕があった。
 学生で溢れる大学の食堂の中で、一人の人間を見つけ出すというのは困難な作業のように思う。
 彼女はもうすでに昼食を済ませたようだったので、オレは、目下のピラフを食べながら話を聞いてもいいものかどうか一寸悩んだ。

「あの、美原くんって確か真下教授の国際関係論とってたよね?」

 とってたような気もする。
 普通の学生同士の会話内容だ。
 興味をそがれたように頷くと、前回の講義プリントをコピーさせてもらいたい、と拝まれた。
 オレは、いいよ、と簡単に答えた。
 彼女の顔が輝く。お礼になんでもするから、と、いとも簡単にそんなことを言う。

 昨日見た夢の続きを見てもいいと言うんだろうか。
 細い手首を折れそうなくらいに歪ませて、白いシーツに押し付けたその先を?

 口に入れた米にグリンピースの味が微妙に染みていて顔が歪んだ。そういうことにしておく。

「あと、その……」

 言いよどんだ彼女のためらいは、周囲の雑音がかき消す。
 食堂には有線放送が入っている上、休み時間の学生たちの口が閉じているはずもない。

「その伊狭がどうかした?」

 彼女の目の前に溜まったためらいを払う。
 正直もうすぐ授業も始まるし、面倒くさいと思い始めていた。
 彼女とオレに間にあるものなんて、いつも決まっていた。

 彼女をためらわせるのは伊狭。彼女を悩ませるのも伊狭。
 オレにいい友達を押し付けてくるのも伊狭。
 今、食堂の入り口をくぐって、人一倍騒がしい声で周囲を笑わせている伊狭だ。

「あ、美原ー」

 人懐っこい笑みを浮かべて手を振り、周りの友人たちと別れわざわざこちらの席にやってきた。
 空いているのは向かい側、彼女の隣の席だけだったので、選ぶことなくそこに腰掛けた。
 動揺を隠せずに顔を真っ赤にして、彼女は俯く。

「伊狭、この間の国際関係論のプリント持ってない?」
「持ってるけど?」
「じゃあ、白鷺さんに貸してやって」

 伊狭はそこで初めて隣の席の女子学生に目をやった。
 名前を呼ばれた本人は、びっくりしてこちらを見ている。

「別にいいけど。お前もこの間の授業は出てなかったっけ?」
「プリントは、居眠りしてる間に順番飛ばされて、もらい損ねた」

 馬鹿だなぁとオレを軽く貶めてから、伊狭は隣の彼女に向き直った。

「えっと、白鷺さん?」
 名前を呼ばれて露骨に肩がびくりと揺れる。伊狭は気づいているのかいないのか、話を前に進めた。
「プリントだけでいいの? ノートも貸そうか?」
「あ、プリントコピーさせてくれるだけで十分です。ありがとう」
「遠慮せんでもいいよ。オレのノートはテスト期になると一部コピーにつき100円の代物だから」

 でも、と逡巡する彼女に、伊狭が無理やりにっこりと笑う。
 鞄から、驚くほどきちんと整理されたファイルを取り出して、プリントと一枚のルーズリーフを一緒にテーブルに置いた。 

「じゃあ、100円……」
「あー、いらんいらん。美原のお友達に請求したりできませんよ」

 ぺこぺこと伊狭とオレの両方に過剰に頭を下げてから、彼女は食堂をあとにした。
 伊狭は、たっぷりその後ろ姿を見送っていた。その様子に、少し胸がざわつく。
 完璧に、グリンピースだけより分けられたピラフを見て、軽くため息をついた。

「好き嫌いして、おいしいところを食べ損ねるなよ」

 それにどんな意味が含まれたのか聞く前に、伊狭は他の友人に呼ばれ、席を移っていった。

 

 

 お米一粒には百人の神様が宿る。
 小さい頃からそう教わってきたオレは、たとえ米一粒だって無駄にはできない。
 グリンピースにくっついているものも引っぺがして、口に入れる。苦い味がした。

「あ」

 声がして顔を上げると、彼女がいた。
 両手に缶ジュースを2本ぶら下げて、少し息が乱れている。走ってきたのだろう。
 視線の先には、友人に囲まれる伊狭の姿があった。

「あの、美原くん、ありがとう」

 よかったら2本ともどうぞ、と、少し恥ずかしそうに目を伏せる。
 細い手首が誘う。昨日見た夢の続きを。
 皿の上で淋しそうに転がっているグリンピースを。
 2本並んだ缶ジュースを。
 少し頬を赤く染めている彼女を。

「あー、さんきゅう」

 夢を見続けているオレを。

 

 

 

 

 

 

日常20TOPへかえる+

おはなしTOPへ++晴音TOPへ+