+晴音・バレンタインデー企画・拍手御礼小話+



   お礼のかたち。  

 ベッドの上で携帯電話が震えている。
 常にマナーモードになっているので、メールが届いても気づいたのは次の日、というのはざらだ。
 今日はごく珍しく、頻繁に鳴るそれを、樹は定期的に確認していた。
 新しいメールを開いて、前からの流れを確認するように、最初のメールから読む。

(なんだか頭が痛いよ、うう)
(それは風邪じゃねえの)
(かもしれない。でも、今日、イッキのとこ行ってもいいよね?)
(…やめといたほうがいいんじゃねえの)
(やだ、いく。せっかく作ったもん)
(いらないって。寝といたほうがいいって)
(やだ、いく)

 そして、最新のメールには短く決断の文字が表示されていた。
 タイミングよく、チャイムが鳴った。
 階段を下り、ドアを開けると、案の定というか。
 赤い顔をした幼なじみが立っていた。
「お前、阿呆だろう」
 む、と眉を寄せる。
 いくら近所だからとは言え、着膨れするほど厚着しているとは言え。
 樹は深く深く、ため息をついた。

「中、入るか?」
「うん。……いいの?」
「母さん、いないけど」
 ぼそりと呟いたそれで、怖気づいたように幼なじみの歩みが止まった。
 こう言えば、一つの牽制になるだろうと思っていた。
 日は沈みかけているし、今、足を踏み入れたらどうなるのか。
 じゅうぶん、思い知っているはずだった。
 それでも、熱がなせた業なのか、決意したように幼なじみは一歩を踏み出す。
 おじゃまします、と誰もいない家に向けて。
 知らねえぞ、とよろよろと階段をのぼっていく背中に樹は小さく吐き出した。


 うまくいきすぎて、怖い。
 いつもならすぐに飲み物やら菓子やら、と遠慮しないで注文するくせにこういうときに限ってしおらしい。
 樹にしては珍しく気をきかせて、……あいにくと病人をいたわるぐらいの甲斐性はあるので、台所で水分補給できそうなものを準備してから、自室に戻った。

「……オレを殺す気か」
 じょじょに、風邪菌がむしばんでいる身体。
 つらいのだろう。人のベッドの上を独占して、浅く呼吸をくり返している。
 息が湿気を帯びていて、熱があるのだろうと思った。
 こうなると、厚着は苦しいもしれないと思ったが、脱がすのは手間だった。
「ナカ」
 呼んでも返事はない。
 助力は期待できないらしい。樹は、とりあえずマフラーを外した。見えた首筋のあたりに手の甲を当ててやる。
 ん、と小さな声で身じろぎをした。
 やっぱり熱い。
 樹は、なんとか掛け布団だけ身体の下から引きづり出して、上からかぶせてやった。
 菜加が寝返りをしようと、動いた。仰向けになる。
「ん?」
 樹は、かすかに動いた唇に耳を寄せた。
「かばん」 
 3語、解読して、菜加が手に下げていた鞄から今日の主役を取り出した。
 顔の前に掲げてやると、ふっと笑みがこぼれる。
 目的を果たした、という顔をして、そのまま目を閉じた。

 手に残ったそれはどうやら手作りらしく。
 チョコレートブラウニーに挑戦した、と昨日のうちに我慢しきれなかったのか写真つきのメールが届いていた。
 まあ、これのお礼と思えば。
 いつもよりちょっとぐらい、優しくしてやってもいいかな。
 そう思って、樹は幼なじみの頬をそおっとなでてやった。




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