++ 日常20TOP
08. 見上げた空に |
「なんでこんなところに?」 知らず、声に出していた。 慌てて口をふさいで、辺りを見回してみたところで、犬の散歩中の女の子と、新聞の競馬欄に釘付けになっている浮浪者らしき老人と、噴水付近で弁当を広げているOLらしき女が3人がいるだけで。 ふうっと肩から息を抜いて、萩原は目当てのベンチに腰かけた。 ベンチの背にもたれ、見上げた空に浮かぶ雲。 萩原は再び、なんでこんなところに、の元凶を探った。 ちょうどベンチに腰掛けた目線に来るように、高さが調節された看板。 突然、ぽっかりと、日常に穴を開けて迷宮の入り口が現れたような。 |
石崎くん必殺の顔面ガードです! そんな、キャプテン翼の実況中継が浮かび上がって、すぐに沈んだ。 てんてんてん、とボールは小さなバウンドを繰り返して、看板にぶつかって止まった。 |
「すんませーん」 舗装された道路を走ってくる硬質な音で、スパイクシューズだと分かった。 「すんませーん、ボールー・・・」 伸びる語尾が、擦り切れる寸前の神経を刺激する。 「あ。あんがとうございまーす」 り、が正確に発音される前に、鼻のあたりでずっこけている。 「あのー」 語尾を伸ばすんじゃない。仮にもスポーツマンの端くれならもっとはっきり発音すべきだ。 「もしかして、昼飯中っだったすか?すんません、邪魔して」 そう言って、少年はなぜか萩原の隣に腰を下ろした。 よく日に焼けた小麦色の肌、うっすらと汗が浮かんでいるが、けして不潔ではない。 「おじさん、なんかヤなことでもあったすかー?」 まずは、おじさんと呼ばれたことにびっくり。 「おじさんみたいな人が、公園のベンチに一人で空見てたら誰でも疑うっすよー」 はっはという快活な笑い声で、おじさんは無防備でいてはいけないと悟る。 (ヤなことねぇ・・・) 会社の新製品の売り込み、今月のノルマがまだ達成できていない。なのにもう20日を過ぎていて、しかも今月は30日までしかないから、気が重たい。 (・・・こんなところだろうか) 「オレはこれでもサッカー部だったんだ」 唐突なおじさんの言葉にも別段焦りもせずに、そうなんすかーと少年はのんきに語尾を伸ばした。 「ディフェンス専門だった。しかもサブだった」 ぱんぱん、と手を叩いてはしゃいでいる。いつのまにか、スパイクの紐は結び終えたようだった。 「はい、パース」 ぽん、とサッカーボールを投げられ、思わず手を出して受け止める。 少年は立ち上がり、もう一度萩原の足元にパスを出した。 「思いっきり蹴ってみれば、おじさんのヤなことも吹っ飛ぶかも、すよー?」 萩原は、少年を見て、そして背後の立て看板を見た。 「これでもキャプテン翼は連載開始からすべて見ているんだ」 恐ろしい冗談を聞いた気がしたが、まんまと無視して、萩原は短い助走をつけて、サッカーボールを蹴っ飛ばした。 ボールは見る見ると空を目指し、そして失速し、見る見ると大地を目指した。 「「げ」」 おじさんと少年の呟きが、十数年の時を越えて重なり合う。 「すんませーん」 こら、と叱咤する。 「す、すんませーん!」 |